第34話『青春の夕陽丘』

妹が憎たらしいのには訳がある・34

『青春の夕陽丘』        



 

 加藤先輩、話があるって! 放送室!


 ちぎったように言うと、真希ちゃんは、さっさと行ってしまった。

「なんやろ……?」

 ドラムの謙三が、真希ちゃんの残像に声をかけるように呟いた。

 

 うちのケイオンは規模も大きく、技量も三年の選抜メンバーなどは、スニーカーエイジなどでもトップクラス。だけど、それ以外は、マッタリしたもので、軽音楽部というよりは、ケイオン。楽器を通じて結びついている友だち集団に過ぎず、そういう緩い結びつきのバンドの連合体みたいなのが実態で、口の悪い先生は「国連みたいやなあ」という。加藤先輩と言えど、日頃の他のバンドを呼び出したり、指導したりということは、ほとんど無い。


 狭い放送室のスタジオは、先輩達と楽器で一杯。俺たち四人が入るとギュ-ギューだ。


「ごめん、こんなクソ狭いとこに呼び出して」

 加藤先輩が、そう言うと、他のメンバーが楽器をスタジオの隅に寄せて、スペースを造ってくれた。

「あのう、なんでしょうか?」

 一応リーダーの祐介が声を出した。

「メンバーの編成替えやりたいねん」


 唐突だった。


 メンバーの編成は自然発生的に出来たものを優先し、先輩達が口を出すのは、編成が上手くいかなかった時に調停役をやるときぐらいで、今年の編成は、どのグル-プも出来上がっていた。



「太一、あんた、うちのギターに入ってくれる」

「え、ギターは田原さんが……」

「ギター二枚にしよ思て。ボーカルがウチとサッチャンやんか。自分で言うのもなんやけど、この二人のボーカル支えるのには、田原クン一枚では弱い」

「でも、ギターなら、他に上手い奴は一杯いますよ」

「そやけど、サッチャンの兄ちゃんは太一一人や。サッチャンは演劇部と兼部や。練習は、演劇部の休みの日と、向こうの稽古が終わった五時半からや。どうしてもツメがが甘なる。そこで太一やったら兄妹やさかいに、呼吸も合わせやすいし、家で調整もできるやんか」

「はあ……」

「そっちのギターは真希ちゃんに入ってもらう」


 真希ちゃんが、さっさと行ってしまったのは、このことを知っていたからだろう。俺たちは決定事項の追認を迫られているだけだ。


――こんなの横暴だ――


 メンバーみんなが、そういう気持ちになったが、誰も口には出さなかった。


 加藤先輩たちに逆らって、この学校ではケイオンはやっていけない。


 それに、今年のスニーカーエイジを考えると、加藤先輩と幸子がボーカルをやるのはベストだし、そのメンバーにボクが入るのも妥当だろう……一般論では。

 幸子は義体で、普段人前で見せている個性はプログラムされたそれで、けしてオリジナルではない。ただ、そういう刺激が、幸子の中に僅かに残ったオリジナルな個性を、ゆっくり育てていることも確かだ。今度いっしょのメンバーになることが、どのくらい幸子にプラスになるか分からないが、俺は四捨五入して前向きに捉えようとした。


 その日は、練習そっちのけで、みんなで保津川下りに遊びにいく話ばかりした。むろん新メンバーの真希ちゃんも含めて。俺たちは何より争うことを恐れる。だから、必死で、たった今言い渡された理不尽を、触れないということで乗り越えようとした。


「太一、ちょっと付き合わへん?」


 保津川下りの話を過ぎるほど明るくしたあと、俺たちは早めに帰ることにした。で、優奈がいきなり切り出してきた。

「え、ああ、いいけど」

「太一に見せたいもんがあるねん」

 

 そして、二十分後、ボクと優奈は四天王寺の山門前に来ていた。

「ここから見える夕陽は日本一やねん」

「え、ほんと?」

「昔はね……せやから、このへんのこと夕陽丘て言うねん。ナントカガ丘いう地名では、ここが一番古い。大昔は、ここまで海岸線で、海に落ちる夕陽が見事やねん」

 太陽は、高いビル群の間に落ちようとしていた。正直、東京で観る夕陽と代わり映えはしなかった。

「想像してみて、ここは波打ち際。見渡す限りの海の向こうにシルエットになった淡路島、六甲の山並み、その間をゆっくりと落ちていく夕陽……」

 優奈は目をつぶりながら話していた。優奈の目には古代の夕陽が見えているんだろう。

 一瞬微妙な加減で、夕陽がまともに優奈の横顔を照らした。優奈の横顔が鳥肌が立つほど美しく見えた。


 こんな優奈を見るのは初めてだ……。


 その微妙な一瞬が終わると同時に優奈は目を開けた。



「いま、ウチのこと見とれてたやろ」

「え……うん」

「アホ。こういうとこはボケなあかんねん。シビアになってどないすんねん」

「だって、優奈が……」

 潤んだ優奈の目に、あとの言葉が続かなかった。

「バンド解散するときに、一回だけ太一に見せたかってん」

「夕陽をか?」

「うん。そんで、おしまい。明日は、また新しい朝日が昇る。そう言いたかってん」


 そして、優奈は目の前の道が「逢坂」といい「大阪」の語源になったことや、ここから北に向かって並んでいる天王寺七坂のことを説明してくれた。ずいぶん博識だと思ったら、お父さんが社会科の先生であることを教えてくれた。一年間同じバンドにいながら、俺は優奈のことはほとんど知らなかったんだと思い知った。


 気づくと、優奈は『カントリーロード』を口ずさんでいた。


「……カントリー・ロード 明日は いつもの僕さ 帰りたい 帰れない さよなら カントリー・ロード♪」

「うまいな」

「当たり前、ボーカルやでウチは……あ、行きすぎてしもた」

 ボクたちは逢坂を下って、松屋町通りを北上していた。

「ま、ええわ。この先が源聖寺坂や。ええ坂やで」

 確かにいい坂道だった。道幅は狭いけど石畳で和風の壁に囲まれ、途中緩くZの形に道が曲がっている。坂を登り切って振り返ると、太陽はとっくに西の空に没し、残照が西にたなびく雲をファンタジックに染め上げていた。

「ほんと、きれいだなあ……来た甲斐あったよ」

「優奈のとっておきでした。ほな地下鉄乗ろか……」


 そうやって、振り返ると……その手のホテルが建っていた。


「あ……」

「惜しいなあ、制服着てなかったら入れたのにね……」

「ゆ、優奈!」

「アハハ、赤こなった。太一のエッチ!」


 優奈は、大阪の女の子らしく、俺をイジリながら、コロコロ笑って地下鉄の駅にリ-ドした。

 大争乱が始まる前の、ボクたちのささやかな青春の最初の一コマだった……。


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