第54話 投獄された日本人
(注。海外で実際にあった出来事を取り入れています。)
トラタ共和国では、小さな子供は、親が神の絵や小さな神像に向かって手を合わせることを見て育ち、自然に神を敬うことを学ぶ。
通常、台所に小さな神の写真を飾り、母親が朝夕祈りを捧げる。父親は仕事に出る前に手を合わせる。神は家族の一員としてもっとも親しい頼れる存在であり、日常生活に欠かせない存在だ。必ず、週に一度か二度は、個人や家族で寺に足を運び、神に感謝と加護を求める祈りを捧げる。
だからといって、どこかの宗教団体に所属しているわけではない。トラタ共和国には基本的に会員制のある組織がないのだ。誰にも縛られることなく自由に好きな寺院に行き、どの神を信じようがどの聖者に会いに行こうが、誰かに
トラタ共和国に渡って早々、滞在二、三年目に渚沙はそれらの特徴に気づいていた。日本は何かおかしい。日本の宗教のあり方は間違っている、ただの人集めのビジネスにしか見えない。
現地人に尋ねたら、神のことでビジネスなんかしたらとんでもない罪だと恐れていた。トラタ共和国人の神との付き合い方は極めて健全だと感じる。自然に比較してしまい、母国日本は深刻な罪を犯しているのではないかと渚沙は心配するようになった。
日本の警視庁が公表している全国の宗教団体の会員数の合計は、おかしなことに総人口数より多い。各団体による自己申告制だから信用できず、国民のどれくらいの人が宗教をやっているのかは本当のところわからない。真っ当な団体はあるのだろうが、いくつかの目立つ団体の印象が悪すぎて全てが悪く見られてしまっている。
宗教組織以外に、吉澤フミのような個人のスピリチュアル系に洗脳、支配されている人々が幾らかいる。
その他大勢は元旦に初詣に出向き、結婚式と葬式を別の宗派で行い、クリスチャンでもないのにクリスマスなどの行事を楽しむような無神論者だが、常識をわきまえ、時々ボランティア活動に参加したりしてむしろ宗教をやっている人たちよりも善人だったりする。
残りの無神論者は、毎日の生活に感謝することすら知らず、ただ自分のために生きる利己主義者。
そのどれにも当てはまらない、バランスのとれた生き方ができる心豊かな人は、恐らく僅かしか存在しないのではないか。
それぞれが育つ環境や文化に大きく影響されるので、仕方がない。渚沙自身も無神論者だった。
発展途上国であるトラタ共和国で暮らしているにもかかわらず、渚沙の目には、母国日本が精神面で非常に貧しく不安定で、とても不幸な国に映っていた。
間もなく、国恥といえる出来事を耳にする。渚沙はトラタ共和国で、毎年何千、何万とやって来る現地人や国外の人たちを見ていた。他の聖地からも流れてくる、著しく目立つ問題のある訪問者は決まって日本人なのだ――といっても、ある特定の種類の人たちである。
生き神シャンタムの聖地には、外国のメディアが軽率に騒いだために、常人に入り交じってスピリチュアル系の異常者たちがごまんとやって来た。
中には――やはり何故か日本人ばかりなのだが――弟子を連れてやって来てシャンタムの聖地のある村に居座り「自分こそはシャンタムである」と主張し、現地を混乱させる者が出た。一人ではなく、何人かそういう日本人の率いる団体が存在したという。吉澤フミの同類だ。本当の神を知らず、神を恐れない人がやりそうなことだ。トラタ共和国の人なら間違いなく、これを罪と呼ぶだろう。
同種の人間は「勘違いスピリチュアル」が流行っている今の世の中、決して少数派ではない。欧米にも自称神や自称聖人がいて、神や聖人と交信していると宣言する病的な人々も、程度の差はあれ無数にいるようだが、他人の聖地でそこまで狂う他国の異常者の話を、渚沙は耳にしたことがない。
境界線はどこで引かれるのか分からないが、異国の著名な聖地で大々的に聖人宣言してしまう点で考えると、スピリチュアル系の日本人は極めて重症だ。
それ以前にも、別の地で同じことが起こっている。九十年代半ばに東京で無差別テロ事件を起こした集団の教祖は、逮捕前にブッダの聖地を訪問し、自分がブッダだと宣言し、そこから動こうとしなかった。結局、警察に強制的に退去させられ、幸い取るに足らない珍事として済んだ。
しかし、シャンタムの聖地に居座り、「自分こそはシャンタムである」といい張る日本人たちの行動は一線を越えた。とうとう警察によって、隣接の村や町まで厳戒態勢が敷かれたのである。全日本人にとって、シャンタムの聖地訪問が大変厳しくなった。その当時、ブラックリストに載っていた、日本人の自称聖人の一人と同姓同名というだけで捕まった者が出た。
井上潤次郎のツアー団体にも災難が降りかかる。
井上がナータの寺院に顔を出さなくなる少し前のこと。恒例のツアーをトラタ共和国で実施していた井上は、一人か二人の人間を連れてどこかへ出掛けて行き、他の日本人のツアー参加者を、先にカリルの寺院へ向かわせた。シャンタムの聖地と同じ方角であったため途中でバスが止められ、日本人というだけで井上のツアー参加者全員が警察に捕まり、投獄されたのだ。
別の地にいた井上は、自分のツアー客が警察に捕まったことを知って慌てた。そして、カリルから力を借りて、難なく全員を釈放させることに成功した。
後に、投獄された本人たちからこの話を聞き、同国人が無事に危機を脱することができて本当に良かったと渚沙は安堵した。しかし、何かすっきりと晴れないものが心にくすぶる。
カリルは警察を買収したのではないか? もしそうなら、その資金源は、カリルのお得意客である日本人としか考えられない。買収の有無に関わらず、カリルの目的が日本人の金だったことは間違いないだろう。この一件で、井上とカリルの関係はより強固なものになったようだ。
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