第27話 さよならシャンタム

 井上潤次郎いのうえじゅんじろうに付き添い東京で出版社探しをした時、渚沙は自分が翻訳をする本を井上から渡され、もうひとりのシャンタムは、『聖ナータ』という名前であることがわかっていた。歳は三十五歳。渚沙より十一歳年上だ。フランス人のセドールは似ているといっていたが、表紙の写真のナータはシャンタムには似ておらず、どことなく女性らしい雰囲気の笑みを浮かべている。聖ナータはシャンタムの聖地から、車で八時間かかる別の町にいるらしい。


 井上のツアーの一行は、孤児院を訪問した後シャンタムの聖地に二日滞在した。シャンタムの姿は以前よりも遠く、たった一度目にしただけだ。不思議なくらいシャンタムに関心がなくなっていることに渚沙は気づいた。自分が縁があるのはもうひとりのシャンタム、聖ナータだとわかっていたからだろうか。あれほど愛し執着していたのに、いくら中身が一緒だからといってそんなに簡単に乗り換えられるわけがない。渚沙は二人のシャンタムにすっかり遊ばれている気がした。

 もしかしてこんなやり取りがあったのではないか――


シャンタム「おいナータ、お前のところでナギサの面倒見てくれ。私はもう歳とってるし、人がしこたま押しかけてくるから大変なんだ。小娘の相手は任せた」

ナータ「げっ、私に押し付けるのか……。自分の分身だからって身勝手すぎやしないか」

シャンタム「しかたがないだろ。忙しいし年寄りなんだから」

ナータ「ちっ、貧乏くじ引いたな。わかったよ。ナギサはお前にれてたな。そういうの面倒なんだけど」

シャンタム「ごちゃごちゃぬかすな。もうすべて手配済みなんだ。くれぐれもいっておくが、ナギサをこっちに突き返してくるなよ。あの子の担当はこれからずっとお前だ」

ナータ「あーあ。神ってほんと大変だ。今度生まれたら人間がいいわ。神さまお願いしますとかいってればいいんだから」

シャンタム「……同感だ」


――と妄想した。まさか、他にも分身がいてこれからたらい回しにされたりして。いや、それは多分ないだろう。渚沙のでは運命を共にするのはもう一人のシャンタム、「ナータ」なのだから。


 渚沙はシャンタムの七十歳の生誕祭の時に、桜の苗木を植えた小さな庭に思いがけずシャンタムがやってきて渚沙に手を振り、満面の笑顔を見せた意味がわかった。あれは、『これから君は私の分身のところに行って、人生を共にするんだ。後で会おう』といっていたとしか思えないのだ。

 渚沙はシャンタムの聖地を去り、二度と来る必要がないことにいいようのない喜びを感じていた。これからは、人があふれている広すぎる聖地でシャンタムを遠くから恋しく思う必要がなくなるからだ。分身のナータの聖地はそれほど大きくなく、人もうんと少ないはずだ。なんて素晴らしいのだろう……

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