第26話 不思議なペンダントヘッド

 トラタ共和国の長い夏がやっと終わりに入る六月初旬、井上潤次郎いのうえじゅんじろうのツアーの一行が空港に到着した。

 中型バスをチャーターし国内を移動した。エアコンはついておらず、窓を開けておくしかなく、車内には熱気が無情に旋回せんかいしている。昼間は日差しが強く高温で、整備されていない道路はほこりっぽくただ息苦しい。各地で宿泊するホテルはその町で一番か、けっこうましなホテルだというがきれいとはいい難かった。


 井上のツアーは前回とは異なり、ただ鬱陶うっとうしかった。

 その理由はそういった環境の問題ではなくツアー内容だ――トラタ共和国の著名な聖者たちや聖地を一日か二日ずつ訪れ、奇跡を観察し体験するというものだった。


 例えば、シャンタムの聖地から車で一時間ほどのところに、有名な孤児院がある。院長は昔、シャンタムの聖地で靴泥棒をしていた。神殿には裸足で入らなくてはいけないので、あらゆる場所に参拝者の靴が置いてある。靴を預けられる専用の場所もあるのだが、人が多すぎて収容しきれないのだ。彼は、新しそうな靴を盗んでは売っていたのである。


 ある日、院長は聖シャンタムから「もう人の靴を盗んではならない」といわれ、目の前で魔法のようにちゅうから取り出した小さなペンダントヘッドをもらう。持ち帰ると、少し粘り気のある水分が出始めた。めてみたら、強いジャスミンの香りがする甘くとろりとした蜜だった。院長はそれをコップに入れた。蜜はゆっくりと出続け、時間をかけて増えていった。その日以来、蜜の自動生産が止まらないらしい。院長は靴泥棒をやめ、孤児院を始めた。蜜は祝福の証であり、薬のように病を直すこともあるらしく、人々が蜜をもらいにやって来た。蜜が出続けるシャンタムのペンダントヘッドのお陰で孤児院は名所になり、多くの外国人が訪れて寄付金を落としていった。

 渚沙が訪れた時は、60人くらいの子供たちが孤児院で生活していたが、そういう寄付のみで施設が成り立っているらしかった。


 井上は、名物のペンダントヘッドを何度も見ているらしい。しかし、渚沙と一緒に行った人たちのほとんどが初めてトラタ共和国を訪れており、奇跡を目にするのも初めてだ。ツアー参加者の一人ひとりがペンダントヘッドを自分の手に乗せてもらい、蜜が自然に湧き出てくるのを目撃した。半径約15ミリ、厚さは3ミリほどで、両面に少しずつ表情の違うシャンタムの顔が描かれている。渚沙もみんなに習った。ペンダントヘッドは小さくて軽い石だ。全員の手から手に渡されている間もずっと蜜が出続けており、その中に細工をすることは不可能な量だった。井上の友人であり助手である小島栄こじまさかえという男性が、ビデオにその様子を収めていた。渚沙は、小島とは最初のツアーでも一緒だった。その時は助手ではなかったが、以来、ほぼ毎回のツアーに参加して井上を手伝っているらしい。


 いつから始めたのかは知らないが、井上のツアーでは聖者と聞けばマイナーな聖者たちのところにも一応行ってみる。聖者たちはそういった奇跡を起こせる人たちばかりらしい。

 渚沙には、これらすべての行為が酷く無意味に思えた。今回の旅の目的が翻訳という仕事だったからかもしれないが、そうでなくても退屈極たいくつきわまりない、お金と時間の無駄な行為である。奇跡をいくつ目にしようが渚沙は少しも驚かず、のくだらないことに人は興味を持つものだと冷めた目で見ていた。渚沙は、生まれて初めて見る数々の奇跡を見て何故驚かないのだろうと、自分自身のことを何より不思議に感じていた。そして、一刻も早く目的地に到着したいと願っていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る