第30話 怖い顔のあのお方

 がホテルに現れた同じ日の夕刻、井上はツアー参加者を連れて、貸し切りバスで聖ナータの寺院に向かった。トラタ共和国では通常、各寺院で日に二度、聖歌や小さな祭儀が行われる。大きな寺院だと昼も行う。

 聖ナータの寺院では、聖歌の時間が朝夕一時間ずつ設けられている。現地の人々と外国人が共にトラタ共和国伝統の聖歌を歌っていた。

 ナータは聖歌の途中に出て来た。そして、正面に置かれている椅子に座った。

 トラタ共和国では太古から、神といわれる人々や聖者の姿、または神像を拝謁はいかつするだけで祝福されると信じられている。その行為は、現代でも重んじられる伝統のひとつで『ルダの拝謁』と呼ばれる。トラタ共和国の人々は、週に最低一度か二度、ルダを求めて寺院に足を運ぶのだ。

  

 ナータという聖者は、最初に会ったシャンタムとよく似ていた。井上からもらった本に載っていた写真とは違って見える。フランス人のセドールは二人はよく似ているといっていたが、まったく同じ、同一人物だと渚沙は思った。顔や雰囲気などの外見もそうだが、人の欲や人間的感情というものを一切感じさせず、一点の曇りもない透明さがある。例のというやつだ。そういった計り知れない純粋な力で圧倒させるのは、シャンタムとナータ、その二人だけだった。

 他の聖者たちはほとんど普通の人だったし、自国以外でも活動をしている人気のある女聖者は、高尚で無私の性質を備えている偉大な人物だが、全知ではなく、その力はシャンタムやナータには及ばないという。来日している彼女に一度だけ会ったがまさにその通りのことが感じ取れた。

 一方。明らかに異質のカリルは、欲望にかれた魔の使者のようだ。聖者たちに関する知識はなく、好き嫌いもなく、先入観なしに体験した正直な感覚だ。

  

 聖歌が終わると同時に、ナータは出て来た時と同じ奥の扉の向こうへと姿を消した。

 数秒後、最前列にいた井上がすくっと立ち上がって皆の方を振り向くと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこう言った。

がいるぞ! 今日のナータは怖かった! いつも優しい顔をしているのに」

 井上が心底から驚いているのが見て取れる。

 渚沙は、理由はよくわからないが自分がそのに違いないと青くなった。こんなふうに言われたら、他の人たちもそう感じていたかもしれない。井上と、井上を手伝っている小島栄こじまさかえ以外のツアー参加者は、初めてナータの姿を見たのだ。だから、いつもそういう顔をしているのだとみんな思っていたはずだ。その厳しい感じのする表情は、シャンタムの通常の顔によく似ていたので、渚沙は全然怖いとは思わなかった。


 次の日から、ナータの顔は優しくなっていた。前日、井上が驚いていたのもうなずける。その日以降の拝謁はいかつの時間のナータは、まるで母親のように穏和でにこやかなのだ。ナータは、日常的に、人々に物事の善悪や安全性、危険性を教えるために表情や態度で示すそうだ。もしかしたらあの日、井上の一行がカリルと関わったことをナータは知っていて、険しい顔になっていたのかもしれない。

   

 さて、渚沙は寺院の宿泊施設に三カ月世話になる予定だったが、この訪問時に井上はいきなり「渚沙を置いていきますのでどうぞよろしく」とお願いしたから呆れた。井上は、渚沙の滞在について寺院側への事前相談など一切していなかったのだ。

 すると、宿泊担当者がいかにも事務的に、寺院の規則で渚沙の年齢ではまだ無理だというではないか。ナータの寺院には、二十五歳未満は保護者なしでの滞在は不可というルールが設けられていたのだ。そのようなルールがあるとは思いも寄らなかった。この担当者に特例を出す権威はなく、話しても無駄ということは一目瞭然だ。


 考えて見れば重要なことだろう。学生やまだ社会人になったばかりで自立していない若者が、家族にも知らせずにトラタ共和国の聖地にやって来て、社会生活を放棄したがることはよくあるという。ナータは、若い人々には社会での義務を果たすことが先決であることを教え、解脱などを求めて修行に専念する生き方を認めないそうだ。著名なシャンタムの聖地でも、自国に帰ろうとしない若者たちが大勢いるらしい。シャンタムから帰国するようによく諭されている、という話はよく耳にした。どうやらたちは、出家には反対しているようだ。


 訪問者の滞在に関するルールを知らなかった井上は、ナータは寛大な生き神だと感じる体験をすでに何度か重ねていたために、大丈夫に決まっていると思い込んでいたらしい。運良く渚沙の場合、何も問題はなかった。ナータ本人と寺院の責任者が渚沙の三カ月滞在をすぐに承諾してくれたのである。

  

 井上たち一行が、渚沙を寺院に置いて町を出る前日。井上が、を見に行かないかと誘ってくれた。国内線、宿泊費等の、必要経費を出してくれるという。それがツアーの次の行き先なのだ。渚沙は即辞退した。気持ちはありがたく受け取ったが、これ以上くだらないことに時間を費やしたくなかった。

 トラタ共和国の太古の聖者が記したという『ハムイ』と呼ばれる葉っぱには、見に行く人の運命が書かれてあるらしい。それが日本で流行りだした頃だった。知人が書いたその葉っぱに関する書籍を読んだことがある。流行はその本が発端だった。渚沙はそういうものもあるかもしれないと思ったが、興味が持てなかった。


 渚沙は未来を知ることを幾らか恐れていた。誰だって嫌なことが起こると言われたら、占いの類を信じなくても嫌な気持ちになるだろう。一個人の過去や未来を知ることには何の意味も、得することもない。人は未来など知らずに、日々前向きにやるべきことをやって生きていたほうがいいに決まっている。


 聖者漁りや奇跡の観察、運命の葉っぱ――そういう索然さくぜんたるものばかりを追いかけている井上は決して悪い人ではないが、とてもついていけない。鬱陶うっとうしいスピリチュアル・ツアーからやっと開放されたことに安堵した渚沙だった。

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