第16話 薬
結局、旧オーキド王国の秘薬は期待していたほどのものではなかった。
だが、光明も見えた。
「作られたのがもう数十年以上前なんです。効能があるかどうかは怪しくて……」
そう説明された。これが作りたてならば効能があるかもしれない。魔力の流れをわずかばかり感じ、それは微量ながらも想定した理想の流れに近いものだった。
「刻滅病はもう随分と発病した者が確認されていません」
旧オーキド王国の王族だったものがそう答えた。だが、カスミは明らかに刻滅病だ。レプトン王国中を調べた。あの症状と酷似するものはそれであり、レプトン王国内では刻滅病の原因というのに言及している資料は見当たらなかった。
旧オーキド王国は薬の製造に関してはこの辺りで群を抜いて優秀だった。過去に天才が存在したのだろう。薬の製造に国を挙げて取り組み、他国に輸出することで成り立っていた時期すらあるようだった。薬草の栽培が上手くいかなくなるまで、オーキド王国は繁栄を極めていた。現代に至まで医学に関してこの国を越える国はない。
刻滅病を治癒する薬を作ったことのある薬師は全て他界していた。もはや完全に過去の遺物と成り下がったそれの極秘の製造方法だけが王族に伝わっていたらしい。
「疾患の原因は、分かっているのか?」
「異界が関係しているとの伝承があります。異界の空気が、魔力や精神の弱い者が罹患するのではないかという考察が残っています」
異界だと。古き昔には異界と呼ばれる場所と空間がつながっている場所があったとされている。現在の魔獣などはもとは異界に住んでいたとされている。
だが、今はそれはいい。
「材料は?」
「異界の魔獣の血が必要です」
古ぼけた本を小脇に抱えて、旧オーキド王国の生き残りの王族は言った。彼はおそらくこの知識があるために王族であっても殺さずに生かされている。
異界が確認されたのは遥か昔のはず。だが、カスミが異界の何かに触れて発症したのであれば、異界は存在する。もちろん、刻滅病の原因が異界だという仮説が成り立てばの話だが。
「まあ、そういう状況なんだ」
「貴方が何をしにきたのかは理解しましたんで、とりあえずは宰相との交渉を進ませてもらってよいですか?」
数日後、俺の前にはリヒトとダンだけではなく宰相アルバート=アンデグラードがいた。帝国の皇帝に謁見するつもりはない。向こうも俺のような制御不能の人間に皇帝との謁見をさせるつもりもないようだ。つまり、これがラバナスタン帝国とレプトン王国の非公式の交渉、という事になる。が、もはや俺にとっては違う意味を成している。
「交渉もなにも、すでにこの場が開かれただけでそちらは得るものがあるはずだ。そうだろう? なんなら、レプトンへの不可侵の密約でも結ぶか?」
「まあ、我が帝国としてはそれでも構わない」
アルバートが言った。話の分かるやつだ。後ろの人間たちがほっと息を突く。この宰相の一言を聞くために、ここまで俺という人間についてきたのだ。
おそらく、帝国は一枚岩ではないためにこの交渉があったという事は他国にも漏れる。レプトンの至宝と呼ばれる俺が初めて国のために動いたと知れ渡れば、他国は警戒するだろう。先の戦争でも国境に陣取って侵攻には加わらなかったという事実が、さらにそれに影響を及ぼすはずだ。
もちろん、実際はカスミの傍を離れたくなかっただけだが。
その影響というのは、今現在帝国がもっとも欲している時間を得ることができる。他国は今から行おうと思っていた交渉事を修正しなければならない。時間が稼げれば、帝国はすぐに回復していく。
「そういうわけで異界の情報をくれ」
「我が帝国では確認されていない」
手詰まりか。帝国側でも情報を握っていないとなると、なかなか難しいかもしれない。いや、待てよ。
「では、どこの国に?」
言い方がすこしだけ引っかかった。
「分からん、だか知っていそうなやつには心当たりがある」
それで、その情報を元に交渉を再開しようという心づもりなのか。いいだろう、何かしら要求があるのならばこのラングウェイが叶えてやっても良い。
だが、それは確実にカスミを治療する道へと続いているのだろうな。
若干、殺気が漏れたかもしれない。
だが、この宰相とその息子は微動だにしなかった。この程度の殺気であれば感じ慣れているのかもしれない。
「至宝ラングウェイ」
その呼び方はむず痒い。
「息子が言った通りに、我々帝国は貴方と事を構える気はさらさらない。そんな事をしても無意味だからだ。逆に、至宝ラングウェイに貸しができればこれ以上ない成果だと考えている」
アルバート=アンデグラードはつづけた。
「だが、これは私たちにとって、一つの決断だ。そして紹介してそれで済ますというわけにもいかない理由があるのだよ」
多分、ここで首を縦に振らなければ俺はこれから先の奇妙な運命に巻き込まれることはなかっただろう。
カスミのためになら死んでも構わない。
だから、後悔なんてこれっぽっちもしていない。
この時はこの方法以外にカスミを助けることのできる方法が思いつかなかった。
つまりは、俺はこの帝国宰相親子に交渉で完全に負けていたのだろう。そして最初から勝つつもりなどなかったのだ。でなければ俺が負けるわけがない。
「いいだろう。言ってくれ」
アルバートは俺の目を見て言った。帝国の何十万という人口をたった一人で支えているその目が、俺を合格だと言ったのならば光栄なことだ。
「フジテ国の賢者を訪ねるといい。我が息子リヒトが学んだ賢者だ」
「師匠は、少々気難しいところがありまして、行くのならば私も同行します」
英雄リヒト=アンデグラードと共に、フジテ国の賢者を訪ねる。
賢者だと。
賢いやつがそんな田舎にいるわけないだろうという思いと、どうしてもこの親子が嘘をついているとは思えないという思い。そして、紹介して済ますというわけにはいかない理由というのが引っかかる。
「理由を聞いてもいいか?」
「それは本人に会えば分かる。ここでは言えない」
それを言うと宰相アルバート=アンデグラードは立ち上がった。これ以上話すことはないという意味だろう。
「では、お供の方々は国へお帰りください」
リヒトは俺の後ろに付いて来ていたレプトン王国の人間に向けて言った。
こうして、俺は英雄リヒト=アンデグラード、鬼神ダンとともにフジテ国を目指すことになる。この旅が世界を覆す大事件に関係してこようとは、この時の俺は考えていなかった。……関係していた所で止めなかっただろうが。
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