第12話 強さ
戦うことしか知らなかった俺が戦いから逃げている。
ルーオル共和国を越える頃には雨は降り止んでいた。手持ちの金は少ない。それまで稼いでいた稼業をずっとやっていなかったからだ。
だが、今の俺には用心棒すらできない。
フジテ国に入ってすぐの村に着く。農夫がいた。手に持っているのは鍬なのだろう。だが、俺にはそれが鉄製の棒に見えた。鬼神がちらつく。
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
笑いかけるように言ったその言葉がどうしても俺の脳裏から離れてくれなかった。
移動は召喚獣でなんとかなったが、魔力は休まなければ回復しない。食料も寝床も必要だったが、宿を借りるほどの余裕があるわけもなかった。
「何か、仕事はないか?」
たまたま立ち寄った村で聞く。こんな所にも鬼神の影がちらついていた。棒状の何かを持つ人物が一瞬だけ鬼神に見えるのだ。こんな事では、生きていけない。
体ががたがたと震えるのを必死にこらえて、何も持っていない農夫を見つけて声をかけた。
「そうだな、村の用心棒を募集してるって聞いたぜ。あんた、召喚士なんだろ?」
俺の召喚獣を見て農夫が言う。
もちろん、その農夫に悪気などあるわけがない。だが、今の俺に用心棒が務まるとは到底思えなかった。
「ほ、他に何かないか? 実は体の調子がわるくて召喚が安定しない」
嘘をついた。矜持なんてものはいつの間にかどこかに行っていたらしい。
「じゃあ、あの向こうの農家で作物の収穫を手伝えないか聞いてやるよ」
親切な農夫は俺にそう言った。作物の収穫ならば、なんとかなるかもしれない。
運のよいことに、この農村はそれなりに余裕があるようだった。俺は収穫の時期だけという条件付きで雇ってもらえることになったのである。
***
背に腹は代えられないと始めた仕事であったが、農夫たちは俺に優しかった。戦いのトラウマで棒状のものを見ると震えが止まらなくなるというのを、農夫たちは信じてくれた。実際にその通りだったのであるが、俺が暗殺業をしていたなどと知ったらこの人たちはどう思うのだろうかと、らしくもない事を考えた。
「コラッドはルーオル共和国の出身なの?」
この農家には一人娘がいる。まだ8歳という少女だった。俺が仕事を手伝っていると、暇なのか付きまとってくることがあった。
「ああ、昔はルーオル騎士団の召喚部隊にいた」
「すごい! えりーとってやつだね!」
「そんなたいしたもんじゃない」
本当は将来を嘱望されていた。仲間たちとの折り合いがつけば、将来は将軍も目指せただろう。だが、俺はどこに行ってもうまくいかない。
「私もしょうかんしたい」
「はは、大人になったらな」
召喚には強靭な精神力が必要となる。ルーオル共和国以外で召喚士を部隊として編制できている国はそういない。
巨獣ベヒーモスの召喚の契約は精神を止むものが続出する。同期も数名、この儀式を耐えることができず引退した。この少女が召喚の儀式に耐えられるようになるまで何年かかるのだろうかと考え、その前にそんな事の必要のない世の中になれば良いと思った。
驚愕した。
俺は何を考えたのだろうか。
暗殺業にまで身を堕として、他人の命にまるで興味を持てなかった俺が平和なんてものを考えるとは。
だが、少女が遊ぶ背中を見て、それもいいかもしれないと思う。
まだ、俺の周囲には鬼神の影がうろついていた。
どこにいても、体ががたがたと震える。そっと、小さい大きさの召喚獣を召喚した。偵察などに使う小型の鳥であるウイングバードだ。召喚獣を召喚していると、少しだけ震えがおさまった。
「あ! 鳥!」
少女が俺の召喚獣に気づいた。
「ああ、ウイングバードっていうんだ」
ウイングバードに少女の周りを飛んで、最後に肩に乗るように指示を飛ばす。楽しそうに笑う少女を見て、少女の両親の顔もほころんだ。だが、俺に笑う権利があるのだろうか。
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
こんな時ですら鬼神は僕に笑いかける。顔がひきつり、身体の震えを止めることはできない。
「コラッド、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
全く震えが止まらないにも関わらず、俺は少女に笑いかけるように努めた。ひきつった笑顔は少女を安心させるどころか、さらに不安にさせたようだったが、俺にはどうすることもできなかった。
「最近、ルーオル共和国の夜盗たちが国境をこえてこちら側にまで姿を現しているらしい」
村の会合の主題は防衛についてだった。フジテ国の衛兵はこの村には二人しか常駐していない。基本的に自分たちの身は自分たちで守る必要があったのだ。
「いざという時、頼りにはならないだろう」
俺の体の震えは村の中に知れ渡っていたようである。いくら召喚が使えるとはいえ、戦闘そのものに耐えられないと村人たちは判断したようだった。
「あの子だけでも護ってやってくれないか」
少女の父親にそう言われた。
俺には力がある。夜盗くらいであればあっと言う間に蹴散らすことができるだろう。だが、それは以前の話であって、今はどうか分からない。
返事をすることができなかった。そんな俺をみて少女の父親は失望もしなかった。予想していたんだろう。
強くならねばならない。強さとは戦いの技量ではなく、心の強さだ。
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
鬼神は相も変わらず俺に付きまとっていた。
ルーオル共和国からやってきた夜盗が村を襲ったのは俺がこの村にきてから二週間後のことだった。
「女子供を安全なところへ!」
「男衆は武器を取れ!」
村全体が夜盗の襲来に備えて武器を取り出す。そのどれもに鬼神がちらついた。
「コラッド、あの子たちと一緒に隠れていろ」
「無理すんな」
農夫たちは相も変わらずに優しかった。こんな俺に優しさという強さを示し続けてくれた。
「いや、俺も……」
体の震えが止まらなくなった。ガチガチと歯が鳴る。
強さが欲しい。心の強さが。
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
鬼神を殺したい。鬼神に死をもたらせる強さを。
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
震えが止まらない。死が背後から追ってくる。足を何かが掴みにかかる。
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
「すごい! えりーとってやつだね!」
少女の声を思い出した。あの子は俺に何を期待していたのだろうか。
「僕を……。僕に……」
「あの子だけでも護ってやってくれないか」
「じゃあ、あの向こうの農家で作物の収穫を手伝えないか聞いてやるよ」
「コラッド、あの子たちと一緒に隠れていろ」
「無理すんな」
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
「私もしょうかんしたい」
強さはいらない。せめて、この人たちだけでも護る力を。
走った。村の男たちが集まっている。すでに夜盗に矢を射られて傷ついている人もいた。
ダメだ、この人たちだけでも
「僕を殺してみろ。僕に死を運んで来い」
鬼神を殺したい。鬼神に死をもたらせる強さを。
違う、 強さはいらない。せめて、この人たちだけでも護る力を。
「出でよ!」
俺はどうやっても召喚できなかったはずの巨獣ベヒーモスを呼び出した。
鬼神は、いつの間にかいなくなっていた。
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