第5話

 一ヶ月くらいしてとある日のお昼休み、桜は決意して家の事を話そうとした。

「あの、皆さん、お話があるのですが」

「ん?」

 皆の視線を一身に受けて、桜は緊張する。しかし、言わねばなるまい。

「私の家は、鷹之宮財閥です。放課後も帝王学を学んだり日本舞踊を習ったりして時間もありません。それでも、友達でいてくれますか……?」

 桜は皆の反応が怖くて俯いてしまった。

「桜」

「はい」

 那瑠が優しい声で桜に語り掛けた。

「私は家柄で人を判断する人間じゃない。その人の人柄を見て判断してる。それも分かってもらえてたと思ってたんだけど、違う?」

「いいえ、那瑠は決してそんな家柄で判断するような人間ではありません」

「でしょ?良いんだよ、桜は財閥の跡継ぎだってのも、忙しいのも知ってた。だからわざと放課後は誘わなかったんだ」

「そうだったのですね……私ってばお恥ずかしい所を」

「ははっ、良いよ良いよ、疑いがあれば一つずつ晴らしていこう」

「ありがとうございます」

 桜はこの人の前では素直でいよう、そう決意した瞬間であった。璃音も微笑んでいるし、蓮も逹も私を温かい目で見てくれる。友達って、素敵だなと思う瞬間でもあった。

 桜はそれからの日々、那瑠と過ごす日が多くなった。クラスは違えど、お昼休みは勿論、授業の合間を縫って会うようになった。那瑠も快く桜を迎え入れてくれたし、桜も快く彼女を迎えた。忘れ物をした時は貸し借りをし、週末課題も那瑠のバイト先で行うようになった。

 そんなある日のお昼休み。

「桜、最近私、空野葵って子と仲良くなったんだけど、会ってみない?」

「空野葵さんですか、勿論です。仲良くなれれば良いのですが」

「ああ、素直で良い子だよ」

「那瑠がそう言うのなら安心ですね」

 桜はもう絶対の信頼を那瑠に置いていた。桜は那瑠の言葉に安心して会う日程を決めてもらった。明日、土曜日の午後、習い事が終わった後である。那瑠はバイト先で待ってるねと言ったので、桜も分かりましたと返し、お昼休みが終わるまで空野葵の情報を聞いていたのだった。


 土曜の午後、桜はカフェ、あ・ら・かるとに璃音と共に向かった。もう那瑠は仕事をしているだろう。彼女の制服はメイド服。とても似合うので桜は那瑠の格好を気に入っている。

「いらしゃいませ~」

 店長の智弘と那瑠の声に出迎えられて、桜たちはカウンターに寄る。

「あっ、桜さん。空野葵です。葵で良いです」

 するとカウンター席の端に座っていた蓮と逹の隣の女の子がぱっと立ち上がった。

「あら、私の事をご存じで?」

「はい、那瑠から色々聞いてます。財閥のお嬢様だって事も、お忙しい中会いに来てくださってる事も知ってます」

「ふふ、敬語は無しで良いですよ」

「え、本当?ありがとう」

 葵はふんわりとした笑顔を見せた。桜は直ぐに葵の事を気に入って色々話した。葵も桜の事を気に入ったのか、直ぐに打ち解けた。璃音も挨拶をして、璃音とも話をした。那瑠は店長にやっぱりメイド服脱いで良いですか?と言っていて、皆で笑った。

 逹たちは智弘が淹れてくれたアメリカンコーヒーにミルクポーションや砂糖を入れながら、課題を始めた。分からない所があると、葵や逹は直ぐに桜や璃音に訊いてくる。桜は何だかわいわいしながら行う課題も良いなと思った。教える事で自分の勉強に対する理解も深まるし、良い事ばかりである。

「那瑠、お会計をお願いします」

 夕方五時、桜は帰る為に席を立った。那瑠は良いよ今日は私が払うと言って聞かなかったので桜は仕方なく甘える事にする。璃音との帰り道、手をぶらぶらと繋いで帰っていた桜は心がぽかぽかしている事に気が付いた。

「璃音、何だか心がぽかぽかします」

「ふふ、友達が増えて嬉しいんだろう、見ていて分かるよ」

「友達って、良いですね」

「桜の心が変わったようで僕は嬉しいよ」

「変わりましたね、随分と」

 自分でも分かる位、桜は変わった。それもほんの一ヶ月で。逹にあの時テスト範囲を教えていなかったら、桜は暗い高校生活を送る事になっていただろう。声を掛けていて良かった、と桜は思った。

 璃音に自宅まで送ってもらい、自分の部屋に入る前に、桜はじいやに会った。

「お嬢様、最近何処に行かれているのですか?」

「友達の所よ」

「お、お嬢様にお友達が……」

 じいやは驚いてお赤飯でも炊きますか?と突拍子もない事を言い出した。桜は大笑いしながら丁寧に断る。

「じいやは嬉しゅうございます」

「あら、そんなに?」

「はい、友達なんて要らないわと幼稚園に通っていた頃から言っていたお嬢様に、とうとう心を許せるお友達が出来るなんて」

「私も変わるものですね」

「そのようですね、また一段とかわいくなられました」

「ふふ、ありがとう」

 桜はそう言って自室へと入った。ラフなワンピースに着替えを済ませる。風呂に入ってからベッドに入りたかったが、今日は疲れた、このまま眠ってしまおうと思い、桜はベッドに横たわってスマホに通知が来ていないかだけ確認して目を閉じた。


 次の日の朝、桜は昨日夕飯もお風呂も済ませずに寝てしまったので、風呂に入る事にした。じいやにお風呂を入れてくれるように頼んで、その間に朝ご飯を食べるために食堂へと向かう。

「おはようございます、お嬢様」

 メイドのみんなに迎えられて桜もおはようと返して席に着いた。直ぐに朝食が運ばれてきて、メイドのみんなも席に着いた。

「では、いただきましょう」

「いただきます」

 賑やかな食事が始まる。桜は黙々と食事を進めて今日をどう過ごそうか悩んだ。悩んだ末、今日は趣味のマラソンをしてストレス発散をしようと決めて、食事を終える。

 お風呂に入り、桜は長い髪を結ってマラソンをする格好に着替えをした。

「じいや、私は少し走ってきます」

「承知しました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 玄関でじいやに見送られて桜は外に出る。今日はいい天気だ。快晴とまではいかないが、晴れている。雲もそこそこ流れているが太陽の邪魔をする程ではない。

 準備運動をしてから走り出す。規則正しく呼吸をして走るのが桜は好きだった。桜は小さい時からかけっこや鬼ごとが好きで、璃音の喘息が治ってからはよく二人で走ったものである。二人だけのかけっこはあまり面白くはなかったが、それでも好きだった。

 ゆっくり三十分程度走った。戻りの事を考えるとここら辺で引き返すべきだろうか、と思い桜は元来た道をまた走り始めた。

「あれ?桜じゃん」

「蓮?」

 途中の通りを走っている時にふと桜は声を掛けられた。それは紛れもなく蓮で、手には荷物を持っている。桜は走るのをゆっくりと止めて、引き返して蓮の元へと歩いた。

「珍しいな、外で会うなんて。習い事は無いのか?」

「ええ、そうですね。今日は習い事が無いので趣味のマラソンをと思って走ってきた所です。蓮は何を?」

「ドンキで買い物して来いって母さんから言われてその帰り」

「なるほど」

 桜はドンキがどんな店なのか知らないが、大荷物を持っているという事は何でも売っているのだろう、と思った。

「聖南からくるなんて遠かったでしょうに」

「自転車のタイヤがパンクしてたんだ。しょうがなく歩きさ」

「ふむ。蓮のお家はどこら辺ですか?」

「聖南中学校の近く」

「では歩いたら四十分程度でしょうか」

「そうだな」

「ご一緒しても?」

「え、来るの?俺は良いけど、その様子だともう相当走ったんじゃないのか?」

「いいえ?三十分程度ですよ。一度其方の方へ行ってみたかったのです」

「ほう、それなら行こうか」

 桜は喜んで蓮の後を付いていった。蓮は博識で、桜が気にしている経済の話や政治の話にもちゃんと反応して、意見交換をしてくれた。とてもいい時間を過ごしている。そこで蓮とは話が合うな、と桜は思ったのだった。

「此処が俺の家だよ」

「あら此処が。では其方が星川家で?」

「そうそう。家と家の間あるじゃん?俺たちの部屋向かい合わせだから、あそこに橋架かってんの」

 板が一枚、一階の屋根に架かっている。

「危なそうですね……」

「意外と丈夫な板でさ、これまで交換したことはないな。撥水コーティングもしてあるし」

「あら、そんな事まで」

 桜はふふっと笑ってしまった。通りで三人とも仲が良い訳だ。

「私も渡ってみたいですね」

 意図せずそんな言葉が桜の口から出た。蓮はびっくりして桜を見る。

「良いけど、その格好で俺の部屋来る?」

「あ」

 汗はこの四十分で引いてしまったが、ジャージではやはりまずいだろうか、と桜は不安になる。

「着替えて来ましょうか……?」

「ははっ、冗談だよ。でも一応タオルと制汗剤持って来てやるよ」

「ありがとうございます」

「ちょっと待ってて」

 蓮はそう言って家の中に入っていく。最近の私は大胆だなと桜は思った。直ぐに蓮はタオルとスプレータイプの制汗剤を持って来てくれる。

「はいよ」

「ありがとうございます」

 桜はタオルで濡れている部分を拭いて、制汗剤で脇や背中などを乾かした。

「じゃあ、行こうか」

「はい、お邪魔します」

 一歩蓮の家へと踏み入れると、蓮とよく似た女性が飛び出てきた。

「いらっしゃいませ、あらあら、なんて美人さん。私は麗、蓮の母です」

「お褒めにあずかり光栄です。鷹之宮桜と申します」

「た、鷹之宮……!?」

「ええ、財閥の」

「蓮何処で誑かしてきたの」

「えっ、俺?」

 突然話を振られた蓮は声が裏返った。麗と桜は笑う。まあ立ち話もなんでしょうから、上がってくださいと言われて、桜は上がらせてもらった。

 蓮の部屋へと通されて、蓮は早速と言って机の引き出しから小石を取り出した。中々センスのある部屋だ、と桜は思った。綺麗に整っていて、無駄な物を置いていない。

「その小石、どうするんです?」

「まあ、見てなって」

 蓮はそう言って窓を開けて小石を向かいの窓向けて投げた。窓は割れないのだろうか、大丈夫なのだろうか。そんな桜の心配をよそに、窓がガラッと開いて、逹がひょっこり顔を出した。

「どうした蓮!」

「今桜来てるよ」

「え?!桜さん?!大丈夫?手出されてない?」

 逹がそう言うのに笑って、桜も窓へと寄る。

「手出されましたー!」

「ちょ、え!?いやいやいや、出してねえ!今来たばっかりだぞ、本当に!」

「蓮!何してんだー!」

 ゲラゲラと三人で笑いながらそんな会話をして、桜は其方に渡ってみても良いですか?と逹に問いかけた。

「ああ!良いよ!今那瑠バイト行ってていないけど、それでも良いなら」

「勿論です」

「慎重に来てねー」

 逹に言われて桜は意を決して窓の外へと出る。板に足を置いてぎゅっと踏んでみた。本当に意外と丈夫そうである。桜はゆっくりと逹が手を差し出している所まで歩いて、逹の手を取って部屋へと上がらせてもらった。

「わあ、此処が二人の部屋なのですね」

「そうだよ」

 二段ベッドが置いてあって、机が二つ並んでいる。

「二人で過ごすには狭くないのですか?」

「狭くないよ。あっちにもう一つちゃんと俺の部屋あるんだけど、那瑠と離れるのが嫌でいつまでもこっちにいる」

「なるほど」

「お邪魔するぞー」

 蓮が渡ってきた。三人で居るには少し窮屈である。ましてや背の高い蓮が入ってくると尚更だ。

「どうする?何かする?」

「三人はいつもどんな遊びをしているのですか?」

「絵しりとり?はよくやるよね」

「ああ、そうだな」

「絵でしりとりですか、やってみたいですね」

「そう?じゃあ蓮の部屋でやろう、此処だとちょっと狭いよね」

「そうですね」

 そう言って逹たちは蓮の部屋に移動した。しかし、この板、何度見ても不思議だ。折れなくて良かった、と桜は思った。

「じゃあ、俺から描くね」

「れーん、お客様にお茶持っていきなさーい」

 下から麗の声が聞こえて、蓮は今行くーと答えて行ってしまうと、逹は真面目な顔になって桜に紙を渡しながら口を開いた。

「本当に手出されてない?」

「ふふ、出されてませんよ」

「良かったあ」

 逹は一安心と言ってシャープペンシルも桜に手渡す。蓮が戻ってくると、逹は澄ました顔でおかえりと言ったので桜は笑ってしまった。

「これは鳥ですか?」

「そうだよ」

「では私は……」

 桜は林檎を描こうとして兎の形に切られた林檎を思い浮かべた。描けそうだ。二人はじっと桜の手元を見ている。そして段々不安そうな顔になってきた。

「どうしました?」

「これは危険な香りがするよ蓮」

「同感だ」

「え?」

 どこからどう見ても兎の形の林檎ですが?と思いながら絵を描き進める。

「林檎……なのか……?」

「ええ、そうですよ」

 桜は自信満々に答えた。しかし蓮と逹はうーんと唸る。

「これ、兎じゃなくて鰐に見えるんだけど」

 蓮がぼそっと呟いた。逹もうんうんと頷いている。

「鰐ですって?どこをどう見たら……」

 桜は紙を取り上げて自分の絵を見直した。丸くて長い耳、つぶらな目、尻尾。桜はあら?と声を上げる。いつの間にか尻尾が長く太くなっていた。

「……ちょっとだけ修正しても?」

「うん、良いけど、それ修正できるの?」

「……して見せます」

 三人で笑い合いながら絵しりとりは進んでいく。次は逹の番。逹はシャープペンシルをさっと走らせて描いた。

「これは……くまモンですか?」

「正解!」

 桜はパチパチと手を叩いた。蓮も、お前くまモンだけはやたらと上手いよなと笑っている。こうして三人で和気藹々と遊ぶのは桜にとって初めての体験だった。友達の家で他愛も無い事で笑い合い、冗談を言っては突っ込み合う。そんな時間がこんなにも楽しいなんて。

 ふと蓮が窓の外を見た。日が傾き金色に輝く陽光が部屋に差し込み、三人の笑顔を照らしていた。

「そろそろ帰った方が良いかもな」

 蓮がそう言ったので桜は名残惜し気に立ち上がる。蓮と逹も立ち上がった。

「送るよ、聖南の坂は暗くなると少し怖いからさ」

「ええ、ありがとうございます……今日はとっても楽しかったです」

「俺も。桜が来てくれて良かったよ」

「また遊びに来てくれよな!」

 二人の言葉に桜は心の底からの笑顔を見せる。

「はい、また来ます……今度は絵の練習でもしてきますね」

 そう言って桜は蓮に連れられて帰っていった。その足取りは軽やかである。三人の絆は、確かに深まり始めていた。

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