第3話
那瑠たちが部活見学に行っていた、一方その頃。
「桜さん、この後カラオケに行かない?」
「申し訳ありません、本日習い事があるので、辞退させてください」
「そっか、残念。また誘うね」
「すみませんがよろしくお願いします」
桜を取り巻いていた女の子たちが行ってしまうと、ひそひそと声が聞こえた。
「桜さんってすましてるよね」
「感じわるーい」
「やっぱり仲良くなるの止めない?」
「そうだよねー」
「ウチのお父さんからは仲良くしときなさいって言われてるけど、結局会社の為でしょ?」
「多分ね」
桜はそれをはっきりと聞いていたが、途中で聞くのを止めた。そちらがその気なら、こちらもそのようにしてあげよう、そう思ったのだ。
「璃音、お待たせいたしました」
桜は昇降口で待っててくれていた東条璃音の元へと駆け寄る。
「ああ、桜遅かったね」
「ええ、ちょっと」
桜が少し虚しそうな顔をしたのを察知したのか、璃音は大丈夫か?と訊いた。しかし桜は、此処で私があの子たちの悪口を言ってしまうと、自分を貶めているような気持ちになる、と思ったので止めておいた。
「何でもありません、さあ帰りましょう」
「あ、ああ」
桜はツンとしてしまったが璃音は何も言わないでいてくれる。ありがたい。私の友達は璃音だけでいい、そう思っていた。
「鷹之宮さん、この間はありがとう」
「え、何の事です?」
次の登校日、桜はいきなり教室に入って直ぐにお礼を言われた。桜は、確か入学式の初日に暗い顔で参考書を読み入っていたクラスメイトだ。名前は確か、星川逹といったはず、と思い出していた。
「星川さんにお礼を言われる事は何もしてませんが」
「いや、俺にどの範囲が出るか教えてくれたでしょ?そのお陰で赤点逃れられたんだ。だから、ありがとう」
「いいえ、その位何でもありませんよ」
桜はつい愛想笑いをしてしまう。しかし逹は今度お礼させてよ、紹介したい人もいるんだと言う。
「紹介したい人、ですか」
「うん、俺の双子の姉なんだけどね、俺が赤点逃れたって言ったらびっくりされちゃって、何かあったのか訊かれたから、鷹之宮さんのお陰だって言っちゃったんだけど、まずかったかな」
「いいえ、まずくはありませんよ。むしろ嬉しいです。ですが私、毎日のように習い事をしているので、放課後はあまり時間はないんです。申し訳ありませんが放課後以外の時間で手短にお願いします」
「分かった、じゃあ今日の昼休みこっちの教室に連れてくるね。それかお昼ご飯一緒に食べない?」
桜はあまりにも逹が目を輝かせて言うものだから、圧倒されて良いですよと答えた。
「やった!じゃあお昼休み食堂で!」
「ええ、分かりました」
逹はそれじゃあまた後でと言って自分の席に戻っていく。桜も自分の席に座って、璃音に目配せをして此方に来てもらった。
「どうした?何かあったのか」
「今日のお昼休み、人と会う約束をしてしまいました……失態です」
桜は小声で話す。璃音はクスリと笑って、良いじゃないかと言った。
「友達は要りません、所詮お遊びです」
「そんな事言わずに、まず会ってみたらどうだ?」
「ええ、約束してしまいましたから会いますけど、期待はしてません」
「まあ、桜にとってはそうかもしれないな。でも相手は本気で仲良くなりたいと思ってるかもしれないぞ?」
「それなら話は別ですけど……」
「あの少年の話しぶり、本気で喜んでいたようだけど」
「そうなんです、だからどうしていいのか分かりません」
桜は頭を抱えてしまった。どうせ親同士の繋がりとか、仲良くしておけば良い事があるかもしれないから仲良くしておくとか。そんな人が多くて、本気で私と仲良くなりたい人なんていない、そう思って中学まではやってきた。しかし、入学したてでこんなに早く仲良くなりたいという人が出てきて、桜は正直困惑していた。しかも、しかもだ、あんなに素直な目を見たのはいつぶりだろうか。裏のない人なんていないと思っていたが、逹には裏のなさそうな人柄が窺える。双子のお姉さんは鷹之宮と知って近付こうとしているのだろうか、と桜はそんな疑心暗鬼な事さえ考えてしまう。
「桜、この話はまた後でな」
「ええ」
朝のホームルームが始まろうとしていた。璃音は席に戻り、桜も気持ちを入れ替えて授業に臨もうとした。
昼休み、桜は重い足取りで璃音と共に食堂へと向かった。昼はお弁当を持って来ているが、指定されたのが食堂なのだ。
「あ!鷹之宮さん、こっちこっち」
逹が手を振っているのを見付けてそちらへと桜たちは寄る。そこには逹とよく似たポニーテールの那瑠と、長身な身を屈めて窮屈そうに食事をとる蓮がいた。
「まあ座って話そう」
そう言われて桜たちは座ってお弁当を広げた。
「俺は星川逹、良かったら逹って呼んでよ。こっちが俺の双子の姉の那瑠、んで、こっちが俺たちの幼馴染の橋本蓮」
「鷹之宮桜です、桜で結構ですよ」
「東条璃音、璃音と呼び捨てで構わない」
桜と璃音は挨拶をして、桜は那瑠と紹介された少女を見る。
「私は那瑠。那瑠で構わないよ。桜、ウチの弟が世話になったみたいで、ありがとう」
桜は彼女を見た瞬間びびっと来た。この人はなんて素敵な笑顔で笑うのかと、太陽のような人だと思った。
「あ、あの、わた、私、お礼を言われる事なんてしてないんです」
「桜?」
桜の挙動不審さに璃音が彼女の名を呼んだ。
「何でしょう璃音」
「顔が赤いよ」
「な!?何故でしょう?」
「ははっ、そんなに緊張しないでよ、取って食おうって訳じゃないんだから」
那瑠はそう言ってお弁当の唐揚げをぱくりと食べる。
「那瑠さん」
「那瑠」
那瑠が呼び捨てにしろとじっと桜を見た。
「な、那瑠。何て言ったら良いのか分かりませんが、貴女のような方と会うのは初めてです」
「そう?まあ、変わってるとはよく言われるよ」
「那瑠、私と友達になってくれませんか?」
桜の言葉に璃音が目を丸くする。しかし、那瑠は笑ってこう言った。
「え?もう友達でしょ、一緒にご飯食べてるんだから」
「え、そうなのですか?」
「そうだよ、私は友達は選ぶ方だけど、桜も璃音も信用できそうだ、これからよろしくね」
手を差し出されて、桜は一瞬何の事か分からずにいたが、握手じゃないの?と逹にきょとんと言われてハッとした。桜は那瑠の手を握る。
「ははっ、桜、よろしく」
「那瑠、よろしくお願いします」
これが桜と那瑠の出会いだった。それから桜は色んな事を知っていった。那瑠の家はお父さんが死別していて母親一人だという事、蓮の家は星川家の隣でよく行き来している事、部活は三人ともテニスにしようとしている事、等々。
放課後、教室の窓から差し込む陽射しが、少しだけ斜めに傾き始めていた。今日は職員会議があるらしく、部活動の見学は中止。生徒たちは早々に帰り支度を始め、教室も次第に静かになっていく。
そんな中、五人は自然と集まって席を囲むように机を寄せていた。
「今日は部活見学無いって分かってたけど、それでもこうして集まっちゃうの、なんか変だね」
那瑠が頬杖をつきながら笑う。
「変って言うか、もう癖になってきてる感じ?」
と逹が無邪気に笑って桜を見た。
「桜さん迷惑じゃない?俺らみんなでわちゃわちゃしてるの」
その問いに桜は少しだけ考える素振りを見せた後、ふっと小さく微笑んだ。
「いいえ、迷惑だなんて。むしろありがたいです」
そう言って一呼吸置いてから、桜はまた口を開く。
「こうして放課後に集まって話すのって、悪くないですね」
桜がぽつりとそう言うと璃音が隣で小さく笑った。
「珍しいな、桜がそんな事を言うなんて」
「え?わた、私、何かおかしな事を?」
逹は笑って頷いた。
「いや、むしろ嬉しいよ。何かちゃんと友達になれたって気がする」
「そういう事、言葉にするのはちょっと恥ずかしいけどな」
蓮が呆れたように言いつつも、どこか悪くないといった表情を浮かべる。そのやり取りに桜は小さく溜め息を零して微笑んだ。
「みなさん、本当に不思議です」
「不思議?」
那瑠がきょとんとして訊き返す。
「ええ、どうしてこんな風に自然に打ち解けられるのか、私にはまだよく分からないのです。でも、那瑠たちと出会えて本当に良かったと思いました」
「そっか、私もだよ」
そう言って那瑠が笑い、桜も思わず目を細めた。
「そう言えば桜は料理部に興味があるって言ってたよね?」
「ええ……本当はもっとちゃんと部活動に参加したいのですが、私の都合だと週に一回くらいしか……」
「でも、その一回があるなら充分じゃない?」
那瑠が軽やかに言う。
「時間の多さじゃなくて、楽しさとか気持ちの方が大事だよ」
その言葉に桜の目が僅かに見開かれた。何かを図るような沈黙の後、桜は小さく、しかしはっきりと頷く。
「ありがとうございます。本当に那瑠は不思議な方ですね」
「よく言われる」
自信満々に返す那瑠に、逹と蓮が呆れたように肩を竦めた。
「でも料理部って、試食とかさせてくれるのかな?俺、それ次第では見学に……」
「逹、お前が入ると調理場が戦場になるからやめたほうが良い」
即座に蓮が逹を止める。その様子に桜も璃音も笑った。
「璃音は生物部だったよね?何するの?」
那瑠の言葉に璃音は思案した顔になる。
「僕もよく分かってはいないんだが、植物や魚の観察とか、時々飼育もすると言っていたな。桜とは真逆の方向だけれど、ゆるく自由に続けられると思っている」
「自由……良い言葉ですね」
「桜にとって自由って特別なんじゃないかな」
那瑠のその言葉に桜は目を見張って、しかし直ぐに微笑んだ。
「そうかもしれません」
那瑠はその様子をそっと見つめる。桜の言葉の端々に見え隠れする整えられた生活と、その中にある自由への憧れ。そのバランスを知っているからこそ、桜の今日の柔らかい表情が、那瑠には嬉しかったのだ。
窓の外に目をやれば、陽はさらに傾き、グラウンドの鉄棒の影が長く伸びていた。校舎の廊下にも生徒の気配はほとんど無くなり、静かな放課後の時間が流れている。
「そろそろ、行こうか」
璃音が腕時計をちらりと見て口にした。
「えっ、もうそんな時間か」
逹が慌てて鞄を掴むと、つられるようにみんなも立ち上がり机を元の位置に戻し始めた。
「何か、またこうして集まれると良いね」
那瑠が椅子を押し込みながらぽつりと呟く。
「毎日は無理でも、週に一回くらいなら……」
桜が小さな声で言った言葉に、那瑠と逹はパッと顔を輝かせた。
「それ良いじゃん!週一放課後集会って事で!」
「ネーミングが安直すぎる」
蓮の逹への冷静な突っ込みに、みんなの笑いが零れる。
「でも良いと思う。無理せず、集れる時に集まって話したり笑ったりするだけでも」
璃音が穏やかに続けた。
「じゃあまた来週のどこかで?」
逹が確認するように言うと、桜は少し考え込むように目を伏せ、それからゆっくりと頷く。
「……ええ、私の予定が合えばぜひ」
「勿論!」
那瑠がにこっと笑った。その明るさに桜は思わず口元を綻ばせた。
そうして教室を出る五人。並んで歩く足音が重なる中、誰からともなく話し声がまた始まる。こうして逹と桜の偶然の出会いから始まった五人の関係は、確かな形を少しずつ築いていくのだった。
校門を出て桜と璃音と別れた三人は、並んでバス停へ向かう。春の夕方はまだ肌寒く、通りに咲いた花壇のビオラが風に揺れていた。
「……何か、今日の桜さん、やけに柔らかかったよな」
逹がぽつりと呟く。
「うん、確かにな。いつもはもっとビシッとしてるというか、隙が無いって感じだけど」
那瑠がそう言いながら制服の襟元を直す。ふと顔を上げた彼女の目は空の淡いオレンジを映していた。
「慣れてきたんじゃない?俺らに」
蓮はぶっきらぼうに言いながらポケットに手を突っ込み、少し先を歩く。
「……だと良いな。桜って、きっと色んな役割で生きて来たんだろうなって思う」
那瑠の声はどこか遠くを見るような響きだった。
「役割?」
「うん、鷹之宮桜っていう名前に縛られてた感じ。良い子で、ちゃんとしてて、間違えないように生きてる。そんな風に見えるよ」
言い終えた那瑠の横顔に逹も蓮も一瞬だけ黙った。
「でも今日はちゃんと桜さんだったね」
逹がふと笑う。
「俺はああいう顔してくれてる方が好きだな。かわいいし」
「お前、それ本人の前で言うなよ」
蓮が眉を少し顰めて軽く咎めた。
「言わないよー、でも本音だよ」
笑って肩を竦める逹の顔に、那瑠はふっと目を細める。
バス停に着くと既に何人かの生徒が並んでいた。三人はその少し後ろに立ち、バスの来る方向をぼんやり眺める。
「逹、明日のテニス見学、ちゃんと来るよな?」
那瑠が訊ねると、逹は少しだけ目を逸らした。
「……まあ、やるって決めたし、行くよ」
「良かった。じゃないと蓮がまた、逹が逃げたーって騒ぐから」
「おいっ!」
逹の抗議するような声を笑い飛ばしながら、那瑠はどこか楽しそうに空を見上げる。
「なんか、こういう普通の時間、久し振りな気がする」
「普通が一番良いよ」
逹がそう呟いた時、遠くからバスのライトが近付いてきた。三人は自然と歩み寄って横一列に並ぶ。
日常の中にほんの少し、特別な気配が混じったような帰り道だった。
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