08.弟分の気持ち
◇
「モト。まだかなぁ」
静まり返っている待合室にキヨタの声が響く。
小さな声で呟いたであろう独り言も静寂を保っているこの空間では大きな音に聞こえた。
今、俺達は病院の待合室で待ちぼうけを食らっている。右肩を負傷したモトを外科に連れて行くと傷が思ったより深かったらしく、七針も縫う大怪我を負ってしまったのだ。
診察その後に親の同意の下、縫合すると伝えられ(縫合には保護者の同意書が必要なんだと)、付添い人の俺達は待合室に追いやられた。モトは最後まで縫いたくないと駄々を捏ねていたけれど(縫う行為が嫌というより保護者に連絡がいくことが嫌らしい)、この場合は仕方が無いよな。モトの親御さんと顔を合わせることはなかったけれど、もう到着している頃だろう。
俺の他に付添い人を買っているのはヨウとキヨタだ。
他の皆は待っているであろうチームメートの下に戻ってもらった。大人数で行っても病院の迷惑になるしな。これくらいの人数が妥当なんだと思う。
付添い人なんて本当はひとりで充分なんだろうけれど、ヨウは自分の責任だと言って譲らないし、キヨタも親友だからついて行くのだと主張して聞かない。付添い人の面子を見た俺は二人じゃ不安だったからついて来た。勿論、モトが心配だという気持ちもある。
そわそわと落ち着かないキヨタは、「大丈夫かな」しきりに心配を口にした。
「大丈夫だって」俺はそっとキヨタに声を掛け、あいつは強いからと一笑。不意を突かれた顔をしたけれど、キヨタはうんっと大きく頷き、笑みを返してくる。キヨタの方は大丈夫そうだな。
問題は……俺はヨウに目を向ける。右隣にいるヨウは切迫した表情を作っていた。自責しているようだ。
今回のことはヨウの責任じゃない。誰もが分かっていることだ。それは怪我をしたモトだって理解している。自責なんかして欲しくない筈だ。そっとヨウの肩に手を置く。ビクッと体を震わせて驚くリーダーに目尻を下げる。
「モトなら大丈夫。そう思い詰めるなって。怪我はお前のせいじゃない。そんな顔をしていたら、モトが悲しむぞ」
ヨウの表情は変わらない。
「完全に俺の失態だ。終わったもんだと気ィ抜いちまった。ツメが甘かった。ちゃんと相手を伸したかどうか確認すりゃ良かった。そしたらモトは……どうして俺は周りを見ることができないんだ」
自責を口走るヨウに、「それがお前の長所でもあるよ」俺は微笑する。
「なあヨウ。お前は確かに周りが見えないところあるよ。猪突猛進っていうかさ。何事にも真っ直ぐだ。でもな、お前のそういう面は悪い面ことばかりじゃない」
「悪いことばっかじゃねえか」
「いいや。周りが見えなくなるまで、友達のことを助けようとする良い面があるじゃないか。俺はそんなヨウの一面を見てお前について行こうと思った。日賀野の舎弟に勧誘された時は思わず屈しそうになったけど、お前のそういう面を見ていたから結局屈せられなかった。知らなかったらきっと俺は今頃、日賀野の舎弟になっていたと思う。利二が止めてくれていても、きっと、そう、きっと」
自分を過度なまでに卑下しなくていい。ヨウのそういう面に救われた人間もいるのだから。
物言いたげな表情を作るイケメンに、「お前はそのままでいい」周りが見えないくらいに真っ直ぐでいい。もし、悪い方向に向かってしまったら誰かがお前を止めてくれる。そう励ました。
「あいつが出て来たら、お前がモトにしてやることはなんだ? 謝罪? 違う。助けてくれた礼を言うことだろ。詫びるより、あいつは礼を言った方が嬉しいと思う」
「――ああ、そうだな」
ようやく綻びを見せるヨウに俺も表情を崩す。
「良い弟分じゃん。モト」
「ンとに、俺に勿体ねぇくれぇの弟分だ。できた奴だよ。いっつも真っ直ぐ俺の背中を追っ駆けて……可愛い弟分だ」
そうだな、モトはヨウをがむしゃらに追っ駆けている。純粋にさ。
おかげで俺には可愛くねぇ性格だけどな。あの刺々しい性格はなんとかならんもんかねぇ。
「ヨウさん、それ、モトに直接言ってやって下さい。あいつ、凄く悩んでいたみたいっスから」
それまで静聴していたキヨタが会話に加担してくる。
曰く、モトは俺という舎弟ができてから自分の存在価値について悩んでいたらしい。
別段俺とヨウは特別な関係を意識しているわけじゃないけれど、モトの視点では特別な何かを感じたようだ。ヨウから離れた方が良いのか、自分はこのままヨウを尊敬していても良いのか、うんぬんかんぬん悩んでは鬱々としていたらしい。それは決して仲間には見せない、モトの一面だ。
話を聞いて胸が痛くなった。
モトは純粋にヨウを慕っていただけなんだよな。それなのに尊敬も気持ちもない俺が舎弟になったものだから……モトにとってショックで辛くて悲しい出来事だったに違いない。
もしかしたらヨウにとって自分はいらない存在かも、邪魔な存在かも、と悩んでいたのかもしれない。ご都合主義で、俺に敵意を向けっぱなしだったけれど、モトは本当に純粋な気持ちでヨウを慕い尊敬していただけなんだ。あいつに仲間だと明言されたからこそ、聞いていて胸が痛くなる。
会話も途中で途切れ、俺達は暫く暇を弄ばせていた。
随分と時間が掛かっているな。出直してきた方がいいかも。あれこれ思案をめぐらせ始めた頃、ようやくモトが待合室に顔を出した。親御さんの姿は見られない。先に帰ってしまったのだろうか? それともモトが親御さんと別行動を取っているだけなのだろうか?
真意は分からないけれど、ただ一ついえる。モトの顔面は蒼白だ。
「し、死んだ。本当に死んだ」
青褪めたままモトは、「死ぬかと思った」二度と縫う経験なんてしたくないと吐露。刺される経験の方がまだマシだと強く主張する。
「刺されるよりも、麻酔注射の方がやばい……やばかった。オレ、本気で殺されるかと……!」
よっぽど麻酔注射が痛かったらしい。
思い出すのも嫌だとモトは身震いをしていた。俺達はそんなモトに思わず笑った。元気そうなモトに安心したよ、ほんと。
「親は?」ヨウの疑問に、「駐車場で待っています」どうしても付添い人をしてくれた俺達に礼が言いたかったそうだ。今日は親と帰宅するらしい。家に帰ったら説教が待っているだろうな、ゲンナリするモトは力なく肩を落とす。
でも後悔はしていない。
はにかむモトに、ヨウは力なく笑う。詫びたそうな面持ちを作っていたけれど、「あんがとな」素直に礼を告げていた。それでいいのだと俺は思った。ごめん、なんて言葉、モトは望んでいない。
「安心したら小便に行きたくなったな。キヨタ。連れションに付き合ってくれね?」
俺の申し出に、「え?」なんで今まで行かなかったのだと視線を投げられたけれど、いいから来いと首根っこを掴む。
まだモトと話したい。主張するキヨタを総無視してヨウにそこで待ってくれるよう指示。ズルズルとキヨタを引き摺って手洗いの方面に歩いた。
けれど、曲がり角で立ち止まり、二人の様子を陰から窺う。ようやく空気を読んだキヨタも、ひょこっと顔を出して待合室を観察。身を出しすぎだと制服を引き、二人の様子を見守る。
俺達がいなくなった途端、モトの表情が暗くなった。
ボソボソとヨウに何か訴えているようだけれど、うまく聞き取れない。集中して耳を澄ます。
「ヨウさん……貴方の舎弟は無理だと思いました。辞退します。情けない怪我をしてしまいましたし」
「モト、そりゃ俺が」
「いえ、これはオレが油断したばっかり……正直言って、どっかでヨウさんの舎弟になりたい気持ちはありましたけど、オレには無理そうです。ケイみたいに尊敬する貴方に大それた意見なんてできませんから。さっき追われている時の電話でもそうです。貴方に意見なんてできませんでした。なんとなく気が引けると言いますか。ひっくるめてヨウさんを尊敬しているからこそ、思うことがあっても二つ返事で頷くオレがいますし。
オレ、舎弟になることでヨウさんの特別になりたかったんだと思うんです。二人を見ていると特別な関係にあるような気がして。
だけどそう思うのは間違いだって気付きました。
舎弟でなくても、貴方の友達であろうとしたケイを見て、オレは舎弟でなくても貴方の背中を追い駆けることには違いないんだと思いました。逆に舎弟になって貴方の特別になれるかと言えば、そうでもない気がします。
舎弟というプレッシャーに潰されるかもしれません。ヨウさんには尊敬する気持ちが宿ってますから。上手くいかないような気もします。
だったらオレ、今までどおりがむしゃらに貴方の背中を追い駆けたい。ヨウさんが今、どう思っているかは分かりませんけど、オレは辞退します。舎弟には向いていません。キヨタも多分、本気でヨウさんの舎弟にはなりたいとは思っていないと思います。キヨタはオレのことを思って、あんな行動を取ってくれただけなので。尊敬する気持ちはあると思いますけど……。
こんなオレのこと、軽蔑するかもしれませんけど……オレの今の気持ちです。すみませんでした、ヨウさん。舎弟騒動まで起こして……原因はオレの嫉妬からなんです。もう、オレ、ヨウさんの背中……追っ駆ける資格もない気がしてきました」
モト……。
俺は今にも飛び出して二人に話し掛けようとするキヨタを止めながら、しきりに胸を痛めていた。
尊敬しているヨウにあんなことを言うなんて、どれだけ覚悟を背負ってヨウに吐露しているんだろ。モトの気持ちが見えない。
「馬鹿、謝るのは俺の方だ。俺のことを追っ駆けてくれるテメェの気持ちをちっとも考えねぇで舎弟を作ったんだからな」
苦々しい笑声。
沈んでいる顔を作っているモトの頭に手を置いてヨウは申し訳無さそうに笑っていた。
「ケイと舎弟になれて良かった。今もそう思っている。作ったことに後悔もねぇ。けどな、テメェの気持ちを考えなかったのは俺が悪い。それは後悔している。ずっと苦しませていたんだと気付いて反省もしている」
「ヨウさん……」
「俺の中でケイとテメェは違う。決定的に違う感情が一つ、テメェには宿っている。ケイに無くて、テメェにあるもの。何だと思う? それはテメェが可愛い俺の弟分だってことだ。ケイと俺は兄分弟分じゃねぇ。言うなればダチの関係だ。ケイに弟分なんて言った日には笑われるかもしんねぇし、俺も兄分だと思ったことはねぇよ。肩書き上、舎兄弟だから兄分弟分と口にしたことはあっても、心の底の関係はダチだ。
でもテメェは違う。俺はテメェを弟分だって思っている。こんな俺の背中を、テメェほどがむしゃらに追っ駆けてくれる奴、他にはいねぇよ。弟分のテメェこそ、俺の後継者なのかもな。怪我のこと、悪かったな。だけどお前のおかげで助かった。サンキュ。テメェのおかげで俺は助かった……モト、これからも俺に手を貸してくれないか? テメェの力が必要なんだ。俺を支えてくれ。弟分として馬鹿な兄分を」
ヨウがモトに願い申し出る。
こんな形でヨウが誰かに傍にいて欲しいと頼むなんて初めてかもしれない。付き合いが浅い俺でもヨウがこんなことを言う奴じゃないと知っている。だからこそ驚いたし、あいつのことを尊敬もした。
あっ気取られていたモトの表情がクシャクシャになった。うんっと頷き、また一つうんっと頷き、大きくうんと頷いてぽろっと涙を零す。きっとモトの奴、嫌われる覚悟でヨウに胸の内を語ったんだろうな。どんだけの覚悟して気持ちを伝えたんだろう。モトにとって恐怖の塊でしかない気持ちを、どれだけの覚悟を背負って、尊敬するヨウに言っていたんだろう。
「ヨウさんの背中……追い駆けていて……良かった」
モトは嬉し泣きで体を震わせ始めた。
学ランの袖で涙を拭うモトに、「悪かったな」ヨウは軽く肩を叩いて謝罪する。首を横に振るモトはヨウに何か言おうと、口を開くけど、出てくるのは嗚咽ばかり。
ずっと自分の気持ちと葛藤してたんだろうな。病院の待合室にも関わらず、安心したように堰切って泣きじゃくっている。
「悪い。悪かった。ほんとごめんな。もっと弟分のことでぇーじにすっから」
兄分から腕で軽く頭を締められ、モトは嗚咽を噛み殺して相手に縋った。
嬉しさと、今までの葛藤を吐き出すように、ただただ嗚咽を噛み殺して泣いていた。
「――俺っち、あいつが羨ましいっス」
俺とデガバメしていた仲間がぽつりと零した。
あんなにも純粋に真っ直ぐ誰かを追い駆けられるなんて、とても羨ましい。キヨタは胸の内を明かして壁に背を預ける。
「俺っちもヨウさんを尊敬していたけど、モト伝いに武勇伝を聞いたり、そっとヨウさんの喧嘩する姿を見たりするだけだった……俺っちがモトなら耐えられなかった気がするっス。尊敬する不良に舎弟ができた時点で、その場から逃げていた。あ、べつにケイさんを責めてるつもりはないっス」
「うん。分かっているよ」
「モトは凄いっス。ああやって変わりなくヨウさんを追い駆けているんだから。俺っちの親友は自慢の奴っス。とにかく吹っ切れたみたいで良かった。あいつがあいつの意思で舎弟辞退したなら、俺っちも言うことはないっス。俺っちも、モトみたいに背中を追い駆けたいな」
でもできるかな。
眉根を寄せるキヨタに、「やれるよ」お前の熱意だって負けちゃいない。キヨタにもできると声援を送った。
「追い駆けたい奴の背中がいるんだろ? いいじゃん。立派な目標があって。自信持てよ、自分で決めた追い駆けたい背中なんだから」
真ん丸に目を見開くチビ不良が見る見る破顔する。
うんっと頷き、自分も負けずに尊敬する人の背中を追い駆けると握り拳を作った。
「目指せ舎弟の座獲得、いやまずは弟分になれるよう頑張るっス。モトには負けないッスよ」
きらきらと目を輝かせるキヨタに俺はついつい引き攣り笑い。
声援してなんだけど、お前の尊敬する人間はモトと同じ人物だったな。
こりゃ俺とキヨタの舎弟一騎打ちになりそうだ。結果は目に見えているんだけどさ……ヨウがどっちを舎弟にするかだなんて。もう暫く舎弟問題が続くのかな。遠目で近未来を思い描いていると、「ケイさん」キヨタがずいっと見上げてきた。
「俺っち、髪の色を変えようと思うんっス。背中を追っ駆けるためにはまず形から入らないと! どうっすか? 似合いそうですかね?」
どうって……あー……白から金に染めるってことか?
そういやモトも金に染めているよな。あれって尊敬している不良のヨウが金髪だから、金に染めているんだな。
俺はキヨタの身形を見て、「似合うんじゃね」と言ってやった。白よりかは金の方がまだキヨタに似合うと思う。白も似合うっちゃ似合うけど……違和感があるんだよな。中学生のくせに白髪だなんて。
「そうですか!」なら今週中に染めて来ようっと。ウキウキするキヨタが手洗いの方へと駆け出した。本当に小便がしたくなったようだ。仕方がないから連れションに乗ってやろう。誘ったのは俺だし、今は二人の時間を邪魔しちゃ悪いだろ。
小さくなるキヨタの背中を見つめながら、俺は人知れず口元を緩める。
喧嘩に舎弟問題、日賀野達との対立、色んな衝突の中で俺は確かに大切な繋がりを手にしている。これまでの人生で手にしたことのない、繋がりが見出せている。
モトのことも一件でとても好感度が上がった。仲間だと言われて凄く嬉しかった。
不良の見方が俺の中で変化しつつある。
今も不良は恐ろしい。
けれど繋がりを得た不良とは、仲間と思っている不良とはつるんで楽しいと思えるようになった。ヨウとはもう舎兄弟じゃないけど、俺も少し、嘘、随分思ってる。ヨウの舎弟になって良かった……と。
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