第71話 メイド橘真奈美の陰と陽


 とある日曜の昼下がりだった。

「おい隆史、今日からうちにメイドさんが来るぞう」

 宿題をしていたところ、オヤジがおれの部屋に闖入してきた。ほくほく顔のところすまないがノックくらいしてほしい。

「もうすぐ来ると連絡があったから、着替えて居間で待っていろ」

 オヤジと二人暮しを始めて早一年。

 どちらも家事全般が得意ではなく、この際住み込みのメイドを雇って代わりにやってもらう話になっていた。

 ただメイドが来るのはかまわないが、ひとつだけ気掛かりがある……。


 おれはワイシャツとジーンズに着替えて、居間の座布団に大人しく座っていた。

 すると玄関から呼び鈴が聞こえた。

 オヤジが嬉しそうなえびす顔で立ち上がって、揉み手をしつつ居間を出て行く。おれは初対面の来訪者に緊張しながらあとに続いた。

 午後のやわらかな陽差しのあたる玄関には、黒髪のおさげのメイド服の女の子が、オヤジに迎えられお辞儀をしている。おれより少し年上の大学生くらいの女の子だ。

 予想よりも綺麗だった。いやどちらかと言えばカワイイ部類に入るかも。ぱっちりとした瞳に少し赤みのさした頬。おれの視線に気付いたらしく、ちょっと照れた感じに微笑んでくれる。

 胸がわりと大きかった。たぶんFかGくらいあるだろう。そんな豊かな胸部につい目を奪われてしまう。

 ウエストはきゅっとくびれていて、膝丈スカートに隠れている脚は長くて大人っぽい。

 我が家というおれとオヤジだけの男くさい空間に、ふわりと一凛の花が咲いたようで、なんだか気分が弾んできた。

 オヤジが相変わらず揉み手を続けて用意してあったスリッパを進める。

「やあやあ、いらっしゃい。きみがメイドの真奈美さんだね。よろしく」

「はい。ありがとうございます。大川原家政婦紹介所から派遣されました橘真奈美と申します」

「いやいや堅い挨拶は抜きでいいよ。遠慮はいらないからどうぞ上がってください」

「はい。ありがとうございます。大川原家政婦紹介所から派遣されました橘真奈美と申します」

「え?」

「はい。大川原家政婦紹介所から派遣されございます。大川原ありがとう家政婦紹介橘真奈美と申します家政婦紹介所から派遣された橘真奈美と申ありがとうございます。大川原家政婦されてきたござい申します家政婦紹介」

 んん? メイドさんの様子がおかしいぞ。

 いきなり支離滅裂な言葉になってうつむいてしまった。いったいどうしたんだろう? これは緊張しているって具合じゃないな……。

 そう思った瞬間、オヤジが稲妻のような速さでこっちに飛んできた。

 横を通過した刹那、オヤジの顔面に拳がめり込んだ跡が見てとれた。オヤジはそのまま廊下の奥に激突し、M字開脚になって鼻血を盛大に吹き上げる。

「だ、大丈夫かオヤジ!!」 

 おれは全力で駆け寄った。

 オヤジの肩を揺するも白目を向いて昇天しかけているらしい。完全に意識を失った面持ちになり、頭上にヒヨコがピヨピヨ鳴きながら回転していた。

 力なくひらいた口から白いたましいが抜け出していたので、おれはそいつを引っつかみ慌てて口に押し込んだ。

 メイドに視線を走らせれば、拳を打ち抜いた格好で静止していた。握った手の表面から煙がうっすらと昇っている。

「ちょっとキミ。いきなりなんてことをするんだ!」

 メイドが拳を降ろし、あごを上げて挑むような目で見下ろしてきた。

「うるせぇやい。アタイに逆らうな! 今日からおめえらアタイの手下だかんな。これは挨拶だと思って甘んじて受け入れろブァーカ」

「は、はあ?」

 なんてめちゃくちゃな言い方だ……。主人となる俺のオヤジにいきなりストレートパンチを食らわせるだと? そんなふざけた挨拶がいったいどこにある。

 息をのんで警戒していると、メイドが首を鳴らして土足のまま廊下にあがった。黒いピカピカの靴が光を反射する。

 ……ヤバイ。何を怒っているのか不明だが、背後に気炎を昇らせてこっちに近寄ってくる。これはどうやら逃げたほうがよさそうダ……。

「おい、オヤジ起きろ。早く目を覚ませ! ってかなんであんなヤツ雇ったんだよ。危険指数がハンパないじゃないか」

 おれはオヤジを揺すって揺すって揺すりまくった。激しく揺れるオヤジの首が取れそうになっているけどかまわない。

 だがそれが功を奏したらしく、頭上のヒヨコが徐々に薄らいでいき、眉根にしわを集めたオヤジがうめき声をあげた。

「うう……。説明書には、『ご、ご主人様に従順で、誰にでも優しい性格。それに清楚で、と、とっても家庭的』って、書いてあったんだが……」

 オヤジはズボンの尻ポケットに挿していた説明書を震える手でおれに渡した。

 表紙には、<メイド型ヒューマノイドロボット 真奈美の取り扱い説明書>と書かれている。

 ……そう。実はおれがひとつだけ気にしていたのはこの件だった。オヤジは言葉を続ける。

「隆史。もしやあれが今風の家庭的ってことなのか? 父さん時流には疎いんだが」

「いやいやいや、きっとあれは故障だよ! いったいぜんたいどこが優しくて従順で清楚なんだ。あれじゃあまるで気性の荒い火消しの江戸っ子じゃないか。早くメーカーに電話しよう! なあカスタマーセンターの番号は何番だ?」

 メイドが猫背になってぬらりとした歩調で廊下の奥までやって来た。顔に陰りをおびて表情は見えないけれど、両目が赤色に光って十字を描いている。

 そして目前まで来た時、おれは説明書をひったくるようにして奪われた。次いで首根っこを片手で握られ軽々と持ち上げられる。

「ぐぐっ……。苦しい。やめてくれ」

「さっきからペチャラクチャラうるせえよ。おめーちっとこっち来いや。ヤキ入れてやんよ」

 ドスの効いた声で睨まれ身じろぎできなくなる。

「いや待ってくれ。たのむから乱暴な真似はよせ」

 おれはてっきり投げ飛ばされると危惧したが、廊下に降ろされ、えり首つかまれ、ズルズルひきずられていった。

 ワイシャツの生地が喉を締め付けて呼吸が苦しい。いやこのままではヤバイ。ヘタをすればロボの未知的なパワーでいともたやすく殺されてしまう。

 そう悟り、恐怖が脳裏に渦巻くおれは、震える足でどうにか立ち上がった。即座に力いっぱいメイドの背中を突き飛ばし、己の体重をかけて壁に衝突させる。

「オヤジのカタキだ!」

「†‰∬”⊿‡∑ΕⅨÅ」

 前のめりに突っ込んだメイドは、額をゴチリとぶっつけた。床に滑り落ちたあとこっちに半回転して動かなくなる。目玉がそれぞれ明後日の方向に向いていた。

「はぁ、はぁ……。これでとりあえずは安心……かな。さっ、オヤジ。今のうちにメーカーに連絡してこんな野蛮なロボット回収してもらわないと!」

 そう叫び、きびすを返した時だった。足元でなにやら不吉な機械音がたった。見ればメイドの手首がドリルのように高速回転している。おれは背筋に冷たいものを感じた。

 何が起こるのかと固唾をのんで見守っていると、彼女の両目がスロットマシンみたく縦に素早く回った。回って回って回って、ブレーキのかかった目玉が正位置につく。

「あうう……」

 メイドが額を痛そうに押さえながら上体を起こした。危機を察したおれは当然の如くサッとあとじさる。

「うお! ヤバイぞオヤジ、こいつ復帰したみたいだ。早くここから逃げよう! ほら手伝ってやる」

「待て、そんなに力いっぱい引っ張るとパンツのゴムがちぎれるだろう」

「悠長なこと言ってる場合か。ゴムなんてどうでもいいだろ、新しいパンツくらいおれが買ってきてやる。早く腰を上げるんだ」

 二人で賑やかにやっているかたわらで、メイドが静かに口を開いた。

「……あ、あれ? どうしてわたくし、倒れているのかしら……?」

 先ほどまでのガラの悪い雰囲気とは違い、鈴のような可愛い声音が唇から流れる。

「あっ! あなたはこのお家の隆史さまですね。はじめまして。メイドの橘真奈美と申します。このたびは当機をご購入いただき……」

「ちょっと待て。どういうことだ?」

 おれは手を差し向け、申し訳なさそうに挨拶していたメイドの言葉をさえぎった。

「さっきとキャラが違う」

「え? えっと、もしかしてわたくし何か失礼なことを致しましたか? あぁ! そちらに倒れているのはお父様では? 少々お待ちくださいませ! すぐにレコーダーをたどってみますね!」

 メイドはこめかみに指をあてた。揉むようにいじった時、電気がビリリと走る。それから斜め上を見、なにかを回想するみたいな表情になった。

「大変! わたくしこのお家で暴走しちゃってます! 原因はこちらに来る途中、警察から逃走していた黒のフェルトのロングコートを着た露出狂が道路に飛び出し、露出の代償に事故に遭うのは少し割りの合わないことだと思い、わたくしが身を挺して代わりにコンボイに跳ね飛ばされたことです。それで情緒システムに故障が発生して……。あぁ、なんとお詫びしたらよいのでしょう」

 メイドはわなわなと両手で口を押さえ涙目になった。すぐに居住まいを正して三つ指をつき。何度も何度も板間に頭をぶっつける。激しい衝突音が廊下に響き渡り、天井のそこかしこからほこりが降ってきた。

「いや、謝るのはいいけど頭突きで床にヒビを入れないでくれ。お願いだから、それ以上やるとキミは自分であけた穴に頭から落っこちるぞ」

「すみません。わたくしがすべて悪いのです。本当に、本当に」

 言うや否や、こっちにやって来てオヤジの顔を胸にそっと抱きかかえる。そして介抱するみたくやさしい手つきで頭に触れた。

 涙で濡れた双眸をそそぐメイド。

 オヤジは「いいからいいから」と柔らかそうな胸のふくらみに押されて、まんざらでもなさそうだった。


 それから二時間後。

 オヤジとおれは食卓にすわり、真奈美さんが作る初めての夕食を待っていた。

 あのあとメーカーに連絡してみたが、現在、修理の担当者は不在とのことだった。言うに仕事がうまくいかない時、たまに黒のコートに身を包んで外出する癖があるという。

 代わりに明日の朝一、別の修理者がこっちへ向かってくれるそうだ。メイドの頭部に衝撃を与えない限り使用上の問題は発生しないらしい。

 その際にメイドは自身を回収するようオヤジに申し出ていたが、おれ達はそれをやんわりと断った。根は良さそうなので予定通りこの家にいてもらうことになる。

 そしておれは、台所で手際よく調理に勤しむメイドに向かって声をかける。

「ねぇ、真奈美さん。やっぱり食事はいいから今日は安静にしててくれないかな」

 不安が離れないおれは、なるべく明日の朝まで布団にでも入って過ごして欲しかった。

 メイドはまな板の上でサクサクと刻んでいた包丁をとめて、やおらこっちにふり向いた。エプロンに両手をそえてゆっくりとお辞儀をしてくる。

「お気遣いありがとうございます。しかし隆史さま、お言葉ですが、当家にお使いさせていただくことになった初日に、何もせず寝ているなんてお二方にとても失礼です。常々慎重に行動しますからお食事を作らせていただきませんか?」

「う~ん」

 あまり止めるのはあれだけど、先ほどみたいな有事が起こった場合、どう対処すればいいのだろう。とりあえず近くの窓から外に逃げればいいんだが家はメチャメチャに破壊されないかな? 

 でもそういえば久しぶりにまともな手料理が食べられるな。肉を煮込む美味しそうな匂いがやってきたしお腹の虫は鳴いている。

「おい隆史。今日は真奈美さんのしたいようにさせてあげようじゃないか。というワケで真奈美さん、出来た料理から持ってきておくれ」

 冷えたビールを飲みほして、酔いの回っているオヤジは昼間のことなど忘れて上機嫌だ。

 おれは逡巡しながら腕を組んだ。 

「まあいいけど。なんかなぁ……」

 するうち、おぼんに小鉢を載せた真奈美さんが丁寧な足どりで進んできた。

「片手で失礼します。先にこれをお召し上がりくださいませ。主菜のビーフストロガノフは出来次第すぐにお持ち致します」 

 里芋の煮っ転がしをテーブルに置いた真奈美さんは、おぼんを手にそっと微笑んでくれる。

 そして台所のほうへときびすを返した時だった。

「あっ!」 

 短い声を発した真奈美さんが、足をもつらせ床にビタンと張りついた。手からおぼんが離れて虚しく転がってゆく。

 ──嫌な予感がした。

 おれとオヤジは椅子からそろりと立った。一度顔を見合わせて、動かなくなった真奈美さんを恐るおそる眺めおろす。

「あの……真奈美さん? だ、だいじょうぶ……? けっこうつよい音がしたけど」

 震える声で呼びかけた瞬間、足首に痛みが走った。見れば彼女の手がガッシリと掴んでいる。絶対に逃がさない意思が伝わるその握力に心臓が縮みあがった。

「ひっ!」

「ガギギギギギg」

 床でうつぶせになっていた顔がゆっくりと横にずれ、頬にかかるおさげの向こうから殺し屋みたいな冷酷な目が見据えてくる。そばに居たはずのオヤジがいつの間にか消えていた。窓を見るとすでに片足を掛けていた。

「おい。アタイを上から見下ろそうなんざ百万光年早いんだよ。さっさと地にひれ伏せこの犬っころ!」

 手を離したメイドがそう吐き捨て、ゆらりと猫背で起き上がってきた。どんよりと暗く危険な影を背負っており、殺気に満ちたオーラがやばいほどに伝わってきた。

 おれは成すすべもなく、足払いを受け、いとも簡単に転ばされた。床に横たわったおれは、咄嗟に頭をかばいダンゴ虫になった。

 だが、おれの頭上にヒヨコが回転するまで、そう時間はかからなかった……。  

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