第52話 変質


 観覧車が回り、ジェットコースターが悲鳴とともに去っていく。俺はサチの手を引いて進む。

 晴れた日のゆるい北風のなか、背後を向くと、厚手のフードを被ったショートボブが見えた。

 サチがおもてを上げた。顔がこわばっていた。ヘアピンのヒヨコも心なしか落ち込んでいるみたいだ。

 手はコートの生地を握ったり戻したりしている。緊張して汗がにじんでいるのだろう。

 なぜなら前方に、幽霊屋敷の入り口があるからだ。

 俺はチケットを買った。サチは眉尻を下げたまま、口をちいさく波打たせた。

 そんな姿に声をかけた。

「じゃあ中に入ろうぜ。俺がちゃんと着いてるからきっと大丈夫だ」

「……」

「どうしたんだ?」

 ムートンブーツが前に出たが、おじけたように戻った。目線が下がって口がへの字に曲がった。

 彼女は地面をジッと見つめて、こう呟いた。

「……帰りたい」

 泣きそうな声音で気落ちしているが、俺は構わずかぶりを振る。

「だめだぞ。ここで怖い目をたくさんすれば、心が鍛えられて、普段の生活があまり怖くなくなるはずだ」

「うーん……」

「慣れればいいんだよ。恐怖というやつにさ。そうすればオドオドした性格はマシになるって」

 俺は考える間を与えず手首をとった。無理やり引いて入り口をくぐった。

 荒療治かもだが、これくらいやらないと効き目はないだろう。

 なぜかと言えば、俺の彼女は気が弱い。

 虫は苦手。幽霊も苦手。アニメで残酷なシーンが出るとすぐに顔が青くなる。

 映画のグロいシーンにも、「怖い怖い」と目をおおう。そのままの姿勢で俺に、場面が変わったかたずねてくる。一度いたずらで嘘を言った時は、だまされたことに立腹してポカポカ叩かれたこともある。

 俺がタンスのカドに小指をぶつけようものなら、まるで自分のコトのように痛々しい表情になる。食べていたアイスを置いて、目を鳥の足跡みたいに縛って固まってしまう。

 デートで慣れない場所に連れて行くと、キョロキョロしがちで落ち着かなくなる。そんな様子は、さながら迷子になった幼稚園児だ。

 俺はそんな彼女──サチに対し、なんて生きづらい性格だと呆れていた。だが、そのぶん優しい性格をしているので、まあ悪いことばかりではない。

 彼女は熱帯魚を大事に飼育している。エサを与えながら、水槽ごしに愛情をそそぐ横顔はとても可愛い。それに俺との会話中は、よく微笑んでくれる。

 今は互いに大学二年だが、将来、結婚を考えている相手なので、なるべく克服させたい。そして自信をつけてもらいたい。じゃないとこんな臆病な性格が長引いたら、生活面で苦労をするだろう。

 だから日曜日の今日、遊園地に誘ったのだ。


 屋敷に入ったあと、歩調を落として、うす暗い廊下を進んだ。

 不気味な低トーンの音楽が流れてくる。彼女が身を寄せてくる。やはり怯えているらしく、震えているのが伝わってきた。

 壁には巨大なクモやムカデが止まっていて、湿った匂いが漂っている。

 そんな廃墟じみた廊下を、道なりに歩いて警戒していた。すると突然、障子が引かれた。俺は目をみひらいた。

「どわあ!」

 黒髪の下がった顔面が現れた。紫色に腫れあがった女の顔だ。

 俺は思わずのけぞった。おばけ役の白装束が登場したからだ。

 女は両手を垂らし、うらめしそうな声で唸っている。俺は不意打ちを食らったが、すぐに気を取り直して足を前に出した。

 が、左手に抵抗を感じて下を向く。

 サチがしゃがみこんでいる。まるで殴られるのを恐れるかのようにフードを引っぱって、身を丸くしている。

 よほど怖かったのだろう。息をヒクヒクと継いでいた。俺はなだめようと声をかけた。

「これくらいで驚いちゃダメだ。ここからまだまだ恐怖度は上がっていくぞ。だから立ち上がって進もうぜ。そしてこの試練を乗り越えるんだ」

「いやだ。こわいよう……」

「おい。子供みたいなこと言うなよ。俺たちもうハタチなんだぞ。頑張って出口を目指すんだ」

 俺は言葉の途中で、口調を厳しいものに変えた。

 叱りつけたわけではないが、幼稚園に行きたくないとダダをこねる娘を注意している親の気分だ。

「ほら。何をぐずついてる。行くぞ」

「おばけ。ヤダ……」

「腑抜けたこと言うなよ」

 脇をとって強引に立ち上がらせた。サチは腰砕けになっているが、フードを外して横並びに歩かせた。

 次に現れたのは、頭に斧が刺さっている落ち武者だ。血のりと苦悶の表情から痛みが伝わってくるようだ。

 これにも俺は驚かされたが、所詮はメイクで作ったものだ。すぐに気を改めて、足もとの彼女を見る。

「なんだよ。またしゃがみ込んでるのか。オバケが出るたびにそうしていたら、後続の客に迷惑をかけてしまうぞ」

「あうう……」

 サチは涙声で鼻をすすって、しゃくりあげた。うるんだ瞳が揺れていた。

「こわい。こわい……」

「甘えちゃダメだぞ。大学を卒業して社会に出たら、もっと大変な世間の荒波が待っているんだ。こんな所でくじけちゃ俺たちやっていけないぞ」

「もういやだ。こんなところいやだ……」

「あのなあ。オバケ屋敷なんて、たかだか作りものじゃないか。こんなものは全部子供だましなんだ」

 俺の言い分に、彼女は首をぶんぶん振って拒絶を示す。目尻から涙がすべり落ちる。

 もう館内の音楽すら聴きたくないのか、耳をふさいで自分の殻に閉じこもってしまった。

 俺はかがんで、両手をとった。力を入れて左右にひらいた。

「聞け。どうしても怖いなら、思いっきり叫べばいいんだ。恐怖を声に変換して、外に出してしまえばいいんだよ」

「喉がつかえて、そういう声、出せない」

「そんなコトはないさ。一度やってみろよ。端からあきらめちゃダメだ」

「うう……」

 サチは困惑し切った顔で、唇を貝のように縛った。鼻を赤くしたままコートの袖で涙をぐしぐしぬぐう。だが涙があふれてくる。

 どうやら説得は通じないようだ。よって方法を変えてみた。

「そうだ。いいことを思いついたぞ。無事にクリアできたらその時は、お前の大好きなイチゴパフェを奢ってやる。どうだ?」

 サチはまぶたと口を閉じて、ほっぺたを濡らし、震えながら恐怖心と戦っているようだ。

 だがそんなやりとりの末、彼女はゆっくりと目をひらいた。俺はしっかとうなずいた。

「がんばれ。ゴールの先にはイチゴパフェが待っているぞ」

「……ぱふぇ」

「おう。そうだ。さあ立ち上がれ。出口を目指して乗り越えるぞ」


 ──そして、俺たちは進むことになった。

 途中、彼女はオバケが登場するたびに悲鳴を上げた。

 普段、サチは大きな声を出さない。だから最初は遠慮がちに声を上げていた。

 だが慣れてきたらしく、終盤になるとそれはもう金切り声と言えるほどの声量で、逆にオバケを驚かせたほどだった。

 やがて、垂れ幕をよけると、まばゆい光が飛び込んできた。俺は無事にゴールしたことを喜んだ。

「よし! 終わったぞ」

「キャー! キャー!」

「よかったな。どうにかこうにかクリアできたぞ。……どうだ? 今の気持ちは?」

「キャー! キャー!」

 サチは青空に向かって甲高い声を震わせる。

「おいおい。もう幽霊屋敷は出たんだぞ。驚くような場面はないだろ……。あっ」

 俺の笑顔が引きつったものに変わった。

 なぜならサチは俺のほうを見ていなかった。

 瞳孔がすぼんだ夜叉のような顔をして、空をあおぎ、奇声を上げていた。引き伸ばされた口端からヨダレが垂れていた。

 俺は背筋に冷たいものを感じて、さっと身を引く。

 周囲の客が何事かと集まってきた。誰もが不思議な顔で眺めてくる。

 彼女はどれだけ注目されても、うるさく叫ぶのをやめなかった。

「キャーキャーキャーキャー!」

「……おい。もういいから。やめろって!」

「キャーキャーキャキャキャキャ!」

 髪をかきむしって、バネのようにぴょんぴょん跳ね始めた。俺は肩を抑えて静止をうながした。

「なあ。どうしたんだよ? 頼むからもう黙ってくれよ! 人がたくさん見てるじゃないか」

「キャーキャー! キャーキッキッ」

「マジでやめろって! 何をやってるんだ! おい!」

「キッキッ。キキキキきききき。ギギィ。ギギギギギギギギギィィィイイ!」

 俺を無視して狂ったようになり、声高らかに吼え散らす。涙と鼻水を流しながら、もう止めようがないほど夢中になっていた。

 サチは両手を翼のように広げ、ぐるんぐるん回りだした。周囲の人々が、気持ち悪いモノを見る目でざわめいた。

 係員が走ってきた。警備員もやってきた。

 俺と視線があうと、何があったのか目で訴えてきた。しかし俺は怯えたまま、何も答えることができなかった。

 

 ──その後、彼女は救急搬送され、精神病院に隔離されてしまった。

 多大なストレスが一気にかかった影響で、心が分裂したと、担当医が責める目つきで説明していた。

 あれから一年。

 今日も冷たい鉄扉の向こうから、サチの嗄れた悲鳴が聞こえてくる……。

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