第5話 新作 と 帰る場所

◇5◇


 こうして、俺は究極のラノベを手に入れた。当然ながら『商店街編』も読破したし、とても面白かった。

 だけど人間って欲張りなんだよなぁ……新作を求めてしまう訳でして。いや、何度も二作品は読み返していますけどね。

 とは言え、二作品とも著作権の都合上、俺の手元にはない。


「さ、さすがに、恥ずかしいからぁ~。……読みたい時に借りにきて?」


 と、耳まで真っ赤にしながらお願いされてしまったのである。よ、読むのはいいのか……。

 まぁ、そこは読めなくなる危険性を考慮していた俺。素直に了解して、読む時に小豆へ借りることにしているのだった……うん、二日おきに。一日一作品を借りているから二日おき。

 借りる為に頼むと、「う、嬉しいんだけどぉ~、よく飽きないね?」なんて苦笑いを浮かべて聞かれるのだが……俺には妹の言っている意味が理解できないでいたのだ。

 いや、確かに俺は唐揚げが大好きで食べ過ぎているかも知れないが決して鳥頭ではない……はず。

 だから内容を忘れているから何度も読み返しているのではない。

 単純に面白いから読み返しているだけだ。内容を知っているからと言って飽きることはないはずだ。

 俺にとっての面白い作品は、日本人にとっての『白米』にひとしいのだと思う。

 いや、そもそもの話……お前だって毎日同じ『お兄ちゃん』に飽きたことなんてないじゃないか――よって、俺は悪くない! よし、論破ろんぱしたところで先に進めよう。


 だいたい寝る前に読むことが多いかもな。

 大人の寝酒……いや、俺は未成年なので添い寝CD代わりなのかも知れないのかな。いやいや、未成年じゃなくても、それでお願いします。


 基本的な話の構成が、俺達の思い出をベースにつづっているのだから当たり前なんだろうけどさ。

 幼い頃からの情景が鮮明に脳裏へとよみがえってくる。当時の記憶や想いが目の前に溢れ出してくるのだ。そして――

 作品には兄妹の楽しい思い出だけが綴られている訳でもない。

 俺が家を飛び出して、俺達が離れ離れになったことや、妹が悲しい衝突を起こして、いじめにっていた頃……。

 そんな悲しい思い出である、負の場面も存在するのだった。

 そして、そこをて、妹が俺を家に呼び戻してくれて……家族として再び、同じ時を刻み続ける。

 もちろん全体的に脚色きゃくしょくほどこしてあるのだから、ノンフィクションではないけれど。

 二人を中心に親父達や智耶。明日実さんや香さんやあまねる。

 そして俺達の周りの人達との交流を描いた作品。

 言ってみれば自叙伝じじょでんのような作品が、妹の一人称視点で克明こくめいに書き記されていたのだった。

 

 確かに脚色されている部分も多く見受けられる。とは言え、判断できるのは俺の知っている部分。つまり、兄妹の思い出の情景だけしかない。

 だから俺の知らない部分や、特に妹の心情部分が、作中の妹なのか、リアルな小豆のことなのかは俺には理解できない。まぁ、心情なんてリアルでさえ俺が理解できるものでもないんだろうけど。

 まして、数年前の心情を克明に覚えているとも思えない。特に悲しかった頃なんてな……消し去りたいはずだ。

 それでも、書かれている心情にいつわりがあるとも思えなかった。作り物――そう、イミテーションではないと思っている俺。

 だから作品内の妹の思考や当時感じていたこと。

 多少の脚色がされていようとも、これが小豆の心情だったのだろうと感じていたのだった。


 先生やおじ様達は、当時の俺達に起きた事実の詳細を知らない。

 もちろん俺達が離れ離れになったことや、小豆が学校を休んだり転校したのは周りで見ていたから、おじ様達は事実について知っているだろうが。

 とは言え、詳しい事情なんて知らないのだから漠然ばくぜんと「この作品は事実にもとづいたフィクションなのだろう」なんて感じていたのかも知れない。

 だけど仮に作品がフィクションだとしても、「俺には読む義務がある」のだと感じていたのだろう。そう感じさせる『何か』が、小豆の作品にはあったのだと思う。

 うん、全員が正面から小豆と向き合ってきているんだからな……。


 正直、読み始めるまでは押し付けられたことに戸惑とまどいを感じていた。

 いや、普段の小豆の言動を肌で感じているんだからさ。どうしてもシ●ナ●中毒患者のような思考で書かれた内容だと考えていたから。と言うより、騒ぎを起こした直後だったし、そんな内容だと思っていた。

 要は、『お兄ちゃん信者』の書いた内容だと思っていたのだった。

 別に俺はめられることは嫌いではない。むしろ褒められたい人間だと思う。

 まぁ、褒められて木に登り……登ったことに満足して、何事もなかったようにスルスルと下りてくる。つまり伸びない子ではあるけどね。


 でも俺は……自分が間違っていると感じていることまで褒められたいなんて思っていなかった。

 間違っていることは間違っていると、そう言える、言ってもらえる関係性にあこがれていた。だから、妹の言動から「お兄ちゃんのすることは、なんでも正しい」なんて。

 信者的な発想で書かれているであろう退学届を、俺は読みたいとは思っていなかった。ところが、だ。

 まぁ、そもそも退学届なのだから。


『私、霧ヶ峰小豆は一身上の都合により、当校を退学します。』


 的な冒頭を予想していた俺。いや、退学届なんて書いたことがないので知りませんし、できれば知りたくないのです。

 まぁ、中学時代は……自主停学常習犯でしたが、奇跡的に退学までは到達しなかったのです。そもそも、公立中学で退学だと高校へは簡単に入学なんて無理なのでしょうが。


 それなのに一枚目に目を通した俺の視界に映りこんできたのが。


『――その光景を視界にとらえた瞬間、私の存在がこの世界から切り取られ、周りのすべてが虚無きょむへと変貌へんぼうげていた。』

 

 こんな小説の冒頭みたいなことに面を食らって、読む直前までの俺の思考なんて簡単に消し去っていたのだろう。

 まさに、俺の周りを取りつくろう常識と言う名のすべてが虚無へと変貌していたってことなのだと思う。

 まぁ、なんてことはない……妹が退学届を提出した前々日。単純に腹が減って玄関で倒れた俺を見たってだけの話。

 それなのに、こんな書き出しで始まったかと思うと。


『私の視線の先。玄関で横たわり、苦しみを抱いて眠る彼――敬愛けいあいする兄の姿を、漠然と眺めるだけで力になれずにいた私。

 目の前の光景に恐怖すら覚え、を進めることができずにいた。

 それでも……内側に吹き抜ける冷たい風によって、さぶられながら全身を支配している焦燥しょうそうあらがうように。

 ほんの数歩の距離でさえ、数マイルに思えていた私は重い足取りで彼のそばまで近づき、冷たい床から解放するように、両手で彼の頬を包み込み、おもむろに膝の上へといざなっていた。

 彼の苦しみをやわらげてあげられずに、ただただ膝の温もりを与えることしかできなかった私。

 自分の無力さをなげき、せめて彼の受けた苦しみを分かち合いたかった――だけど、彼の苦しみは私には受け取れない。

 そんな不甲斐なさを感じながらも、せめて彼に自分の体温を分け与えたかったのだろう。


 だけど知っていた、気づいていた、理解していた……。

 彼の苦しみ、与えられた痛み。それは私のせいなのだろう。

 なぜ、彼は苦しまなければいけないのか。

 どうして私ではなく、彼に背負わせなければいけないのだろうか。

 受け取ることさえ叶わない、そんな苦しみを彼が抱いていることが悲しい。

 数年前に襲った私達の悲しい過去。それを乗り越えて再び分かち合えていると言うのに――。


 どうして、こんな現実が起こってしまったのだろうか。 

 どこから、私達の時間は狂い出したのだろうか。

 未だ苦しみを抱いて私の膝で眠る彼を眺めながら。

 何も知らなかった、悲しさなんて感じずに微笑みを交わしていた幼い頃。

 その頃へと想いを馳せている私なのであった――。』


 こんなプロローグを経て、過去への回想へと進んでいるのだった。

 ……うん、何度読んでも小説にしか見えないよな。と言うよりも、「これを小説ではない」と言える人物がいたら会ってみたいものだ――って、書いた本人は「えぇ~、どこから見ても退学届じゃん?」と言っていましたね。……うん、どこから見たんだろうね?

 あれかな? スイカの谷間から見ると退学届に見えるのかな? 見えませんね、知っています。

 とは言え、妹には『お兄ちゃんが呼んでくれた時から』理論が存在するので、今は自分でも小説だと言っていますけどね。

 あと、ここまで読んだ時点で「相当な脚色しているな?」って、気づいたのである。

 うん、あの時の状況なんて実際にはドタバタコメディにしか見えなかったしな。


 俺のそれまでの思考を消し去った状態では、普通に小説を読み始めた感覚でしかない。作品を楽しみたいと願う読者の思考になっていたのだと思う。

 そう、俺は何も考えずに目の前の世界へと足を踏み入れていたのだった。

 読んでいて気づいたこと。いや、考えを改めていたこと。

 妹は決して『お兄ちゃん信者』ではなかった。小豆には小豆の信念が存在していたのであった。

 だから俺のこと、周りのこと、自分のこと。

 当然本来の性格の優しさから、誰に対しても気遣う部分はあるけれど、誰に対しても間違っていることは間違っていると、正しいことは正しいのだと。

 すべて妹の信念に基づき綴られているのである。


 だからなのかも知れない。

 俺にとっては知らなかった、離れ離れの頃の小豆。そして、知っている頃でも気づけなかった小豆の本心からくる想い。

 そう言う小豆のすべてを知ることのできる作品。

 それは俺にとって――妹との距離を縮められる大事な話。絆を深められる大切な宝物なのだと思う。

 そんな風に感じているから何度でも読み返したいと思うし、少しでも深く小豆のことを知りたいと願っているのだろう。


 ――そして。

 最初に作品を読み終えた瞬間、それまでの妹として、一人の女の子として抱いていた俺の小豆への想いは。

 一人の女性に向ける、確かな『愛』へと変わるのだった。

 ……うん、たぶん、この瞬間に既に愛していたんだろうな。

 本人は退学届であり小説だと思っているんだろうが、俺にとっては『究極のラノベ』――つまり、俺宛のラブレターなのだろうと感じていた。

 普段の妹の言動と想いを知っているし、内容的にも俺へ向けられた溢れんばかりの愛を感じていた。

 恥ずかしい話……読み終えた瞬間に自分の胸に溢れる想いにあらがえず、小豆の元へ向かい妹を抱きしめたくなっていた。もちろん理性を総動員して却下していましたけどね。


 確かに俺は女性に免疫がないさ、そもそもラブレターなんてもらったことがないしな。

 だから初めてもらったラブレターに浮かれていただけなのかも知れない。

 それでも。

 俺は確かに小豆の愛を受け取って、小豆への愛を確信していた。

 実際に、俺は読み終えた瞬間……香さんへの想いに終止符しゅうしふを打とうとも覚悟していたくらいだ。だけど俺は、それをしなかった……できなかったのではなく、しなかった。

 もちろん、実際に『そんな結論』を出したのならば心の中で葛藤かっとうが生まれるだろうし、未練が決断をにぶらせると思う。

 情けない話だけど、俺は自分の気持ちを簡単に割り切れるほど大人じゃないからな。すごく悩むし、「もったいないよな?」なんて自分よがりな考えも持っていたかも知れない。

 だけど。

 別に俺は、自分よがりな考えで終止符を打たなかったのではないのだった。


 俺が香さんへの想いに終止符を打たなかった――小豆への想いを踏みとどまったのは、単純に過去の自責の念が邪魔じゃまをしたからに過ぎない。

 きっと小豆を愛しているからこそ……その想いを免罪符めんざいふに使いたくない。小豆の想いを受け入れることで自分に許しを得たくない。

 いや、小豆にだけではないんだけどな。香さんにだって俺が巻き込んでしまった自責の念はぬぐえていない。だから俺は足踏みをしていたのだ。


 ――結局のところ、さ。俺は弱虫なんだよ。

 二人のこと……いや、これは『今』の俺の言葉なんで、あまねるも含めた三人なんだろうけどな。

 正直俺と彼女達の関係性をかんがみて、俺が好かれる要素なんて見当たらない。むしろ嫌われても不思議じゃない行動を取っていたくらいだ。

 小豆は俺が巻き込んでトラウマを抱かせてしまった。香さんなんて文字通り、キズを負わせてしまった。

 あまねるだって、きっとそうなのだろう――。


 俺が巻き込んだせいで心に自責の念を抱かせてしまった。

 そして、小豆の為にと人気のない路地裏に呼び出したから、あいつらに襲われそうになっていた。トラウマを背負わせてしまったのだ。

 本来だったら。

 あの時、自分が盾になってでも彼女を逃がすべきだと考えてはいた。だけど俺はしなかった。

 きっと彼女の身の安全よりも小豆のこと。そう、自分の目的を優先していたってことなのだろう。

 最終的にけつけてくれた透達のおかげで事なきを得たのだが。

 正直あの人数を相手では、俺には彼女を完全に守ることなんて叶わなかったのだと思う。


 完全に『そんな雰囲気』を醸しだしていた連中。

 あのまま、透達が現れなかったら――。

 守りきれずに彼女の体と心に一生消えないキズを残すか……。

 守りきる為に彼女の記憶と心に一生消えないキズを残すか……。

 そんな選択肢が俺を待ち受けていたのだろう。

 当然ながら俺は確実に後者を選んだのだと思うけどな。

 彼女を傷つけ、結果小豆までも傷つけることになっていたはずだ。

 

 そんな風に自分勝手な行動に巻き込んでキズを負わせてしまっている三人。

 それなのに彼女達の優しさによって、ごく自然に接してもらっている俺。だけど、それに甘えて自分の罪を無視したら。

 俺は自分の犯した罪に向き合っていないってことなんだと思う。

 別に三人を愛している気持ちは、贖罪しょくざいからくるものではない。純粋に好きだから「愛している」のだと断言できる。

 だけど。

「好きなら何をやってもいい」なんてことは間違っているのだと思う。いや、違うな……。

 好きだからこそ、自分の好きに正面から向き合いたいのだと思う。

 本気で好きだから自分本位なことをしたくないのだろう。

「これでいいや」とか「こんなもんで十分だろう」なんて妥協だきょうをしたくないってことさ。

 ……まぁ、そんな負い目が三人に踏み込めない理由ではあるんだけどね。

『あの頃』はまだ、自分で自分を許せていなかった。 

 だから、こんな理由で俺は小豆への想いを強引に蓋をしていたのだった。



 だけど。

 今日、香さんとの昼休みの一件を体験した俺。うん、アズコンを承認した理由かな。

 結局、小豆は小豆なんだって――何が起きても小豆には変わりないんだって言葉にしてくれていた香さん。

 その言葉に俺は救われたんだと思う。

 いや、救われたのは「小豆が変わらない」ってことではなくて「俺の気持ちが変わることはない」って話なんだけどさ。

 小豆への愛を認めたって、俺の贖罪には何も変化は起きないんだって気づかされたのだ。

 小豆を愛していても、俺の贖罪の気持ちは薄れない。いや、小豆だけじゃなくて香さんや、あまねるも同じなのだろう。

 三人を愛したとしても、俺が抱いた過去の償いは変わらないんだと思う。逆に無視なんてできないのかも知れない。自分の『彼女達への愛情』が増しているんだからさ。俺は更に心に十字架が深く刻まれていることだろう。

 ただ、さ。

 確かに「三人との間に何も起きていなかったら?」なんてことを思っていた時期もあった。

 負い目を感じずに三人と接したかった。負い目を感じて踏みとどまることもなかったのかも知れない。それでも――


 仮に何も起きなかったとして、俺は三人を自然と好きになったのだろうか。今以上の関係になれていたのだろうか。


 最近では、こんな風に考えるようになっていたのだった。

 もちろん『もしも』の話だ。なれたのかも知れない。だけど俺には想像がつかないのだった。

『吊り橋効果』ってことなのかな。違うかも知れないけどね。

 結局、これも俺に突きつけられた現実。真実の代償の延長。そう言うことなんだと思う。

 そして、三人に感じている負い目も言い換えれば――。


 真実の代償の延長によって、何もなかった状態よりも彼女達のことを深く意識できたのかも知れない。

 消えることのない負い目と言う名の絆を与えられたのかも知れない。 

 つまり、何事もなく平穏な生活を過ごしていたら俺は彼女達に恋愛感情を抱かなかったのかも知れないってこと。

 うん、何事もなければ……確実にあまねるとは出会わなかった。

 もし仮に何事もなく偶然に出会うことになっていたとしても、今のような感情は抱かないだろう。

 小豆や香さんだって、普通に妹や姉として接していたと思うから同じだと思う。

 目の前にあるのが当たり前なものって、どうしても安心しちゃうからさ。危機感を覚えて自分から行動する人間なんて、誰もいないんじゃないかな。


 結局、俺が巻き込んでしまったことだけど。

 巻き込んでしまったからこそ、俺は三人と真剣に向き合うことになり。

 負い目があるからこそ、彼女達に恥じない自分でいようと心がけていた。

 その結果……俺的には深い付き合いができているのだと思う。まぁ、一方通行な話だと思うけどね。

 それが、彼女達を深く知ることになり。

 彼女達のすべてにかれて恋に落ちたのだろう――。

 ……そう、仮に今の俺の恋愛感情が真実の代償の延長でしかないのだとしても。

「これでよかったのかもな? いや、こうなったおかげなんだろうな?」なんて。

 小豆の小説を読み終えて、俺は無意識に微笑みを浮かべて考えていたのかも知れない。

 俺は評論家でもないし、神様でもないから全部を小説の内容で理解なんてできない。

 それでも、小豆の作品には――


「何があっても、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ? お兄ちゃんの信念で行動するなら、それがお兄ちゃんなんだと思う。だから、お兄ちゃんはお兄ちゃんのまま、お兄ちゃんの信じる道を選ぶことが、お兄ちゃんの存在理由なんだよ?」


 なんてメッセージが含まれているように思え、俺に語りかけてくれている錯覚に陥っていたのだった。

 まぁ、俺のボキャブラリーなので、理解しにくいかも知れないメッセージなのが非常に残念な結果だがな。

 小豆だけじゃなく二人にも負い目を感じずに接してもいいのではないか。

 実際に過去のことがあっても、三人は俺に何も不快を感じずに接してくれているように見えていた。

 それは……過去は過去。消し去れはしないが縛られる必要などないのだと思えるほどに。


 俺は小豆の小説を読んで救われた気がしていた。俺が俺のまま、俺の考えで彼女達と接してもいいんだって。過去に縛られずに今の気持ちを大事にすればいいのだって――。

 そして、その瞬間に既に蓋には亀裂が入っていたのだろう。まぁ、気づいていませんでしたけどね。

 

 だけど、それは小豆に直接聞いたことじゃない。二人にだって心意を聞いてなんかいない。

 俺が勝手に思い込んだことかも知れない。都合よく解釈しただけなのかも知れない。

 もし、俺の勘違いなら……それは最悪の結果を生み出すのである。それだけは絶対にしてはいけないと心に刻んでいた俺。過ちを過ちで上塗りするなんて最悪だから、な。

 少しだけ小豆のおかげで軽くなった心で、決意を新たに心に蓋をする俺なのであった。うん、亀裂は入ったままだと思うけどね。本人的には蓋をしたって思い込んでいたのだと思われます……。

 

 とは言え、普段から一緒にいる時間の長い。特に小豆とは同じ屋根の下で生活をしている俺が心の蓋を強固できるはずもなく。

 その亀裂が、彼女達と同じ時を刻むたびに大きくなっていき――最終的に今日の昼休みの一件で完全に割れたってことなのだろう。

 まぁ、長々と語ってしまっているのだが。

 実際には小説を読み終えた時には必死に蓋をしていたのだから、『今』の俺の気持ちは蓋をして話を戻すとしよう。 


 そんな理由で小豆への想いに蓋をしていた俺だったが……小説に惹かれた部分まで蓋をする必要はないと思っていた。だから俺は小豆の他の小説を読んでみたかったのだ。

 もちろん究極のラノベである二作品のような、そんな作品は求めてはいないのだが。

 それでも小豆の書いたものなら何でも面白そうだと感じていた俺。

 いや、普通に俺の思い出とかを抜きにして、文章や構成が俺好みだった。まぁ、アニオタな妹だからなのかもな。

 基本俺の嗜好しこうを完全に把握はあくして、同じ思考でいてくれる妹。そんな妹が面白いと感じて書いている作品が俺の好みでないはずがないのである。

 

 だから俺は新作を期待していたのだが。


「それで、さ? 新しいのを書いていないのか?」


 小豆から手渡された作品を眺めながら、唐突に訊ねていた俺。

 既に数日間繰り返してきた「返して、もう片方の作品を借りる」行為。

 恥ずかしさは残ってはいるものの、最近では自分の方から俺の部屋まで届けにきてくれるのだ。なんなの、その神対応?

 うーん。そんな神対応には読者として、お金払った方がいいのだろうか。……二作品一週間レンタルで五〇円くらい。それ以上はパン代がなくなるから出せん!


 俺としては軽い気持ちで訊ねていただけである。「あるのだったら読んでみたいな?」程度の気持ちだった。

 それなのに小豆ときたら、急に顔を青ざめ――


「――え? お兄ちゃん、また学校とか商店街で非道な仕打ちを受けたの? わかった、今すぐ退学届を――」

「まてぇーい! ……なんでそぉ~なるのっ!」


 こんなことを聞いてきたと思ったら即座にきびすを返して自分の部屋に戻りそうになっていたもんだから、思わず『●ちゃん走り』で妹に追いついてから、『●ちゃん』ばりにツッコミを入れていたのである。まぁ、俺はよんちゃんですけど。

 うん、どうやら妹は新作を新しい退学届だと思っていたようだ。ナニソレ、イミワカンナイ! 

 と言うより、小豆の創作意欲は俺がいじめに遭わないと発動しないのだろうか。

 だけど俺、ドS作家の創作意欲を盛り上げる為に自ら犠牲になるような。

 絹ハサに登場するドM編集の彼女みたいな性癖はないよ?

 ……いや、彼女の場合。ありゃ、完全に仕事抜きに自分の願望だよな。どっちでもいいけど。

 うーん……『若いうちの苦労は買ってでもしろ』ってことなのかな。絶対に違うけどさ。

 

「ふぇぇぇぇん、お兄ちゃぁぁぁぁん……」

「……ふぅ。よしよし……」


 まぁ、結局大粒の涙を流して俺に飛びついてきた小豆をなだめる為に頭を撫でていたら小説のことを忘れていたんだけどな。

 そんな状態では言及することもできず、俺は妹の新作を諦めるのであった。

 

 とは言え、「小説を読みたい」って気持ちまで諦めた訳もなく。

 代わりと言えば在籍する作者に失礼なのだが、俺は『ホーメルン』と言う二次創作の小説投稿サイトを読みあさるのであった。

 そう、別に書籍の小説を読めばいいと言う話ではない。ラノベや書籍については、今までと何も変わらずに読んでいるのだ。

 ただ、俺は……素人さんの描く自由な発想でいろどられた世界を旅してみたいと思ったのだろう。


『ホーメルン』の存在は、以前クラスメートに教えてもらって、かなり前から二次創作を読んでいた。つまり二次創作にかんしては何作品も読んでいたのだ。

 だけど、今まではオリジナル作品には興味がなかった。

 うん、今回小豆の小説を読んだおかげかな。

 オリジナル作品に興味を持つようになっていた俺。

 妹の新作を諦めた現在。俺はオリジナル作品を読み漁っているのだ。

 ……なんてえらそうに語ってはいるのだが。

 正直な話、それほど乗り気ではなかったのだと思う。まぁ、どうしても小豆の作品と比較ひかくしちゃうからさ。比較するのが間違っているんだけどね。

 そんな理由から、俺はオリジナル作品で短編の……簡単に読み終えられそうな作品を小説検索してみた。

 そして検索された一覧のあらすじを眺めていた俺なのだった。


 たぶん自分を納得させる言い訳がほしかっただけなのかも知れない。

「読みたい」って思った気持ちを無駄にしなかったって事実をな……。 

 だから、本当なら一作品を読み終えたら満足したのだろう。

 それで再び妹の二作品だけを読んでいたのかも知れない。


「……ん? ……へぇ?」


 俺は一覧の中。数ある作品にもれている、一作品のタイトルに興味を持っていたのだった。  


 

『君が帰る場所 ~色違いのピース~』


 これが小説のタイトル。

 このタイトル――『君が帰る場所』を見た瞬間に、俺はとある女性声優さんのソロデビュー曲のタイトルを思い浮かべていた。

 某球体的有名美人女性声優ユニットのメンバーである彼女のソロデビュー曲のタイトル。

 小説のタイトルが表記的に一文字違いだったから、軽く一覧を流し読みしていた俺は一瞬だけ曲のタイトルなのかと思って目が止まったのである。

 せっかく目が止まったのだからと作者名を眺める俺。


「……こるこん あしお? 変な名前だな……まぁ、投稿サイトじゃ普通なのかなぁ? って、匿名とくめいかよ! 使えねぇ作者だな……」 


 作品タイトルの枠の右下に書かれた名前。

 

『こるこん あしお』

 

 これが作者の名前らしい。まぁ、見ず知らずな人間に対して失礼かと思うが第一印象は「変な名前」だと感じたのだった。

 うん……『ほふぃひゃん』に匹敵ひってきするレベルだと思う。まぁ、あれは名前ではないのだが。

 とは言え、小説投稿サイトにおいては普通な名前なのかも知れないと考え直していた俺。

 だがしかし、どんな人なのかと作者のページを覗こうと思ったのに匿名――作者のページとは切り離された状態なのだった。

 気になったのに寸止めをされたような気分に陥り、画面に向かって悪態をついていた俺。 

 まぁ、小説を軽く読むのが目的なんだから作者なんて関係ないのに何を言っているんだって話なんだけどね。

 仕方がないので、あらすじを読んでみた俺。


『彼とケンカして逃げてきた公園。

 そんな一人の女性が出会った少女との不思議な体験。


 彼のことを思い出して悲しみに覆われそうになっていた彼女。

 そんな彼女に少女は、ある言葉を送るのだった。


 帰る場所の意味。少女の言葉の意味。

 読み終えた時に何かを感じて。

 最後に暖かい気持ちになっていただければ幸いです。』


 とのこと。

 残念ながら、俺には何も想像ができなかった。それは面白いと感じていなかったのかも知れない。

 情報を眺めてみた俺。

 どうやら、ほとんど読まれてもいないようだし「他の小説にするかな?」とは考えたものの……。

 

「……まぁ、これでいいや……」


 正直、これ以上検索に時間を費やしたくなかったのだろう。

 更に検索してから作品を読むとなると、小豆の作品を読む時間が遅れるってことだからな。 

 中身の知らない未知なる作品と、俺にとっての究極のラノベ。天秤てんびんにかけるまでもなく小豆の作品を選んでいた俺。

 どれか一作品を読めば自分的には満足するだろう。

 だったら別に中身なんて気にしないで一作品を読めば解決する。そして読み終えたら小豆の作品を読み返すのだし、内容なんて別に気にしていなかったのかも知れない。

 ある意味、これ以上の時間の無駄をはぶく為……俺は目の前の作品で妥協だきょうをしようと、軽い気持ちで小説を開いていた。ところが。


「……」


 俺は気づくと数十分間、その作品の世界に入りびたっていたのであった。


「……ふぅー」


 最後の一文字を読み終えた俺は、深く息を吐き出していた。

 正直な感想は面白かった。いや、上手い表現が思いつかないんで基本「面白い」って感想しか出てこないんだけどさ。

 あらすじにも書いてあったが、俺の心に暖かい気持ちが溢れていたのだった。

  

 当然ながら俺は作者を知らないから、その人がどんな人物なのかは知らないけど。

 全然読まれていないことからして無名の素人なんだとは思う。

 内容だって万人ばんにん受けをするような作風ではない。どちらかと言えば面白くない部類なのだと思う。

 だけど……俺には面白かった。読み終えてブックマークをするくらいには、な。

 まぁ、匿名だから一作品しか読めるものがないので何とも言えないけどさ。

 どことなく、小豆の作風に近いものを感じていたのだろう。

 それが面白いと感じた理由なのだと思うのだ。

 そして――


「人の気持ちは色違いのピース……か。 相手に合わせることが大事……なんだよ、な……。それに……俺にとっての帰る場所って、どこなんだろう……」


 俺は誰に聞かせるともなく呟いていた。

 これは小説の中に書かれていた言葉。そう、小説を読んで無意識に考えをめぐらせていたのだろう。

 それだけ俺の心にくさびを打ち込んだ作品だってこと。

 そして、俺は自分を見つめ直して小豆を始めとする周りの人達への接し方や考え方を深く考え直すのだった。


 こうして俺は小豆の二作品と、この一作品を継続的に読むようになっていた。

 まぁ、最初は本当に乗り気じゃなかったし、単なる偶然だったけど。

「オリジナル作品も面白いんだな?」って思うようになり、色々な作品を読み漁ることになるのだった。

 とは言え、俺が面白いと感じただけなんで、この作品について特に誰にもすすめてはいないけどな……小豆にも。

 プロの作品ならともかく、素人の作品まで小豆と共有する必要もないだろう。

 第一、「これ……お前の作風と似ていて面白いから読んでみろよ?」なんて、究極のラノベを書いている本人に言えないだろ? 

 普通に「浮気したー!」って、小豆なら騒ぐだろうし、こんなことで機嫌きげんそこねて小説読めなくなったら大変だからさ。 

 誰にも教えず、現在も個人的に楽しんで読んでいる――

 俺にとっての大切な三作品なのであった。


 ――『今』思えば……俺が今、こんな風に小豆を愛して。あまねるも愛して。

 香さんも含めた三人に愛情を送っていられる状況――アズコンを認められたのは。

 小豆の二作品だけじゃなくて、『この小説』のおかげなのかも知れない。

 もちろん妹の作品だって影響を受けたと思う。

 だけど、そこには自責の念を強くさせるだけだった。かたくなに、想いに蓋をすることだけを考えていたのだ。

 そんな時に読んだ匿名のオリジナル小説。誰かは知らない作者の作品によって。

 俺は少しずつ気持ちに変化をもたらしていたのかも知れない。

 そのおかげと、小豆の作品で感じた想いが相乗効果そうじょうこうかを生み、急激に蓋のヒビを勢いづけていた。

 そして今日の香さんの言葉で割れたのかも知れない。


 もしかしたら、小豆の作品だけでは……突きつけられた現実と、香さんの言葉を聞いたとしても割れることはなかったのかも知れないな。

 小豆は小豆だとしても、自責の念で意固地いこじになっていた俺が、自分の気持ちを認めるまでには至らなかったのだろう。

 うん、これを北風と太陽の話に置き換えると……。

 小豆の作品は北風。匿名の作品が太陽だったのだと思う。

 結局、小豆の作品だけでは俺はコートを脱ぐことはなく、余計にちぢこまっていたのだろう。

 そんな時に現れた太陽。その降り注ぐ日差しで俺の冷えた心と体があたたまる。

 三人とはぐくむ素敵な時間。そんな日差しで更に俺の心と体に熱を宿やどす。 

 そして俺は……重いコートを脱ぎ去った。


 うん、だからと言って北風が負けたのではない。

 小豆の作品がなければ匿名の作品を読むこともなかった。妹の作品を読んでいなければ匿名の作品に影響を受けたのかはさだかではない。 

 そう、俺のコートを脱ぎ去ったのは熱風。北風と太陽の共闘だったってことなのだろう。そして、共闘によって影響を受けた、もう一つの大事な想い。

 そう、俺の心の変化は愛情の部分だけではなかったのだろう――。



「……ふぅ。着いち、まった、な……」


 重い足取りで、ゆっくりと歩いていた俺も、自宅の前の通りに到着していた。

 もう逃げられないとさとった俺は自宅を眺めながら表情をゆがませ、誰に聞かせるともなく呟いていたのだった。

  

 ――うん。やっと帰ってこれたな。色々な意味で。

 まぁ、それだけ逃げ出したい現実だったんだよな。

 それでも逃げ出せない。もう数歩進めば現実になってしまうのだから――。


「……すぅー。はぁー。……よし……」


 門の前までたどり着いた俺は、その場で深呼吸をする。そして決意を固めて玄関を目指すのだった。

 もう後戻りはできない。数秒後には結果が出るのだ。

 俺の視線の先に待っているのは……杞憂きゆうか、はたまた覚悟か。

 どちらが出ても俺は受け止めなければいけない。そして行動に移さなくてはいけない。


 今日の香さんとの一件で起きた心の変化。愛情とは別の結論。

 数ヶ月前に俺の目の前に突きつけられたアニオタの定義。

 そして匿名の小説を読んで考え、みちびき出そうとしていた自分なりの答え。

 この数ヶ月間、悩みながらも必死に奮闘ふんとう……しているようには思えなかったかも知れないが、俺なりには頑張っていたつもりだ。自問自答を繰り返してきたつもりだ。

 そんな俺なりの『妹との向き合い方』も、今日の香さんとの一件で結論が出たような気がする。

 

 そう、目の前に待っているのが杞憂だとしても覚悟だとしても……俺には自分のケジメが待っている。

 目の前に起きる現実を受け止め、俺は小豆に伝えなければいけないことがある。


 ――『アニオタでアニオタな妹を健全なアニオタに戻す方法』を……な。


 そうなんだ。

 きっと小豆を健全なアニオタに戻すことが、俺にとっての『帰る場所』の存在に気づけるんだと思う。

 だから俺は伝えるんだ。自分の帰る場所を得る為に――。


 俺は真剣な表情を浮かべて、ゆっくりと玄関へと歩みを進めていたのだった。

 

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