奇襲

 大勢の陰陽師、貴族、野次馬に見守られながら、晴明が厳かな足取りで黄金の塔へ入っていくのを、道満は苦々しい思いで見守っていた。

 黄金の塔は子供らでなく晴明自身の為に建てさせたということはわかっていたが、何の為に力を得ようとしているかまでは深く考えなかった。せいぜい今の地位をより盤石にする為というぐらいにしか考えていなかった。

 百鬼夜行。その言葉を聞いて、道満は自分の愚かさを恨んだ。何故もっと早く気付かなかったのか。

 晴明は来る百鬼夜行に備えて修行に入るのではない。晴明が百鬼夜行を起こすのだ。

 誰にも邪魔されず、十日か半月ほど塔に籠もって呪力を高めれば、冥界の門をこじ開けることが、あの晴明なら可能なはず。門を開けば本物の妖魔が大挙して押し寄せる。それが百鬼夜行だ。第一陣を退けたところで、門を閉じない限り、妖魔は次々と湧いてくる。そうなってしまえば、もう召喚士は必要なくなる。召喚士に裏切られる心配も不要となる。人々は従来の比でないほど妖魔に苦しめられ、陰陽師に対する畏敬の念をより一層強くする。晴明にとって理想的な世界が完成する。

 早く気付いていればどうにかできたかと言うと、それはわからない。だが、今、手遅れになってしまったということは間違いない。五行の守りの堅牢さは重々承知している。再び外に出てくるまで、もう一切手出しできない。

 しかし、五行の守りの中にいる間は、外からの干渉を受けない代わりに、大掛かりな術は使えない。中で門を開けられてしまう心配はない。

 それに、手出しができないのは向こうとて同じ。奴が出てくるまでは自由に動ける。

 道満は悔悟を切り上げ、策を講じるべく、貴族の中で最も信頼のおける人物、右大臣藤原頼忠の居室を訪ねた。


 聞き終えると、頼忠は神妙な顔で言った。

「そこまで話すからには、謀反人として処罰されることも覚悟の上、ということであろうな」

「はい」

 当然だ。何も知らない者からすれば、私の言うことは瓢箪から駒。安倍晴明の転覆を図る虚言と捉えられても無理はない。むしろ、そう解釈する方が自然とさえ言える。

「何か証拠は?」

「いえ、何も」

 召喚士を捕らえることも考えたが、無駄であろう。共犯者がおめおめと自白してくれるとは思えない。

「ならば、信じろという方が無理だ」

 やはり、か……。

「……普通はな」

「と、おっしゃいますのは?」

「実は先日、お主と同じことを言う女に会ったのだ」

「女?」

 ある検非違使が妖魔に襲われたところを、陰陽術を操る女義賊に救われた。検非違使は、義賊に興味を示していた頼忠に、その顛末を報告した。そして、その検非違使の引き合わせで、頼忠と女義賊の極秘の会見が実現したという。

「その女とお主の言い分は一致する。かねてより私自身も安倍晴明には不信感を抱いておった。その話、信じるとしよう」

「ありがとうございます」

 僥倖。私の他に、それも在野に、真相を見抜いている人間がいたとは。

「さて、どうする? 奴が塔の中にいる間に始末してしまうことはできぬのか?」

「残念ながら、それは不可能です。五行の守りは不可侵の輪。燈籠の炎を消そうと水を放っても土の力に防がれ、土の力を木で抑えようとすれば金箔がそれを阻みます。どうすることもできません」

「ならば、出てきたところを叩くしかないというわけだな」

「はい」

「現役の陰陽師と陰陽院の生徒ら全員で取り囲み、一斉に襲えば、如何に安倍晴明とて対処し切れぬのではないか?」

「上手くはいかないでしょう。今申し上げたように、五行の力には相関関係があります。一斉に仕掛けても、味方同士の力が打ち消し合ってしまうのです」

「一斉が駄目ならば……波状」

「その通りです」

 道満は舌を巻いた。この頼忠という男、右大臣などより軍師に向いている。

「少数精鋭で呼吸を合わせ、僅かな時間差を空けてたたみかける。それしか方法はありますまい」

 強いて挙げるなら、方法はもう一つある。先祖代々伝わる秘術、まどか。だがあれは現実的ではない。

「問題は帝だ。帝は晴明に心酔しておられる故、決して我らの話を信じようとはされないだろう。となれば、大々的に討伐隊を募り、訓練をすることはできぬ」

「訓練は陰陽院の授業と偽れば可能かと。ただ、人手を集めることは確かに困難です」

「現役の陰陽師連中にとってみれば、晴明の思い描く世界の方が望ましいやも知れぬしな。妖魔が消えれば職を失うことになる」

「ええ。本来、妖魔退治ばかりが陰陽師の務めではないのですが、戦うしか能のない者は、妖魔の存在に救われていると言わざるを得ません。現役の陰陽師への呼びかけはよしておいた方が無難でしょう。帝へ告げ口する者がないとも限りません」

「ああ」

「陰陽術を操るというその女義賊、私も会わせていただくわけには?」

「無論会うべきであろう。検非違使の武久を通じて連絡は取れる。算段を決め、知らせを寄越す」

「お願い致します。その女が、志のみならず、実力も備えた者であってくれれば良いのですが」

「見定めてくれ。晴明を除けばお主が随一の力を持つ陰陽師。命運を握っておるのはお主だ」

「は」

 わかっている。私が要だ。

 晴明の本行は水。あれほど自在に変化の術を使いこなす者が水行以外ではあり得ない。水を制するは土。私が土行であったことは不幸中の幸いと言えよう。

 いや……やはり不幸と言うべきかも知れない――晴明に次ぐ術者の力量がこの程度でしかないのだから。得意とするはずの水行相手なのに、まるで勝てる気がしない。

 ともあれ、このままでは都は地獄そのものと化し、数え切れないほどの不幸が民に降り注ぐこととなる。何としても晴明を止めなければならない。


 御所からの帰り道、道満は不意に眩暈めまいを感じ、跪いた。続いて、割れるような頭痛と、激しい悪寒に襲われた。

 毒? いつだ? いつ盛られた?

 頼忠? いや、あり得ない。茶の一杯も口にしていない。

 解毒を施そうと試みるが、呪力を上手く練ることができない。全身が痙攣し、意識が遠のいていく。

 道端に見慣れぬ花が咲いていることに気付いた。これか。毒の花粉を吐く花の妖魔――式神。だが何故これほど強力な式神が、今、ここに?

 耳に一匹の蠅が止まった。気の早い奴め。まだ死骸ではないぞ。

 その蠅が、人の声を発した。

「大義であったな、道満」

 果たして、晴明の声であった。馬鹿な。晴明は黄金の塔に入ったはず。確かにこの目で見た――

「そうか。分身……!」

「その通り」

 迂闊だった。入ったと見せかけて、ずっと私を監視していたのか。

「御所には結界が張ってあり、妖魔は現れぬはずだからな。中で殺るわけにはいなかなった。まぁ、あの右大臣も、御所を離れた折に始末するつもりだ」

「盛者必衰なるぞ、晴明」

「私は例外だ。民を直に支配するわけではない。妖魔を蔓延はびこらせ、陰陽師の地位を確立する。その陰陽師の頂きに立つのが私だ。民でなく、構造を支配する。容易には……いや、絶対に覆すことはできぬ」

「覆す者は必ず現れる」

「それは、お主の息子のことか?」

 毒と怒りの入り混じったもので、道満の身体は灼熱に包まれた。

「道兼には手を出すな!」

「お主の遺志を継ぐならば、道兼は私に手を出すのであろう。私から手を出してはならぬとは奇妙な話だ」

「ふざけるな。貴様は既に道を外れている。道理を語るとは片腹痛い」

 蠅は道満を嘲るように、顔の前を飛び回った。手で打ち落としてやろうにも、もう体に力が入らない。

「いやはや、惜しかったな。お主を欠けば、最早この魔王を止める望みは一片とてあるまい」

「自ら魔王を名乗るか」

「そうとも。我こそは魔王。百鬼蠢く平安の都を陰日向より牛耳るのだ」

 何かないか、今から一矢報いる手立ては。何かないか。

 間際まで策を思案し、遂にどうすることもできず、道満の呼吸は停止した。

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