第3章ー4ホントに何人よ?
「この辺り一帯が伊奈さんの田んぼです」
ここは見沼田んぼ。広大な緑地が広がる首都圏最大規模の農業地だ。かつては見沼という沼であったが、江戸時代の新田開発により田畑が広がる農地へと変換した。
ただ、田沼が言うとおり近年は畑への変更や耕作放棄地が増えており、水田はほんのわずかである。
その案内された田んぼの一角に年の頃は七十歳くらいの老人が立っていた。
「こちら、水田の所有者の伊奈さんです」
「初めまして。環境省管理事務所の榊です。こちらは係員の柏木と桃瀬です」
「これはこれは、わざわざご足労いただいてありがとうございます。伊奈と申します。先祖代々、こちらにて農業を営んでおりまして、私は十年前に父から引き継いで米を作っております」
伊奈は麦わら帽子を取り、深々とお辞儀した。
「それで、ノームはどこに?」
「すぐそばです。案内しましょう」
田沼と伊奈の案内ですぐに着いた。確かにそこは田んぼの脇が小高い丘になっており、そこに横穴を掘ってある。確かに写真で見た通りの住居……いや、庵があった。
「ホントに庵だわ……」
桃瀬が感嘆の声をあげる。
「生けてあるのはアザミかしら?」
「ああ、この見沼に自生しているやつだ。しかも、外来種のセイヨウアザミを摘んでいるあたりはわかっているな。さりげなく外来種を駆除している」
桃瀬の疑問に榊は答える。植物の外来種にも詳しいのはやはりベテラン故か。
「……本当にもったいないような……」
いつもは強硬派の柏木もさすがに戸惑っている。
「忘れるな、柏木。ノームも外来種だ。それに、こちらの伊奈さんが困っている以上は本国へお帰りいただくしかない」
「では、呼びかけますか。グノーさぁん、いらっしゃいますかぁ? さいたま市の田沼です。今日は環境省の方がお話を聞きたいそうです」
田沼が呼びかけてしばらくすると、がさがさと洞穴の中から音がした。
「なんじゃ、やかましい。せっかくいい句ができそうじゃったのに」
洞穴から出てきたのは確かに写真で見せてもらったノームであった。顔つきや体型は確かに典型的なノームである。しかし、今日も三角帽子ではなく、利休帽に和装である。足元はちゃんと草履を履いている所からして凝っている。
「初めまして。環境省外来生物対策課、精霊部門の榊と申します。こちらは柏木と桃瀬です」
榊が名刺を差し出す。
「ふん、環境省のお役人が何の用じゃ」
「こちらの伊奈さんの田んぼに、あなたが違法建築して不法滞在していると聞き……うぐぐ」
柏木がド直球で用件を切り出すから、慌てて榊が口を塞いで取り繕う。
「……こちらの伊奈さんの田んぼにて創作活動を始められたとお伺いしました。詳しく教えて貰えますか?」
(柏木、相手を刺激するな)
(そ、そんなしゅひん、ほんほうのことを……)
「ふむ、わしはこの日本に来てからいろいろ調べての。茶道の心とわびさびに感銘を受けたのじゃ。
そして、焼き物の中でも備前焼の素晴らしさを知ってな。ここの水田は良い土だから素晴らしい作品ができるに違いないと居を構えたのじゃ」
「尊敬する方は北大路魯山人と千利休と聞きました」
「ああ、人間であるが彼らは素晴らしい!
それにな、最近は俳句と面白そうだと試しているのだが、五七五は難しいの」
(あー、痛かった。主任が思い切りつねるから)
(ダメですよ。ノームはプライド高いですから。それにしても、このノームは小林一茶が混ざってますね)
(ほ、本当に人間だったら帰化できるな)
(ダメです、柏木さん。人間なら不法占拠に土の窃盗ですよ)
(俺、頭痛がしてきた……)
柏木と桃瀬がこそこそと話をしている中で、伊奈がグノーに向かって思わず口を挟んだ。
「いや、だから困るんですよ。ギリギリ住居までは許せるとしても、田んぼを掘り返しちゃ。そのせいで穴に水が流れ込むわ、稲がおかしくなるわ、去年より米が取れなくなるのですよ」
「芸術のためなら多少の犠牲は付き物じゃ。なぁに、ほんのちょっと借りるだけじゃ」
ノームは頑なに伊奈の言うことは聞かずに持論を展開する。
「ほんのちょっとって、人間と精霊の時間感覚は違うじゃないですか。備前焼って数年単位で作るんでしょ。その間にうちは干上がってしまう」
二人の言い争いになりそうなので、榊が慌てて割り込む。
「とにかく、わびさびの心を大事にするなら思いやりも大事ですよ。いずれは本国へお帰りいただくとして、さしあたっては耕作放棄地を整備しますからそちらへ移りませんか?」
「いや、田は放置すると荒れ果てて田に戻らぬ。その下の土も同じじゃ。それじゃ満足なものが焼けぬ」
グノーは強く頭を振って拒否した。
(詳しいな)
(そりゃ、ノームは土の精霊ですからね)
柏木と桃瀬は変に感心している。グノーの頑なな態度を見て、榊は今日のところは引き上げた方が良いと判断した。
「そうですか。わかりました、グノーさん。今日はこの辺りでおいとまします。しかし、伊奈さんに迷惑をかけているのは事実ですので、またお話し合いに参ります」
「何度来ても同じじゃ」
グノーは腕組みをして吐き捨てるように言った。
「すみません、お役に立てなくて」
グノーの田んぼから引き上げ、話を聞くために伊奈の自宅へ移動した四人は麦茶を貰いながらそれぞれ謝罪した。
「いえ、ノームが住み着いた時点で厄介とわかってましたから。それにこの時期じゃ、失われた稲はもう取り返しつかないですし」
力無く伊奈は笑う。それがまた農作物被害はかなりのものだと伺わせた。
「とりあえず、今年は市に精霊被害の届け出をしてください。精霊被害給付金がいくらか出ます」
「そうですね。あとで用紙をください、田沼さん」
榊も頭を下げて謝罪する。
「本当に我々も力になれなくて申し訳ない。この案件は我々が引き継いで、次の対策として竜神を探してみます。精霊でも神様の頼みなら聞くでしょうから」
榊の提案に伊奈は困ったように笑った。
「まあ、当てにせずに待ってますよ。こうやって精霊が見えるようになっても、竜神を見た話は聞きませんし、仮にいたとしても私のことは助けてはくれないでしょう」
この時、桃瀬は伊奈のこの台詞に違和感を感じたが、諦めの気持ちから自虐的になっていると思っていた。
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