ⅳ.これからどうかよろしくね

第34話 まずは砂を洗うんだったよね

 魚をお迎えするにも、まずは準備を整えなければならない。魚たちにはそれぞれに個性があって、好む環境もあれば合わない水もあるのだということは、小清水こしみず由那ゆながこの一週間で学んだ最も大きな事実だ。


 というわけで、テトラオドン・ミウルスはひとまず取り置いてもらうことにした。


 店員の女性に聞いたところ、取り置きは最長七日間だという。つまり、来週の今日までには全てを完璧に済ませる必要があるのだった。


「ま、今から水を作りはじめるわけじゃないんだし、あと一週間あれば最低限生き物を飼える状態にはなると思うよ」


 琴音ことねはそんなふうに言って薄く笑う。


「小清水ちゃんの水槽って今ベアタンクだよね? たしかそのフグ砂に潜るやつだったと思うから、底材買ってったらいいよ。60cmなら量は五キロくらいかな、水草植えるんならもうちょっと要るけど」


「潜るということであれば、目が細かくて粒子に角がないものがいいんじゃないでしょうか。――レイアウト水槽でも砂を使うことはありますから、わたくしもお役に立てると思いますわ」


 結局、千尋ちひろ莉緒りおの目利きに従って底材を選んだ。


 エスデー製、ボトムパウダー。


 明るめの赤茶色といった感じの底材で、砂利というよりはまさしく砂だ。水中では白っぽく見えるためフンや残餌などの掃除がしやすいのだという。フグが砂に潜るのは擬態のためであろうから、そういう意味では赤褐色のミウルスにはあまり適していないのかもしれないが、溶岩石なり流木なりを転がしておけば違和感もあるまいということで解決を見た。


「五キロぶん? 水草は植えなくていいの?」


 首を傾げる琴音に、莉緒が反応した。


「目の細かい砂に植え込むのは難しいんですよ。レイアウト水槽でも水草を植える箇所にはソイルを敷くことがほとんどで、砂は化粧のために使います」


「そっか。水草入れるにしても浮き草とか、そうでなきゃ活着できる草のほうがいいわけだ」


「ええ。それに今回は砂に潜るお魚ですから……砂を掘り返すことになりますから、せっかく植えても引き抜かれてしまうかと」


 そこに千尋が割り込んで、


「そんじゃーさ、小清水ちゃん、ウチのマツモ持ってきなよ。放っといても育つからオススメだよ」


「えっ、いいの?」


「ちょっと放っときすぎちゃったからねぇ。ちょうど切りたいところだったし、あたしとしても貰ってくれたほうが助かる」


「じゃあ、遠慮なく。ありがとう!」


 ショップを出たとき、小清水は手に大袋を抱えていた。中身はボトムパウダーと砂利用のプラスチック製スコップ、溶岩石の詰まったボトル、それから琴音の強い薦めを信じて買った水換え用のホースだ。



     ◇ ◇ ◇



「ふーっ……つかれたぁぁ……」


 部屋に戻るなり、小清水は力尽きるように買い物袋をおろした。体力にさほど自信があるわけでもない小清水にとって、五キロを超える荷物を持って移動するのは重労働だ。


 ――小分けにしようか? きついなら私が半分持つけど。


 琴音はそう提案してくれたが、それを呑むのはいくらなんでも頼りすぎだと思う。彼女の家はショップのすぐ近くなのだ。わざわざ電車に乗ってこのアパートまで来てもらうのは悪い。


 袋を引きずるようにしてリビングに入る。


 クッションを手繰り寄せて、水槽の前にぺたりと座る。


 思い直したように立ち上がり、キッチンまで歩く。コップに水を汲んで飲み干すと、生き返ったように気分がさっぱりした。水道水なんて飲めたもんじゃないという人もいるけれど、少なくともこの町の水はおいしいというのが小清水の意見だ。


「――よし」


 きゅっと拳を握って気合いを入れる。


「まずは砂を洗うんだったよね」


 ひととおりの手順は琴音に聞いてきた。


 ボトムパウダーの袋をバスルームに運び込み、バケツの中にあけて水を張る。かき混ぜているうちに汚れが浮いてくるから、濁った水を捨てる。これを何度か繰り返す。


 またしても大変な作業ではあるが、それだけに気持ちが乗っているうちにやらなければ後で困る。なにしろタイムリミットは一週間しかないのだ。


「わ。ほんとに濁ってきた」


 みるみるうちに灰色になってゆく水を眺めて、小清水は目を丸くした。琴音に教えてもらったとおりだ。売り物とはいえ砂は砂、きちんと洗ってから使わないと水槽の水が濁ってしまう。


「ん……しょっと!」


 洗い終えた砂はたっぷり水を吸って重い。小清水はバケツを両腕で抱えるようにして持ち上げ、リビングへと運び込んだ。


 息の上がりかけた体に鞭打って、砂利用スコップで砂を掬う。


 時間との勝負だと琴音は言った。


 このスコップがなぜ「砂利用」なのかと言えば、格子状の穴が空いているからだ。大磯などの砂利なら乾いていても問題なく掬えるが、目の細かいボトムパウダーは湿っているうちに作業しないと穴からこぼれ落ちてしまうらしい。


「できるだけ砂が舞わないように……だよね」


 水槽にスコップを突っ込む。


 団子のようになっていた砂は、水に触れるなり、ほどけるようにしてスコップの穴から水槽の底へと降っていった。


 ――たしかに、これじゃ湿ってないとできないね。


 砂がしっかり落ちていくように、しかし飛び散らないように、絶妙な力加減でスコップを揺らす。まさしく篩いにかけるというやつだ。なんだかケーキでも作っているみたいで無性なおかしさがこみ上げ、小清水はひとりくすくすと笑った。


「次に、砂を均す……!」


 傍らのスマートフォンの画面には、ついさっきネットで調べた「見栄えのいい砂の敷き方」が表示されている。


「手前は薄く、奥は厚く……こうかな」


 写真による図解を見ながら形を整えてゆく。


 ――なるほど。


 読んだだけではいまいちピンとこなかったが、実際の作業の成果を目の当たりにすると効果は歴然であった。


 奥のほうを高く盛る。そのように傾斜をつけることで、正面から水槽を眺めたとき、より奥行きがあるように見えるのだ。レイアウト水槽ではよく用いられるテクニックだというから、莉緒などは得意かもしれない。


「あとは、レイアウトを決めれば……!」


 溶岩石を撒き、最後に千尋からもらったマツモを投入する。


「お、」


 新しく砂を入れたとあって、水が若干白く濁ってはいる。が、この程度ならば三日とかからず元の透明さに戻るだろう。


 完成だった。


 むずむずとした感覚が胸の中からこみ上げた。


「終わったぁ~……!」


 叫びとともに、小清水はベッドめがけてダイブした。


 息はすっかり上がっていた。額には珠の汗が浮いているし、服の下もやっぱりべとべとだ。今日はごはんより先にお風呂に入らなければならないだろう。


 けれど小清水は、こういう疲れ方は嫌いではない。

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