第33話 フグって川にもいるんだね
ポリプテルスの水槽の前を離れて生体コーナーの入口に戻ると、千尋と莉緒が通路の反対側から現れた。
聞けば、水草を物色していたのだという。
たしかに莉緒にとってこの「AQUA RHYTHM」は初めての店だ。とりあえず品揃えを確認したくなる気持ちは琴音にもよくわかる。
「翠園寺さん、よさそうなの見つかった?」
ところが莉緒は首を横に振って、
「あ、いえ。わたくしではなく……」
「あたしのほうなんだなー」
千尋がにやりと唇を歪める。
「は? 千尋、水草に興味あったのか?」
「そりゃーあたしだってアクアリストですし、一応マツモも入れてるし? 水草あったほうが水質安定するのは知ってっからさ、水換えの頻度減らせるなら手ェ出してみるかなーって」
「……そんなことだろうと思った」
知ってた、と琴音は呆れ混じりに息をつく。千尋は水景を気にするような繊細なタチじゃない。同じアクアリストでも、ネイチャーアクアリウム専門の莉緒とは対極に位置する存在だ。
「で、どんな水草にするんだ。おまえの水槽だとミクロソリウムとかアヌビアスあたりを活着させるのが精一杯な気がするけど」
天河邸にあった生体入りの水槽三つを思い浮かべる。使っている底材の種類はまちまちだったが、薄く敷いているという点は共通していた。
あれでは水草を植えることはできまい。
導入できるとしたら、ミクロソリウムやアヌビアス――つまり、土の中に根を張るのではなく、仮根を伸ばして流木や石にへばりついて育つ水草くらいだと思う。
「浮き草を増やすのがいいんじゃないかとお薦めさせていただきました」
返答は莉緒から返ってきた。
「浮き草? もうマツモがあったけど……」
「あれはタナゴの水槽に移したほうが映えると思います。もちろんちゃんとトリミングしてからですけど」
マツモは、松の葉に似て丈夫な葉が連なる水草だ。全体としては動物の尻尾のような形をしている。成長が早く、現に千尋の水槽でもすっかり繁茂しきって塊のようになっていたが、しっかり長さを整えてやれば爽やかな緑色を見せてくれる。
日本の湖沼にも浮いている草だから、たしかにタナゴと合わせるほうが「それっぽい」感じは出るかもしれない。
「わたくしはさほど生体に詳しくないのですが……天河さんの90cm水槽にいるのは全て南米の魚だそうですね。であれば、アマゾンフロッグピットがいいかなと」
「ああ、あれか……なるほどね」
たしか、丸い葉をつける浮き草だ。アマゾンと名がつくからには南米産なのだろうし、プレコやメチニスが泳ぐ水槽にはそちらのほうが似合いだろう。
そのとき、千尋が眉をぴくりと動かした。
「――小清水ちゃんは何見てんの?」
言われてみれば、小清水がさっきから会話に入ってきていない。つい今し方まで自分の後ろに気配があったはずなのに。
琴音は背後を振り返った。
小清水の姿はすぐに見つかった。生体コーナーの入口の正面はアジアアロワナや淡水エイといった、入荷の稀少な魚の売り場となっている。三段重ねになったうち一番下、端っこの小さな水槽の前に小清水がしゃがみ込んでいる。
琴音は近づき、小清水の頭越しに水槽を覗いた。
「――こいつは……フグか」
きめ細かな砂の中から、赤褐色の顔が見えている。体は砂に潜っていて見えないが、頭の大きさからすると現在の体長は五センチ前後といったところだろうか。
テトラオドン・ミウルス。
アフリカ中部に生息する淡水フグである。
「この店に入ってくるのは珍しいな。私も実物は初めて見る」
「フグって川にもいるんだね……」
小清水の横顔に視線を向けると、彼女はひどく意外なものを見たというように目を丸くしていた。
アクアリウムの勉強をはじめてから小清水の常識はすさまじいスピードで塗り変わってきたことと思うが、表情から察するに、どうやら今回のは最大級の驚きだったようだ。
「ねえ巳堂さん。この子、どのくらいまで大きくなるの?」
「ん……一五センチくらいじゃなかったかな」
「何を食べるの?」
「アカムシとかメダカとかエビとか……まあ普通の肉食魚と同じだって聞くけど」
「群れにしたほうが落ち着くとか、ある?」
「それはないはず。気性荒くてしょっちゅうケンカするらしいから、単独飼い推奨って言われてる」
「そっか。ありがと!」
小清水はスマホを取り出し、メモアプリをひらいて情報を打ち込みはじめた。最大体長十五センチ。餌は虫や小魚。単独飼い可。
ひとおおり記録すると、小清水はふたたび水槽に目を戻して動かなくなった。何事かを熟考しているのか、赤茶けた魚の額にじっと視線を注いで動かない。
テトラオドン・ミウルスも様子はそう変わらない。ひょっとこのような口を砂から突き出して、上向きの目で小清水を見つめたまま微動だにしない。
――そういえば、
琴音の脳裏に、小清水と初めて会ったときのことがよぎった。
彼女が最初に見ていた魚はパロットファイヤーだった。決してカッコいいわけではない、どちらかと言えば「面白い」とか「愛嬌がある」とか言われるタイプの顔つきという意味で、眼前のフグとは特徴が似ている。
「……小清水さん」
もしかして、という前置きは要らなかった。
「そいつ、気に入った?」
問いではなく確認だった。
小清水は、こくこくと無言で頷いた。
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