幕間一 もう一つの真実

「それじゃあ、僕らはそろそろ行くが……」


 フィディールは一つに束ねた金髪の長い髪を外に出し、外套の襟を整えると振り向いて。

 急に半眼になった。二十歳過ぎの美麗な顔が、どこか俗っぽくも見える雰囲気を醸し出す。


「伸びて役立たずになってるそいつは、〈カドゥケウスの四宝〉で叩き起こして使え」


 部屋の奥、長椅子の上で、う~ん、う~ん、と熱に浮かされたようなうわ言を繰り返しているハインツを見向きもせず言ってくる。


 応じるのは、ハインツの直属の部下である三人だった。


「わかりました」

「フィディールさんったらぁ、スパルタぁ~」

「はは……」


 二十代半ばの鳶色の髪の女性──カヤ。

 二十歳ぐらいの亜麻色の髪を二つに結んだ眼鏡の女性──アメーリエ。

 最後に、オズウェルだけが一人、半笑いで頬をかく。


 冗談か本気か、〈盤上の白と黒〉の隊員である女性陣は、全員、直属の上司であるハインツに遠慮がない。この場にはいない、ニコレットも同様だ。

 特に隊の副官であるカヤは、もしかすると、フィディールからハインツに対する態度以上に容赦ないかもしれない。


 もっとも、ハインツからフィディールやカヤに対する態度も、およそ上司と部下の枠から外れているため、どっちもどっちという気もしなくもないのだが。

 ハインツとフィディールは、十年前、オルドヌング族の血を半分引く彼が今の時代にやって来てからの付き合いらしいので、昔なじみか兄弟にも近い感覚なのだろう。

 カヤについては、二人との関係についてあまりよくわからないところがあるが。


 フィディールは疲れたように眉間にシワを作り、辛辣に言ってくる。


「ただでさえ、エルス・ハーゼンクレヴァのせいで計画に支障が出てるんだ。こういうときぐらい役に立ってもらわないと困る」


 タレイア街の中心部。

 オズウェルたち〈盤上の白と黒〉のため、ささやかに用意された活動拠点。

 モンレーヴ旧市街での出来事のあと、オズウェルはアメーリエと一緒に、フィディール、カヤ、ハインツと合流していた。

 雑多感のない部屋で、報告も兼ねた話もそこそこ、フィディールとアメーリエは次の目的地に向かおうとしている。既にアメーリエも警備隊から支給された黒の外套を羽織り、フィディールの傍に寄っている。


「早かったですね。意見を翻すのが」


 カヤだった。


「派手な騒ぎを起こしてくれたおかげで、な。大勢より強力な一人を向かわせる方がいいだろう、と思ってくれたらしい。……それについては同感なんだがな。誰を向かわせるかは別にして」


 ぼそりと低く付け加え、ぱさ、とフィディールがカヤに書類を手渡した。


「あと、被害も少ない」


 合理的というより、現実的な話のようだった。

 カヤが真面目な顔で言い放つ。


「モンレーヴ旧市街での件は、私の不手際です」


 すると、フィディールは、いや、首を横に振った。


「カヤにお願いしたのは僕だ。君が必要と判断しての行動なら、僕から何か言うこともない」


 そう毅然とした態度で言い。


「ただ、報告書は出す必要があるから、すまないが、そこはやってもらえれば。あとは僕が引き受ける」

「わかりました。……ありがとう、フィディール」


 カヤの微笑み。フィディールも上官の表情を少しだけ崩して、和らいだものを覗かせる。


「フィディール執政官」

「なんだ?」


 が、すぐに戻った。

 威圧感のある、近寄りがたい声にひるみかけ、それでも、オズウェルは口を開き──


「……いえ、なんでも」


 どうして、自分たちに任せず、カヤさんを派遣したんですか。

 喉元まででかかった問いは、口にすることができなかった。

 そうか、と言ってフィディールは、それ以上何も質問してこない。


「じゃあ、行ってくる」

「気をつけていってきてくださいね」

「ああ。アメーリエ、行くぞ」

「はぁ~い」


 ひらひら、とアメーリエが手を振る。

 先日、モンレーヴ旧市街で任務をともにした一個年下の同僚は、何を考えてるのかわからない笑顔で扉を閉めると、フィディールと一緒に行ってしまった。


 アメーリエ・マトリカリアは人の心が読める。

 感知特化と呼ばれる、法則世界を視ることに長けた法術士。

 任務ならともかく、普段は私事や個人の秘密といったものがわかる人の心を視ようとしない彼女だが、いたずらにその力を使うことがある。ノリや遊びで人の心を読むのはやめて欲しいのだが。


 アメ―リエなら、フィディールやカヤから知らされていなくても、あらかじめカヤが派遣されることを、何かの弾みで把握していそうなものだが、どうなのだろう。

 知っていて、オズウェルに黙っていたのか、それとも、違うのか。


 また。


「オズくん、とりあえず、書類を整理してしまいましょうか」

「あ……、はい。そうですね」


 頷き、カヤに倣って、冷め切ったコーヒーのカップを机の脇によけた。

 書類でいっぱいの広い平机を囲み、一つずつ整理していく。


 こうしていると、子供の頃、村の小さな集会所で教師の手伝いをしていた頃を思い出す。一緒に作業をしている相手がカヤだからだろうか。

 オズウェルより四つ年上で、二十四歳になるカヤは、先輩として隊員の面倒をよく見てくれている。オズウェルも事務や実戦の面でよく世話になっていた。


 カヤは、普段と変わらない落ち着いた様子だ。

 先日のことについて、オズウェルに何か言ってくる気配はない。

 何もなかったことのように、普段通りに接してくる。

 女性にしてはしっかりと鍛えられた手が、柔らかな手つきで紙片を整えていくのを眺めながら、オズウェルは、心にわだかまりのようなものか溜まるのを感じた。


 なんで、モンレーヴ旧市街での任務を、僕らに黙っていたんですか──


 いや、自分に知らせなかったことは重要ではない。怒るべきところはそこではない。

 計画の要であるティアを確保して、エルスを下がらせる。

 そのために、いくつか策を張り巡らせることは当然のことで、公私の分別ぐらい必要だ。

 だが、あんな、一歩間違えれば、ティアが大怪我するような、強硬な作戦を許せるかと聞かれると話は別だった。

 既にエルスからの信用は底辺まで下がったも同然で、次、同じような状況になって、オズウェルが手を差し出したとしても、あの少年が話し合いに応じてくれるとは思えない。初対面の相手に、武器を突きつけてくる警戒心の強さだ。


 次の一手はハインツに任され、おそらくでもなく交戦となるだろう。ハインツの好戦的な性格がうんぬんというより、そのつもりでフィディールも長老たちもハインツを派遣している。


 結局、オズウェルの望まない結果になったといってもいい。

 できることなら、もう誰にも争ってほしくないのに。


 そして、フィディールが、オズウェルが願っていることを知らないわけではない。

 フィディールもまた、同じ願いを抱いていると思っていたのに。

 他の隊員や人間がいる公的な場では、上司と部下の関係を一切崩さず、冷厳とした態度で接してくるフィディールだが、根っこは純朴な青年であることをオズウェルは知っている。

 おまけに、他人の気持ちをくんで感情移入しすぎるきらいがあることも。

 だからこそ、今回、強硬な手段に出たのが信じられないわけだが。

 それは、椅子に座るカヤも同様だ。

 むしろ、敵味方関係なく、誰に対しても丁寧で優しいカヤが、フィディールの命令に従った方が衝撃だったしれない。軍人という職業についているのかわからないぐらい、対話を望む物腰柔らかな女性が今回はなぜ──落差に戸惑う。


 まるで、自分以外が全てわかっていて、自分だけ意図的に外されているような、不信感。


 なぜ、と憤りのようなものが浮かびかけ、自分が未熟だからだ、と抑え込む。

 こんな風に非情に徹しきれず、感情を御しきれいないうちは仲間から信用されなくても当然──


 ……それにしたところで、少しぐらい話してくれたって。


 などと世話になっている先輩に、反発心のようなものが芽生えかけたところで。


 う~ん、う~ん、と未だ苦しげに唸っている大の男の声に、思考を遮られる。

 もう一人、一切全く何も知らされていなさそうな男の存在を思い出し、なんだか毒気を抜かれてしまう。


 ふと、オズウェルは声を上げた。


「あの、カヤさん……」

「どうかしましたか?」


 さらっと。

 優しいが冷静沈着な副官は、この苦しげなうめき声など耳に入っていないのか、ごくごく自然に問いかけてきた。


 ……これ、もしかして僕だけにしか聞こえてないのかな。


 先ほどとはまた別の不信感、というより自信がなくなってくる。

 アメーリエは笑顔で気づいているのかいないのかわからない笑顔で行ってしまったし、フィディールに至っては叩き起こして使え、などという容赦のない発言が出てくるぐらいだ。

 ハインツの日頃の行いには問題があるとはいえ、これはちょっと、と同情しつつ、オズウェルはちらりとカヤの背後を盗み見た。


「……隊長は何があったんでしょうか」


 そこには長椅子に腰かけた黒髪の男が、干からびた野菜のような状態でいた。

 何かとフィディールに斬られそうになっては顔面を蒼白にして逃げている、直属の上官だが、未だかつて、ここまでひどい状態のハインツをオズウェルは見たことがない。

 オズウェルがアメーリエと一緒にタレイア街に到着したときには、既にこの状態だった。

 先に、別の任務でタレイア街に入っている、というのは伝達で聞いていたが。

 ハインツの常ならざる様子に気にしていれば、カヤはハインツの方を見もせず、事なげに返してくる。


「しいて言うなら、フィディールから頼まれた仕事をこなしただけのはずですが」

「仕事ってどんな?」

「書類を持って、メルヒオール区画の長老たちにサインをしてもらって回るという仕事ですね」

「それだけであんなにしおれますかね……隊長、隊長!」


 近づき、声を大きくして、その肩を揺さぶる。

 すると、ハインツが枯れ木のような手をオズウェルに伸ばしてきた。水分をからっきし失ったミイラのような顔。


「お、おお……オズ……」

「どうしたんです?」


 わしゃもう駄目じゃ、などと、しわがれた声で言い出しそうな様子に、さすがに心配になって尋ねる。

 すかさず、ハインツはオズウェルの腰に縋り付いてきた。


「オズぅぅぅぅぅっ! オレ様穢されちゃったよ穢されちゃったよぉぉぉぉぉっ!」


 おうおうとオットセイのような泣き声を上げながら、オズウェルに泣きついてくる。

 そんなハインツの頭をカヤは丸めた書類でぽこんと叩いた。


「まったく、年下相手に何やってるんですか」


 大人げない、とでも言うように呆れた息を吐いて。


「それでも〈盤上の白と黒〉の王ですか。少しぐらいしっかりしてください」

「んなの関係あるかクソ!」


 吐き捨てながらハインツが叫んでくる。


 確かに、オズウェルの腰にしがみついて泣いている今のハインツを見た者が、彼こそがオスティナート大陸で三大精鋭と謳われる〈盤上の白と黒〉の頂点に立つ男とは思いもしないだろう。

 ハインツは恨みがましそうな目をカヤに向けると、わなわなと震えながら言ってきた。


「こちとらひでぇ目にあったんだぞ。純情弄ばれた挙句、身体も心も穢されちまってオレのデリケートな心はブレイク寸前なんだよ。どうしてくれんだ」

「そんな大げさな。だみ声で女言葉の長老にちょっと付き合ってもらっただけじゃないですか」

「畜生フィディールの奴……。あのオカマにオレを売りやがって」

「オカマ?」


 小首をかしげるオズウェルに、ハインツが説明してくる。


 ここメルヒオール区画を代表する長老の中に、すね毛とわき毛の濃い筋肉だるまのような男がいるらしい。

 名をジュリア長老といい、彼は自らを乙女と名乗り、日ごろから女言葉を使っているのだという。

 そして、どういうわけか、その長老はハインツをいたく気に入っており、色男と褒めてはお尻や腰を触ってくるらしい。

 要するに変態だ。オズウェルはそう結論づけた。


 しかし、カヤは至極当然のような顔で言い放ってきた。


「いいじゃないですか。減るものじゃないんですから」

「減るんだよオレの大切な何かが!」

「えーと、つまりはどういうことですか?」


 腰に引っ付いたまま離れようとしないハインツをさりげなく引きはがそうとしながら、オズウェルは聞いた。

 カヤが困ったように眉を下げながら切り出してくる。


「発端をどこから話せばいいのか、わからないんですが……、先日、前執政官ディディウスが崩御した際に後回しにされていた〈錠の要塞〉の所有権がフィディールに異動することが決定したんです」


〈錠の要塞〉とは、オルドヌング族が建造した建築物の一つだ。

 現在、警備隊や〈盤上の白と黒〉がもっぱら訓練のために使っているのは、オズウェルも知るところである。


 だが──


「あそこって、もともとフィディールさんのものだったような……」


 どうでもいいが、フィディールがいない場合、オズウェルはその呼び方が「さん」付けになる。

 オズウェルの指摘に答えたのはハインツだった。


使は一緒じゃねえんだ。使用権は確かにフィディール並びに、オレたち〈盤上の白と黒〉にあるんだが、あのオルドヌング族の遺産はメルヒオール区画の自治組織――つまりは長老だわな――に帰属してんだとよ。めんどくせえ話だよな」

「はあ……そうなんですか」


 いまいちよくわからず、生返事を返す。


 オスティナート大陸には、四百十年前に滅んだオルドヌング族の遺産や建造物が多数残されている。

 ここ帝都カレヴァラも例外ではない。

 調査は、オルドヌング族と親交が深く、数々の遺産や権利を譲り受けた古都トレーネが何かと協力的らしいが、外交上の駆け引きもあるのだろう。

 現在、帝都カレヴァラにおいて、その調査は、主にオルドヌング族の血を半分引く、フィディールの手に大きく委ねられている。

 今回、コキーユ跡地で起きているらしい、〈蜃気楼ルフトシュピーゲルンクの噂〉の異変の調査にしたって同様だ。


 カヤがつらつらと続けてくる。


「とにかく今回、フィディールに所有権が移ることに決まったので、メルヒオール区の長老たちに同意書にサインをしてもらわなければならなくなったんです。そのうちの一人であるジュリア長老――隊長がオカマと言っている人ですね――そのジュリア長老が隊長のお尻を撫でさせてくれたらサインしていいと言ったので……」

「要するに賄賂じゃねえか!」


 とたん、ハインツが非難の声を上げてくる。


「前のディディウスのおっさんの時に流行ってた贈賄とか、癒着とかそういう腐った慣習を撤廃するためにフィディールと他の長老が立ち上がったのが半月前だってのに! 極東の魔境で言う、舌の根も乾かぬうちにとはまさにこのことだよな!」

「あのですね、他の長老から絡まれたり、他から風当たりが強いときにジュリア長老に助けてもらった恩をお忘れですか? それを考えると隊長を一カ月ぐらいジュリア長老のところへ貸し出してあげたいぐらいですよ」

「ああああああのオカマと一カ月一緒だなんて寒気通り越して怖気が走るわ!」


 尋常ではないほど顔を青ざめさせて身体を震わせるハインツ。


「大体カヤ! お前もお前だ! あいつを長老になら一言ぐらい教えてくれたっていいだろうが!」

「え?」


 一瞬、聞きとがめ、軽い驚きを浮かべながらオズウェルは聞き返した。


って、それはどういう意味――」

「――ハインツッ!」


 しまったと口を抑えるハインツ。

 カヤが珍しく敬意を払うのも忘れて、ハインツの名前を鋭く呼び捨てにする。

 その反応になにかの確信を得る。


「……って、どういう意味ですか」


 発した声は、自分で想像するよりずっと低いものだった。


 あちゃあ、と自らの失態を呪うように空を仰ぐハインツと。

 目も当てられないと額に手をあてるカヤ。


 窓が大きく明るい室内に、暗雲が立ち込めようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る