幕間二 夢の遺児 モンレーヴ村の生き残り
あの日――フィディールが新たな執政官として立った日。
帝都カレヴァラの政府には喜びが満ち溢れていた。
喝采をあげる者。若い執政官と新しい長老たちの前にひれ伏す警備隊たち。
皆が新たな時代の始まりであると喜び、祝杯を挙げた。
義理とはいえ、親を討って執政官の座についた青年を非難する者は一人もいなかった。
正しく言えば、ディディウスを敬愛する数少ない長老たちは帝都カレヴァラから放逐されたのだ。
新政府の方針に賛同できずに辞職した者。
意図的に支持率を動かされ、それを理由に長老の座を引きずりおろされた者。
あるいは不慮の事故に見舞われた者。
彼らは誰の目にも触れずに、ひっそりと姿を消した。
――これが表舞台から消し去られた一つの真実である。
その事実を初めて聞いたオズウェルは、うまく声を出すことができなかった。衝撃のあまり立ち尽くす。
「……なんで……どうして、教えてくれなかったんですか!」
フィディールが、養父を討つことについては──飲み込みきれなかったところがあるとはいえ──これ以上、踏み入るべきではないとオズウェルも引いた。
だが、それ以外については、何も聞いていない。
イリーナのことだってそうだ。
元は知らなかったとしても、彼女がモンレーヴ村の生き残りだと判明した時点で殺さずとも他にやりようが――
「教えたらお前、フィディールに直接抗議するか何とか穏便に済ませられないかと狙われてる長老を説得しようと単独行動すっだろうが。そしたら、今までしてきたこと水の泡じゃねえか。悪いが、反乱の芽は極力つぶしておいた方がいいからな」
「……それはっ! ……っ、それなら、先日のモンレーヴ旧市街の件だって、あれは僕とアメーリエに一任されたんじゃなかったんですか!」
「お前が話し合いで済ませたかったのは、みんな知ってる。だが、カヤを派遣したフィディールの判断は
言いながら、ぺらりとハインツが懐から紙切れを出した。ぺらりと見せるように広げる。
「この間の話だが、古都トレーネに『野放しにされているそちらの反抗期のガキんちょを引き取りに来てください』って手紙出してみたら、そしたら『そんな子、うちの子じゃありません』って返答が返ってきやがった。つまり、エルスに関して古都トレーネからのお迎えは期待できそうにねえ」
カヤがほとほと呆れたように息を吐いた。
「……一体どういう翻訳の仕方ですか。先日、古都トレーネに任意で帝都こちらに来ているハーゼンクレヴァを説得して連れて帰って欲しいという内容の親書を出したんです。ですが、相手の返答は否とも是でもなく、ハーゼンクレヴァの行動は古都トレーネが関与するところではない、というものでした。つまりは、ハーゼンクレヴァが何をしようが知ったことではないということですね」
「えっと、カヤさんの言い方も隊長と変わらないときってありますよね」
「気のせいです。とにかく、古都トレーネはハーゼンクレヴァを強制的に連れ戻す権限を持っていません。彼が自らの意志でここにいる以上、私たちで何とかしなければならないんです」
「けど、あいつをオレたちが無理やり取り押さえて、それで大けがでもしたら古都トレーネの方が文句言ってくんだろうから、長老会もフィディールも、なんとか捕獲して古都に引き渡してえんだよ。余計ないざこざ起こしたくないからな」
「そ、それはわかりますけど……だから、ハーゼンクレヴァもティアも僕たちが説得すれば――」
「あのなあ」
ハインツが聞き分けのない子供を相手にするように。
「
「それはっ」
反論しかけ、だが、言葉を飲み込み、別のことを言う。
「で、でも、それならわざわざカヤさんに狙撃とか、ハーゼンクレヴァがティアから離れた拍子に彼女を連れて帰ろうとか、そんな誘拐犯めいたこと頼まないで、僕らにその作戦を提案してくれても良かったじゃないですか」
ハインツは半眼で返してきた。
「提案したら、お前その作戦に従ってくれたか?」
ぐっと、オズウェルが拳を握ったまま黙する。
その様子を見たハインツは気だるげに頭をかき、そして。
「――甘ったれるな。〈盤上の白と黒〉は、お前の理想を叶えてやる場所じゃねえ」
普段の軽薄な態度からは想像もできないほど鋭い言葉に、オズウェルが息を飲んだ。
静かにハインツは続けた。
「四年前、フィディールに復讐するつもりで〈盤上の白と黒〉に入隊したモンレーヴ村の生き残りであるお前が、
それを聞いたオズウェルは愕然と目を見開いた。
どこか諦めにも似た心地で納得する。
「……知って、いたんですね。僕が、モンレーヴ村の生き残りだって」
五年前に伝染病で滅んだとして片付けられたモンレーヴ村の四人の生き残り。
そのうちの一人がオズウェルだ。
オズウェルは幼馴染の少女と一緒に、ポポロ孤児院に預けられた後、単身で帝都の警備隊に入隊し、その後フィディール直々に〈盤上の白と黒〉の騎兵として抜擢された。
「孤児院に入る前の記録は適当に偽装したつもりだったんだろうが、まだまだだったな。正直、フィディールがお前を〈盤上の白と黒〉に入れるって決めたときは本気で何考えてんだかって思ったが、確かに
それを聞いたオズウェルは、信じられないとかぶりを振った。
「
「一応あれでも上司だからな。上の命令に従うのが下の責務ってもんだろ」
「こういうときだけ、そんなことを――」
普段は忠義とは程遠い態度をとっているくせに──衝動のまま言い返そうとして、瞬間、ハインツに流し目で射抜かれた。
その眼光の鋭さに少なからず気圧される。
「ぐだぐだ言ってる暇があるんだったら、あのお子ちゃま執政官に意地でも食らいつくんだな。てめえの理想ならてめえで叶えるぐらいの気概と根性を見せやがれ」
それを聞いたオズウェルは、一つ一つ確かめるように聞き返した。
「……それは、
「さあな?」
オズウェルの真剣な眼差しに、ニヤリと挑発的な笑みを向けるハインツ。
と、ぱこんと景気のいい音が鳴った。
ハインツの後頭部をカヤが薄紙を丸めたもので叩いている。
「こら。将来有望な青少年をそそのかさないでください。私はごめんですよ? 後輩を反逆者として摘発するなんて」
「摘発ねえ。オレらにそんな主君に対する忠義なんてあったか?」
「……まずはあなたを反逆者としてつるし上げる必要がありそうですね」
きぃん、と水晶を打ち合わせたような澄んだ音と共に、大気が揺れる気配。
同時、おもむろにカヤが手元に呼び寄せた〈
「ちょ! カヤさんそれおしまいになって! オズ助けろ!」
「さっき、責務がどうとか言ったのは隊長じゃないですか」
さすがに、肩を持つようなことはしなかった。
ハインツは情けない悲鳴を上げながら、オズウェルの後ろに隠れてしがみついている。
「ま、まあ、あれだ。つまりは、若いうちは悩めるだけ悩んどけって話だな。おう!」
「またそんな適当なことを」
カヤがほとほと呆れ、弓矢が白銀の輝きを残して消えた。
オルドヌング族の遺産の一つ、〈
一人を徹底的に狙える特殊な矢は、一緒に巻き込まれる危険がないため、すっかりのほほんとしていられるようになってしまった。 現に、先の狙いはオズウェルを全て外して、きれいにハインツに命中している。
やっぱりハインツに対する容赦のなさは、フィディールがいないときは、カヤの方が上なんじゃないかなあ、などと考えていれば、カヤがオズウェルに気遣うような目を向けた。
「オズ君。少し休憩してはどうですか? せっかくの〈ミモザの花調べ〉ですし。オズ君もこの時期に来るのは初めてでしょう?」
「よっし、そうこなくっちゃな! 観光しようぜ観光!」
ぱん、と拳と掌を打ち合わせてうきうきとするハインツ。ところどころ、髪の毛を焦げさせたまま、両手を広げてうっとりとした顔で広い天井を見上げる。
「〈ミモザの花調べ〉つったら、三大花宴の一つだからなあ。ここは、帝都カレヴァラ市民として思い切り楽しむのが責務ってなもんよ」
「隊長はこの書類整理の他に、仕事ありますから働いてくださいね」
「なっ……な……」
慈悲のないカヤの言葉に、天地逆転。
ハインツは両膝をつくと、床に手をついてがっくりとうなだれた。絶望の底にでも突き落とされたように、そんな、まさか、馬鹿な、嘘だ、などと言っている。
膝をついた上官の姿を、オズウェルは少しだけ気にしながら口を開く。
「でもそんな、僕だけ休むなんて。そもそも、旧市街での出来事は僕も関わってるわけですし……」
「よくぞ言ったオズ! そーだそーだ、その通りだ。仲間外れはよくないぞカヤ。休むなら、みんなで休むのがチームワークだろお!」
急に元気になったハインツは跳ね起きると馴れ馴れしくオズウェルの肩を抱いてきた。
しかしカヤはさらりと無視して、パンフレットをオズウェルに差し出してくる。
「でしたら、オズ君には、お土産を買ってきてもらっていいですか?」
「お土産、ですか?」
「はい。せっかくの花宴ですし、フィディールやアメーリエに何もお土産がないというのも……」
「はあ」
隊に入って二年程度のオズウェルはともかく、カヤなら、あの二人にそのようなことを気にしなくていいと思うのだが。
おそらくでもなく、オズウェルを休ませるための口実なのだろう。
気遣いはありがたいが、やはり、隊長と副隊長を置いて自分だけ休むなんて――などと、気の進まない気分になりつつ、だが、カヤがそういうのなら仕方ない、と思い直す。
半分、命令みたいなものとして、大人しく渡された三つ折りの紙を開く。
地図には、旧市庁舎を周辺とした、手描きの地図が書かれていた。
へえ、と言いながら、興味ありげな顔でハインツが寄ってくる。オズウェルの肩に顎を置いて、地図を一緒に眺めていれば、カヤが中央の広場を指さした。
「このあたりなんか、なかなかパレードが見応えあるんですよ」
「カヤさん、もしかして、来たことが?」
「ええ、何回か。せっかくの機会なので、オズくんにも見ていってもらえたら、と」
グレーグリーン色の瞳を細め、そう柔らかく言われると、なんだか温かな気持ちになる。
ここまでしてくれる
「ありがとうございます、カヤさん」
「いいえ。あと、この時期にしか買えないものがあって、よかったらそれもオズくんにお願いしたいんですが……」
「僕、買ってきますよ。どこのお店の何ですか?」
そのぐらい、役に立てるなら、とオズウェルは気安く言って、はっ、と気づいた。しまった、ハインツの存在を忘れていた。
肩のあたりに顎を置いたハインツが、じーっと地図を見ている。
機嫌が悪いとか、拗ねているわけではなさそうだが、どうにも無視することが難しい類の視線。
「ええと……」
口ごもる。
何か言ってくるかと思いきや、ハインツは何も言っていない。居心地を悪くしながらオズウェルは提案した。
「隊長、この仕事と交代しましょうか?」
「いや、さすがにこれ以上はオレの評価が大暴落しそうだからやめておく」
「できればその事実にもっと早く気付いてくれると嬉しいんですけど」
カヤが平たい目でつぶやいた。
*
オズウェルの表情は、カヤのおかげで、だいぶ柔らかくなったようだった。
礼儀正しく腰を折って去る部下に、脱力気味に手をひらひらと振って見送る。
有事の際の連絡手段と手筈は伝えたし、何かあっても対応はできるだろう。
「ったく、オレばっかこき使いやがって」
ハインツはぶすったれた声を出す。
しかし、カヤは涼しい顔だった。
「年長者なんですから、少しは甲斐性あるところを見せてください」
「あ、もしかして、オズを追い払ってこれからオレとデートとか?」
「ありえませんから絶対に」
にこりとも笑わず、一蹴。
鮮やかと言っていいほど、きれいなカヤの答えに、ハインツは膝を抱えて隅っこに座り込んだ。
半分冗談だったとはいえ、さすがに今のはちょっぴり傷ついた。無言で主張する。
ハインツの背中から哀愁でも感じたのか、カヤが嘆息しながら逡巡する気配。
それでも、この美人で秀麗な部下はハインツを甘やかすようなことをしない。忠実な部下として接してくる。
「……それで、仕事の内容ですが」
「いい女が仕事シゴトってつれないねぇ」
思わずハインツが揶揄すれば、カヤからやや不愉快な視線が差し向けられる。
しかし、カヤは表情を動かさず続けてきた。
「……先ほど、ブランシュ・アファナシエフの目撃情報がありました」
「ここでか?」
「ええ。タレイア街の入り口の守衛が、それらしき少女を見かけたと言っていました。連れが二人いて、一人は黒髪の似たような年頃の少年だったそうです」
「へーへー。そうでございますか。どうせ今回もオレ様は留守番なんだろ。ひっでえよな」
大げさに嘆いてみせると、カヤはさらりと言ってきた。
「なら喜んでください。今回は隊長の出番ですから」
「へ?」
「今回の隊長の任務はエルス・ハーゼンクレヴァの捕獲です。オズ君たちでは捕獲は厳しそうなので、いよいよフィディールも長老も嫌々ながらもあなたを使うことに決めたそうですよ」
「嫌々かよ!」
ハインツは叫んでから、いらだたしげに腕を組む。
「で。エルスの正確な場所は? 当然、アメーリエに感知させてんだろうな?」
「いいえ?」
「おいおいおい! 調べとけよどんだけ広いと思ってんだこの街!」
「大丈夫ですよ。きっと隊長なら見つけられます。私はあなたを信じていますから」
「信じてるとかでどうにかなるか! そういうときだけ調子のいいこと言うな!」
そう叫んでから、一転。
ハインツは、すがるような甘えた声を出した。
「な、カヤ。どうせ今回もフィディールから自力で探せと伝えろとか言われてるだけなんだろ? な? けど冷静に考えてみようぜ。この広い街で黒髪の少年とかどんだけいんだよ。普通に探せるわけないだろ。だったら、アメーリエんとこ行ってあいつの場所を突き止めてもらうのが一番効率的ってもんだ」
適当に丸め込むつもりが、即興で作った口上は我ながら会心の出来だ。
これなら反論の糸口などつかめまい、と得意げになっていると、カヤはきょとんとした様子で指摘してきた。
「アメーリエたちなら、コキーユ跡地に向かいましたから、街にはいませんよ?」
「え、街にいないのあいつら?」
「ええ、例の〈
「マジかよ!?」
わざとでもなく大声を張り上げる。
カヤは驚きもせず、しみじみと言ってきた。
「それはこちらの台詞ですが。ほんとに気を失っていたんですね」
「お前、オカマから食らったオレの精神的ダメージを、割と軽く見てるだろ……」
「そういうつもりはないんですけど」
そう言うカヤだが、どこまでわかっているかは微妙だ。
ハインツは軽く悪態をつく。
「一度でいいから、胸毛がもじゃもじゃな暑苦しい筋肉だるまに抱きしめられてみろってんだ。それで? じゃあ、どうやってクソガキを探せってんだよ」
怒ってというより、拗ねた声音のハインツにカヤは澄ました顔で続けてきた。
「〈光詠み〉の預言を借りてください。今日、〈ミモザの花調べ〉で行われる催しのためにもう来ているはずです。話は通してあるそうなので、旧市庁舎へ行ってもらえれば」
「あいつの預言を頼りに探せってか……ん? 『ください』って、カヤも手伝ってくれるんじゃねえの?」
「私はこの書類整理が一区切りついたら、私用にて休暇をいただいてますので、隊長の手伝いはできません」
「へ?」
「ですので、ハーゼンクレヴァと出会った際は、くれぐれも、いいですか? くれぐれもですよ? 常識的かつ大人としての判断をきかせた上での対応をしてくださいね」
まるで幼い子供を言い聞かせるようなそれ。
少々納得のいかないものを感じながらハインツは聞き返す。
「……念押しされた上に、大人としての対応を求められてる?」
「いい年齢をした大人なんですから、それぐらいしてください。それからフィディールからの伝言です。もしハーゼンクレヴァに後遺障害が残るようなことないし怪我を負わせたら塔全部の外壁掃除をさせる、とのことです」
「そういうのはな。伝言じゃなくて脅迫ってんだ。ったく」
ぼやく。
日頃、ハインツに仕事をさせるため、なにかと手を組んでいる節のあるカヤとフィディールだ。
おまけに付き合いも長ければ、仲も良い。
カヤとハインツより、カヤとフィディールの方が付き合いは長いのだ。
表立ってはわかりづらいが、結束力ではカヤとの方が上ではないかとハインツは睨んでいる。今まで、二人を同時に敵に回すとろくなことにならなければ、勝てた試しもない。物理的にも精神的にも。
ぶつくさと文句を垂れていれば、カヤが唐突に腰を上げた。
「では、私も素敵な殿方とデートがあるので、そろそろ失礼しますね」
「へえへえ、そうですか。そちらは素敵な殿方とデートですか――って、聞いてねぇぞそんな話!」
一体全体どういう訳だと問い詰めようと振り返ったときには、無情にも部屋の扉は閉められた後だった。
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