第三楽章 背徳者たちの奏でる喜遊曲
第一小節 ミモザの花調べ
光に照らされた花が、金色に輝く。
しんしんと足元から冷気が伝わる列車を降りれば、光が明るくなった。
旅行鞄を持った婦人。乗り継ぎ駅を尋ねる記者、弾けるような若い男女の声……
駅の発車ベルが後ろで鳴るのを聞きながら、ティアは乗客でごった返す乗降場を歩き出した。人々の間を白い息をきらしながら通り過ぎ、胸を躍らせる。
「うわあ……っ」
駅は、どこもかしこも黄色の花が飾られていた。
ガラスと鋼鉄の大屋根で覆われたすっきりとした駅舎。
発車案内版や車掌の帽子にも、黄色い花が咲き乱れていて、駅舎を出ても、それは同じだった。
立ち並ぶ蜂蜜色の家々。青い空へ突き出した鐘楼。街を行く人達の服装。駅前の広場から見渡せる景色全てが、金色の花であふれかえっている。
どこかおとぎ話のような世界を、ティアはふわふわとした夢心地で進んでいった。
気分よく歌を口ずさみながら階段を下り、ふと、下りきった先で、房状の黄色い花が積まれた荷車を見つける。
山と積まれた花車に近づくと、いい香りがしてきた。街中に広がる香りと一緒だ。花の香りを堪能するよう胸いっぱいに吸い込み、くるりと振り返る。
「エルスーっ!」
元気よく、ぶんぶんと手を振った。黒髪の少年へ向けて。
少年は、駅舎の入口から広い階段を下りてくるところだった。朝の陽光を浴びながらあくびをかき、軽く片手を持ち上げてくる。返事でもするように。
「なんかすごくお花がいっぱいですけど、この花ってなんですかーっ!」
「ミモザの花だー! 塔で会ったとき、話したことあっただろー!」
「これがそうなんですね! へえ~!」
階段上のエルスへ届くよう大声を返し、ティアは好奇心に目をきらきらさせた。
のびやかな乙女の踊りにあわせて、街を春風のような黄色の花が舞う。
一方、劇を演じる一団の周りを客たちが囲んでいた。賑やかな声。わっと押し寄せる豊かな人の賑わいのなか、巻き起こる拍手喝采。
塔で暮らしていたころは見たこともない景色に、すっかり興奮しきって手を叩く。
「すごいすごいーっ!」
すると、追いついてきたらしい。後ろからエルスが呟いている。
「元気なんだよなあ」
「いいことじゃない」
くすりと笑う声。
もう一人、銀髪の女性がエルスの背後からついてきている。
「俺が言いたいのは、そういうんじゃなくてだな……」
「それにしても、さすがはタレイア街ね。ここまでの規模の〈ミモザの花調べ〉なんて、そう見られない──」
「あっ、あれなんですか、あれ! すごくいい匂い!」
「おい」
漂ってきたバターの香りに、ティアははしゃいで走り出した。
青空の下、売り物を売る商人たちの声を抜け、アンティークや古道具のお店が立ち並ぶ一帯へやってくる。
店では火で熱した二枚の鉄板の間に、パン生地のようなものを挟んで焼いているようだった。
見たことのないお菓子だ。
店頭に並ぶ網目模様のパンからふんわりと漂う、バターと砂糖の香ばしく甘い香りに、たまらず喉が動く。
と、ティアの顔の脇から、指先のない手袋をはめた手が突き出された。
「すみません。ワッフル二つ。できれば焼きたてのを」
見ると、エルスが店主に向けて硬貨を差し出していた。
あいよ、と硬貨を受け取った店主が、パンを紙の間に挟み、器用に二つ差し出してくる。
エルスは店主から一つ受け取ると、ん、と視線と顎で受け取るよう促してきた。
ティアの表情がぱあっと明るくなる。
「ありがとうございますっ」
受け取るなり、ティアはあつあつのワッフルに飛びつくようにかぶりついた。
やけどしないよう、はふはふと口の中でワッフルのかけらを何度か転がす。舌の上をとろけるような甘さに、たまらず頬が幸せで緩む。
「ん~! おいしい~っ!」
「ふふっ、楽しそうで何より。……ところで、私の分はあるのかしら?」
はたとティアは、食べかけのワッフルを見下ろした。同時、慌てる。
「ご、ごめんなさい! 私だけ先に食べちゃってて……」
「いいのよ。だって、エルスが買ってくれるもの、ね?」
しかし、エルスはすげなかった。
「買いませんが?」
「あらひどい。ティアには買ってあげて、私には買ってくれないの?」
「食べたいなら自分で買えばいいだろ」
「酷いわねえ。そんな酷いことばかり言ってると、私だって泣いちゃうわよ」
両手を顔に当て、しくしくと泣きだすルーシー。
エルスは大仰にため息を吐いた。
「子供か……。第一お前はティアと違って金を持ってるだろうが」
それを聞いたルーシーは泣き真似を止めると、そう、と、どこか落胆した声を落とし。
「――でも、そんなことを言っていいのかしら?」
がらりと変わって、凄みの増した眼差しを寄越してくる。
エルスは反応しなかった。眉も表情筋も一つも動かない。しかし、小さな沈黙を挟んだ後、店主へ硬貨を差し出し。
「……追加でワッフル一つください」
「あら優しい」
ころりと一転。ルーシーはにっこりと笑うと、ありがとう、と言ってワッフルを店主から受け取った。ワッフルの端っこを軽やかにかじる姿は実に楽しげだ。
エルスは無言だった。別段変わらない様子で残りのワッフルを食べている。だが、いつもより乱暴にがつがつと貪っている姿は、どう見てもやけ食いにしか見えない。
二人の対照的な様子にティアはこっそりと息をつきながら、どうしてこんなことに……、とルーシーと出会ったときのことを思い返していた。
──話は約一週間前に遡る。
「……味方、と言ったな」
モンレーヴ郊外でオズウェルをやり過ごした後、現れたのはルーシーと名乗る女性だった。
ティアを背後に押しやって、エルスは銀髪の女性をゆっくりと見やった。警戒の色を強めながら視線を鋭くする。
「なにを基準として味方と言える?」
空はいつの間にか淡蒼に薄っすらと金色の光を帯び始めていた。もう少しすれば、日が沈み暗くなるだろう。空気が冷たくなる。
ルーシーは、改めて考えるような素振りを見せた。
「そうねぇ、そう聞かれるとあまり具体的に考えていなかったのだけど、言えるのは危害やあなたたちの不利益になるようなことはしないということかしら。もちろん、帝都カレヴァラと通じてもいないし、情報提供だって惜しまないわよ。その子が何者なのか、知っている範囲で教えてあげる」
「そっちの目的は? 無条件で味方になってくれるわけじゃないんだろ」
「せっかちな子ね。少しぐらいもったいぶらせてくれてもいいじゃない」
「いいから、目的は?」
もう、とルーシーはつまらなさそうに唇を尖らせた。顔から表情が消える。
「私はその子が塔にいたころ、誰と接触していたのかを知りたいの。帝都カレヴァラがやろうとしていることや、その子が何者なのかということに特に興味はないわ」
「そんなものを知ってどうする?」
「それは、あなたの預かり知るところではないでしょう」
詮索無用と言わんばかりに、ぴしゃりと言い返される。
エルスは閉口すると、やがて判断を仰ぐようにティアを肩越しに見てきた。承諾の意を込めてティアがうなずき返せば、はあと、観念したように息を吐き出してくる。だが、せめてものの抵抗のつもりだろう。ルーシーに問い返す。
「ちなみに、もし、断ったら?」
「断れる状況だと思ってるの?」
間髪入れずに切り返され、エルスが今度こそ押し黙った。
澄んだ空の下、ルーシーの冷然とした声が響き渡る。
「あなたたちの選択肢は二つ。私と一緒に行くか、断って茨の道を行くか――さぁ、どうする?」
選択肢は最初からないも同然だった。
まあ、詳しい話は、近くの村か街に行ってからにしましょうか。こんな道端のんびりしてたら、〈盤上の白と黒〉に追いつかれてしまいそうだし……案内するわよ。もちろん、無料で。
というルーシーの提案に、一も二もなくうなずく他なくなったティアとエルスは北上し、タレイア街と呼ばれる大都市へ到達し──
……先のワッフルのやり取りである。
道中、エルスとルーシーの間に険悪な空気が流れるのは一度や二度ではない。やや見慣れてきてはいるのだが、瞬間、緊張が走るティアとしては落ち着きはしない。
この女性は何者なのだろう。ティアはワッフルをかじりながら銀髪の女性をちらり見た。偶然、ぱちりと視線があう。どきっとして、少なからず内心で狼狽していれば、ルーシーは、う~ん、となにやら悩ましげにティアの顔を見ていた。
「あ、の……?」
「別にそのままでもいいんだけど、やっぱり地味よねぇ」
「うん?」
言葉の意味がわからなかったのは、エルスも同じだったらしい。
ティアはエルスと一緒に首を傾げた。
*
「お待たせしました!」
屋根を繋いだパサージュの下。
ティアは、ブティックから出ると、新調したばかりの服でエルスに笑いかけた。
「……あれ? 服?」
「はいっ」
どこか不意打ちを受けたような、珍しいエルスの表情。
ティアは意味もなく少し楽しい気分になって、くるりと一回転した。赤い生地に刺繍がされた伝統衣装風の旅装束がふわっと広がる。
白い防寒着と紐を編み上げた靴はそのまま、上衣と膝丈のスカートを変えただけなのだが、ぱっと見では、全く違う格好に見えるだろう。
「あんな地味な色の服ずっと着せてたら、可哀想でしょ」
「あっ、ルーシーさん」
扉をくぐって店の外に出てきたのはルーシーだった。ティアが着ていた外套を腕にかけ、近づいてくる。
ぽつりとエルスが口にした。
「……支払いは?」
「え?」
「ティア、お前、金持ってないだろ。……よな?」
なぜだか困惑にも見える様子で、エルスが聞き返してくる。
露骨にルーシーは呆れたようだった。
「ここはそういう台詞が出てくるところじゃないでしょう? 心配しなくても私が支払っておいたわよ」
「そうなんです、この服もルーシーさんが選んでくれて……」
どこか気恥ずかしいような嬉しいような気持ちで、レースが寄せられた袖を眺める。色とりどりの刺繍は花畑のようだ。
今まで真っ白なワンピースしか着たことのないティアにとって、色のある可愛らしい女の子の服というのは馴染みがない。
「似合ってるわよ。でも、寒いから先に上着を着てしまいなさい」
「はいっ」
白い外套をルーシーから手渡され、ティアは袖を通した。
ふぅん、と声を上げたのは、エルスだった。
気のないようなあるような、曖昧な様子に目ざとくルーシーが反応する。
「なあに?」
「いいや、別に。帽子まで買ってくれるとは思わなかった、って」
「帽子?」
言って、ティアは自分のそれを外した。垂れ耳うさぎのような耳当てのついた帽子は、顎下で結べるよう紐が下がっている。てっぺんには毛糸玉が。
「なによ。雪が降ったら頭も身体も冷えれば視界も悪くなるじゃない。一応、外套にフードはついているけれど」
「ルーシーさんが買ってくれたこれ、とってもあったかいんですよ」
そう言ってティアは自身の帽子を取ると、エルスに被せてみせた。されるがままの、淡白な少年の雰囲気が和やかなものになる。
「わ、エルスかわいいです」
「悪意がないのが最大の悪意再び……っと」
「ええ!?」
「かわいいわよ? とぉっても。ねえ?」
「ほ、ほら、ルーシーさんもそう言って」
「これが褒めてるように見えるか?」
「うっ」
「あら、ティアったら、私の言葉を信じてくれないの?」
「ううっ……」
板挟みになりながら、ティアが苦くうめく。
「ご、ごめんなさい……」
ひとまず腕を伸ばして、ティアはエルスから帽子を外そうとする。
ルーシーの真意はさておき、かわいい、は、エルスにとって褒め言葉にはならなかったらしい。この少年、目が表情以上に語る。悪感情は抱いていないようだが、面白くないのはよくわかった。
「お前にしてみれば、これも
「同じ?」
エルスはティアの手が届く前に、自ら帽子を外すと手渡してきた。
「残念ね。可愛かったのに」
「言ってろ」
吐き捨てたエルスの眼前に、ルーシーの手が突き出された。一抱えできそうな紙袋が下がっている。
「これは?」
「この子の服よ」
「ああ、元々着てたやつか?」
「それも入ってるけれど、もう一着。予備の分よ。あなたのあのよくわからない空間にしまっておいて」
「もう一着買ったのか?」
エルスは驚くでも受け取った紙袋の中身を覗くでもなく、尋ねる。
「最低、二着は必要でしょう。地味な上に寒さも防げないような薄っぺらい服なんて、ただの布を巻き付けてるようなものじゃない」
どこで買ったのよ、あんな粗悪なもの、などとルーシーは辛辣に言っている。
「手袋はいいのがなかったから後で買うわ。この子がつけてる手袋、たぶん、あなたのでしょう?」
「まあな。服は本格的な旅路の前になんとかしたかったからいいんだが……なあ、重くないか?」
これ、とエルスがルーシーから受け取った紙袋を持ち上げて見せる。
「私の分も入ってるもの」
よろしくね、とルーシーはひらりと手を振った。さも当然そうに。
エルスは一瞬だけ何か言いたげな空白を見せたあと。
「……誰かに見られると、あれは面倒になる可能性があるから、後で」
「そうね。じゃあ、それまで持っててくれるかしら」
エルスは何も言わなかった。表情というものがない顔で大人しく紙袋の紐を肩に担いだ。
……ここまで相手に逆らえないエルスというのを初めて見た気がする。
誰に対しても地で行く少年にしては珍しい。思いかけて、ティアは慌てて声を上げた。
「に、荷物ぐらい私が持ちます! 服だって買ってもらっちゃったし……」
「そんなことさせたら、年下の子をいいように使ってるみたいになるじゃない」
ね?と困ったように眉根を寄せたルーシーに微笑みかけられ、ティアは、う、と呻いた。
こういったルーシーの好意や善意といった類にティアは弱い。ものすごく。強く断ることもできなければ、巧みにかわすこともできない。
それで結局、先ほども断りきれず、二着も服を買ってもらってしまったのだから。
だが、そんな一枚も二枚も上手な女性相手に、エルスはいけしゃあしゃあと返すだけだ。
「それを言ったら俺も年下だが?」
「そうだったかしら?」
二人の間に火花が散った。
すかさずティアは間に割って入った。エルスが担いだ紙袋の肩紐をぐい、とつかむ。
「エルス、やっぱり私持ちますっ。それ、私の服ですし……」
「いい」
「でも」
「お前に持たせる方が面倒なことになりそうだし、それに、別に大した重さじゃない」
エルスはそう言って肩にかけた紐の位置を直すと、言葉通り重さを感じさせない様子で抱えてしまった。見上げるほどの身長差のない少年はいつもの涼しげな顔だ。
──と。
「ほら! 早く行かないと時間になっちまうぞ!」
「今いく!」
子どもたちがそばを駆け抜け、雑踏の中へ消えていった。
人だかりの奥へ紛れてしまった子どもたちに思わず気を引かれていれば、エルスまでもがティアの視線を追う。
「ああ、もうそんな時刻かしら」
思い出したように声を上げたのはルーシーだった。
「時刻?」
「そうね……そうだわ。ちょうどいいから、見せてあげる」
ルーシーが道を進む。一歩遅れてティアもルーシーについていく。
「見せてあげるって、何をです?」
「大陸の崩落」
軽やかな声にはそぐわない、不吉な内容。
茶目っ気たっぷりに、だが、なにかの予感を漂わせながらルーシーは言い放った。
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