第十六小節 ラティメリア第一計画

 白銀の霧氷をまとう木々の下、金属と金属を打ち付けあう激しい音が響く。

 短剣を弾かれれば手首を翻し、刃を受け止められれば流し、避けられても隙なく追撃を重ねる。流れるようなエルスの動きに、オズウェルの頬に一筋の汗が流れる。


「アメーリエ! 壁は!」

「制御特化じゃないんですからあ、こんなの急に言われてもぉ」


 戦う三人を四方の光の壁が囲んでいた。

 壁に手を掲げるアメーリエの眼鏡の奥、琥珀色の瞳が煌々と輝く。フェイと同じ強力な感知特化が見せる、特徴。

 させじ、とエルスは懐から投擲ナイフを投げ飛ばす。アメーリエの小さな悲鳴。


「アメ……っがあ!?」


 見逃さない。エルスは空を切った剣の下、オズウェルへ踏み込みながら身をひねると、その腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。のち、すかさず、逃げを打とうとしたアメーリエへ、一撃を叩き込む。


「わわわあっ、ちょっとぉ~」


 慌てながらエルスの剣戟を受け止めるのが精一杯なアメーリエの様子は、近接戦闘に特別慣れているわけではなさそうだった。演技である可能性も否めないが、彼女が感知特化であることから察すれば、諜報、あるいは死角からの暗殺を得意とする隠密担当か。エルスは上着の裏に手を入れ、投げ放つ。

 きれいな放物線を描いた投擲ナイフが三本、アメーリエを三角に取り囲む形で落ちる。かっと、アメーリエの足元で強い光が閃いた。

 瞬間、甲高い悲鳴が上がった。


「アメーリエッッッ!」


 エルスの背後からオズウェルが迫る。

 手首を返し、一閃。エルスは襲いかかる剣を翻した刃で流すと、一切の躊躇なく切っ先を尽きこんだ。オズウェルの右肩が割ける。浅い。肩の下、防塵繊維系の何かを着込んでいる。


「ぐ、あ……っ!」


 だが、斬撃は防げても衝撃は殺せない。オズウェルが濁った悲鳴を上げながら、のけぞる。

 とたん、大気を真っ二つに引き裂くようなけたたましい音が飛来した。

 四方を覆っていた壁ごとアメーリエを囲んでいた壁を貫き、爆撃のようなすさまじい破裂音を撒き散らす。

 砕けた光の壁が明滅して消えた。

 また、意識を失ったアメーリエも、膝をついて倒れる。


「ずいぶんと援護に恵まれてるようだな」

「まさか……本当にカヤさん?」


 信じられない様子で、オズウェルが肩を押さえながら狙撃がやってきた方角を見た。モンレーヴ旧市街の奥。その瞬間、僅かに生じた空隙に、エルスは斬り込んだ。風を切る音。


「く……っ」


 飛んできたエルスの斬撃を、オズウェルが辛くも受け止める。

 肉薄した状態でエルスは問うた。


「〈ラティメリア第一計画〉について答えろ」

「それを言うなら、君はどうしてその名前を知っている。本来ならそれは名前すら知られてはならない計画のはずだ!」


 そう言って、オズウェルはエルスの短剣を一挙動で払い落してきた。続けて、側面から回り込むようにオズウェルの剣が閃く。

 エルスはそれを難なくかわすと大きく跳躍した。足に着地の感触。


「言ったはずだ。当事者から聞いたとな。正しくは、被害者というべきかもしれないがな」

「被害者だって?」


 意味を取り損ねたように、オズウェルが聞き返してくる。

 この世の根源たる〈オルフィレウスの泉〉に沸く、力の源泉。

 エーテルと呼ばれるそれは、一定の密度を越えると大気圧で固化し、生命に擬態する。

 その総称をラティメリアといい、本来は自然現象でしか誕生しないラティメリアを人工的に生成しようと帝都で極秘に行われた研究があった。

 ──〈ラティメリア第一計画〉。

 その研究所は、五年前に炎上した。

 反政府から襲撃を受けたのか、法術の技術において、大陸最高峰を謳う古都トレーネを差し置いて独自に研究を進めたことで、やっかみを買ったのか、それとも単なる事故だったのか、原因はわからない。

 生存者および当時の関係者は、全員死亡ないし廃人状態。頼みの綱である各資料は全て焼け、復元は困難を極めている。

 今となっては一体そこで何の研究を行っていたのか知らない者の方が多いだろう。

 唯一生き残ったのは、被験体九番であるフェイのみ。


「そっちの質問には答えた。今度はこっちの番だ。ティアは何者だ」

「それは答えられないと言ったはずだ」

「なら質問を変える。お前はティアが何者なのかを知っているのか」

「それは……」


 唐突に冴えない表情で、あいまいに顔を伏せるオズウェル。

 その姿に、エルスは声を低めた。


「……どうやら口にするのをはばかられる内容みたいだな」


 湖水色の瞳は、陰りを帯びたまま黙している。


 かつて、太古に滅んだオルドヌング族が使っていた魔法。

 法術の原点である力を、人 間でもなくオルドヌング族でもないはずのティアが、なぜ使えるのか。

 真っ先に思い浮かぶ可能性としては、オルドヌング族の生き残りがいたか、オルドヌング族の遺産の力をなんらかの理由でティアが身体に持っているか。あるいは、エルスやフェイと同じように実験の被験者か。

 だが、エルスはそのどれでもないだろうな、と見当をつけていた。

 おそらく、ティアは──


 と、口をつぐんでいたオズウェルが、痛切な声で力なく懇願してきた。


「……お願いだから、ティアをこちらに渡してほしい」

「それは俺じゃなくて本人と直接交渉するんだな」

「君が、いや、君なら今の彼女を説得することぐらいできるだろう? 頼む。じゃないと、あの子が……あまりにも可哀想だ」

「かわいそう?」


 ぴくり、とエルスが反応した。珍しくわかりやすい嫌悪感を表に出す。


「俺に言わせれば、何も教えてやらないことの方が、よっぽどカワイソウだと思うがな」

「それは……」


 湖の色を深めた眸が揺らぎ、だが、オズウェルは苦々しく言い返してきた。


「……もし、教えてあげたとして、それでその真実にあの子が深く傷ついて立ち直れなかったらどうするんだ」


 推し量るような質問に、エルスの答えは実に素っ気なかった。


「試してないことを論議するつもりはない」

!」


 堪えきれなくなったもの全てをぶちまけるような叫び声だった。

 今までとは明らかに様子の異なるオズウェルに、ふと、エルスは毛色の異なる声で尋ねていた。


「もしかして、お前はティアがここ最近の記憶しかない理由を知っているのか?」

「……そうだ」


 オズウェルは肯定した。ティアに見せていた爽やかな面差しを、暗い無表情に変えて。


「だから、僕はティアに、あの子が何者であるかを教えるつもりはない。フィディールさんの命令に従って連れ戻すだけだ」


 オズウェルが再び剣を構えた。切っ先を真っ直ぐ、エルスに向けてくる。


「ここで僕らの邪魔をすれば、君は本当に罪人として帝都カレヴァラから手配されることになる。もう一度聞く。あの子をこちらに渡してくれるつもりは?」


 その問いかけに対し、エルスは一回目を閉じた。開き。


「——ない」


 簡素かつ揺るぎない答えを返す。


 そのエルスの答えに、オズウェルは。

 失意のようなものを見せた後、何かを言う気力さえ失ったようにひどく緩慢な仕草で頭をゆるりと横に振り、かと思えば、不意にムカつきが胸に湧いたような、物寂しく虚ろなような、失望と怒りと絶望を混ぜ合わせたような、本当に言いようのない表情を見せ──最後に、それらありとあらゆる感情を打ち切って、目の前のエルスを睨み上げてきた。剣の柄を握りしめる手に力を込め、


「なら、ここで片付けさせてもらう!」


 間合いをつめてきた。決意でもしたように勢いよく駆け出してくる。

 かわすか、受け止めるか。エルスは重心を低く落として短剣を掲げ。

 聞こえたのは。


『──』


 細い、少女の声だった。フェイの感知を通して、引き攣れたティアの悲鳴が鼓膜を震わせる。また、狼の唸り声も。


『エルス』


 フェイに呼ばれる。

 判断は迅速だった。距離が、消失する。

 近づいてくるオズウェルと数歩の距離を置いて佇んでいたエルスは、自分から距離を縮めにかかった。


「な──」


 懐に踏み込まれたオズウェルが、愕然と瞳を見開く。だが、遅い。

 分厚い金属が切断される音が、虚空へと鳴り響いた。一際強く。

 オズウェルが絶句しながら、信じられない目で自身の剣を見ている。

 彼が今しがた振り上げていた剣は、半ばで折れていた。剣を掲げるオズウェルの腕の下、至近距離に潜り込んだエルスの姿がある。その手には、短剣が──象嵌された宝玉が、夕日のごとく茜色に輝いていた。


「な……、その武器は──ぐっ」


 エルスは腕でオズウェルの首を殴打すると、雪を蹴って跳んだ。風月の囁き、と唱え、目に見えない空中の足場に靴の底を置き、更に高く舞い上がる。空へ吸い込まれるように。


「待て!」


 地上のオズウェルが叫ぶ。

 彼は歯噛みした後、倒れているアメーリエの元へ駆け戻り、細い長剣を鞘から抜き放つ。そして。


「……っ、カヤさん、アメーリエを頼みます!」


 空に向かって声を張り上げた。







 じわじわと寄ってくる狼たちから逃れようと、対峙しながら後ろへ下がり続けていたら、ティアはあっけなく断崖の端へ追いやられていた。

 肩にいるフェイが怒ったように叫んでくる。


『あーもう、もたもたしてるから!』

「うそ……」


 じり、と一歩下がれば、ティアのかかとが絶壁の端を踏んだ。崖端に積もっていた雪がぱらりと散る。風雪に深く刻まれ、そそり立つ厳しい壁の遥か下、果てしなく広がる黒い森へ広がる雪。

 ティアは固唾を飲んだ。

 後ろは崖、前は狼の群れ。

 迂闊に動けば、ましてや逃げようとする素振りなんて見せようものなら、いっせいに襲い掛かってくるだろう。既に狼たちは、一息でティアに跳びかかれそうなほどの距離。かといって、後ろには逃げ道がない。冷や汗がティアの背筋を伝う。

 どうしたら──

 狼の数は両手では足りず、武器もなにもないティア一人では、どう考えても勝ち目はない。


『あーもう、こうなったらティアごと廃人にして――』


 言いかけたフェイがはっと顎を上げた。吸い込まれそうな空。なにかに気づいたように、鋭く吠える。


『ティア! そこから動くな!』

「え?」


 昊天、真昼の空を一条の光が天地を貫く。

 光の柱は、今まさにティアに跳びかかろうとしていた先頭の一体を押しつぶした。

 次々と、光の柱が降ってくる。

 大木が破裂するような音が大地を揺るがす中、天まで焼き焦がす真白き炎。膨大な熱量に焼き尽くされた雪が一瞬で蒸発した。水蒸気となって煙のようにあたりに立ち込め、刹那、氷点下の大気で再凍結して、ダイアモンドの霧となって輝く。


「なに……が…っ」

『下手に動かない方がいいよ。死にたくなければね』


 視界を覆う白い水蒸気の中から、慌ただしい足音が聞こえてくる。数多の生き物の足音と影が飛び交っているようだが、白い煙は一向に晴れそうにない。霧に隠されたなかで、何が起こっているのか。

 最後に、さっと円を描くような風が吹き、あたりの霧が退いた。

 辺りは、様変わりしていた。

 巨人でも歩いたかのような無数の足跡が残っている。足跡の下、春まで消えずに残る根雪すらすっかり蒸発していた。枯れ草と濡れた土が顔をのぞかせている。

 狼たちは、すっかりいなくなっていた。ティアと、気を失った狼を残して、

 そこへ──

 一拍遅れて、ティアの目の前に落ちてきたのは、オズウェルとエルスだった。

 二人は互いに剣を弾き返すと距離を置き、身体をそれぞれ一回転ないし半回転させながら体勢を立て直す。


 着地したエルスが、うっとうしそうに言い放った。


「しつこい男は嫌われるぞ」

「それはそっちだろう!」


 叫び返すなり、オズウェルがエルスへと飛びかかる。

 エルスが身を沈め──その足元が急に深く崩れた。崖に亀裂が走る。

 瞬間、好機とオズウェルが鋭く狙い定める。

 このままではエルスが斬り殺されてしまう。

 そう思ったティアの身体は、考える前に動いていた。


「……え?」


 というのは、意外にも、エルスの声だった。

 決して速いとは言えない動きであったにも関わらず、オズウェルよりも早くティアはエルスの傍に駆け寄っていた。細い腕でエルスを突き飛ばす。

 エルスが立っていた場所と入れ替わるように、ティアが立つ。とたん、足元ががくんと下に沈んだ。崖の端が崩れ落ちる。足元の感覚が消え失せる。


「 「ティア!」 」


 崖の上の二人が、ティアに手を伸ばす。

 ティアも二人に手を伸ばし──だが、その指先は宙を空しく横切っただけだった。無情にも、雪の森に落ちていく。二人の顔が瞬く間に遠ざかっていく。

 すると。


「なっ!」

「……え?」


 信じられないことに、エルスが何の迷いも躊躇いもなく、地を蹴って崖下へと飛び込んできた。落下するティアを追いかけてくる。


「待──」


 遅れて反応したオズウェルが、崖から身を乗り出す。


 その声に被さって、何かが割り込み──


 瞬間、まばゆいばかりの光が膨れ上がった。派手に爆音をまき散らす。オズウェルとエルスの間に投げられたそれは、オズウェルの叫び声を飲み込み、掻き消える。

 一方、エルスは、落下の途中、ティアの手首をつかむと、自分の側にぐいと引き寄せた。身体が引き千切られるような異様な感覚が、ティアの身体に走る。

 眼前に迫る大地。衝突まで残りわずか。


 その直前。


花月フロレアルの舞い──っ!」


 エルスは、ほとんど絶叫していた。

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