第五小節 それぞれの足跡を探して

 鐘が鳴った。昼を告げる鐘が。


 ゴォン、ゴォン、と大きな響きが聞こえてくる。ルーシーが顔を上げれば、雪のちらつく灰空の向こう、遠く離れたモンレーヴ新市街の広場で、大鐘が揺れていた。

 ちょうどいい。切り上げどきだ。ルーシーは目の前、勝手に顔見知りとぺらべら話し込んでいる男に硬貨を無理やり握らせ、それじゃあ、と歩き出した。男の抗議を無視して、付きあわされかけていた世間話から逃れる。情報が欲しい身としては、おしゃべりなのはありがたいが、無駄話は嫌いだ。


 そうモンレーヴ旧市街での情報収集に一区切りをつけ、ルーシーがやってきたのは、馴染みのある店だった。


「はい、いらっしゃい」


 入れば、女性の声と共に、美味しそうなスープの匂いが漂ってきた。ハーブと塩と、ことことと煮込まれた肉のいい匂いに、たまらず腹が動く。

 店の奥、豊かな栗色の髪の女性が、カウンターの内側で背を向けて立っている。客はルーシーの他、まだ誰もいないようだった。

 ルーシーはいくつかの卓と椅子を避けて進むと、カウンター席に腰掛けた。


「あいよ、ちょっと待っておくれ」

「ええ、いつでも」

「って、あら、ルーシー?」


 女性がぱっと振り返った。カウンターから身を乗り出し、深紅の外套とマフラーを外して畳むルーシをまじまじと見やる。


「お久しぶりね、マダム」

「あら、いやだ。いつこっちに戻ったの?」

「今朝よ。あいさつが遅れてごめんなさい」

「そんなの気にしなくていいって」


 こざっぱりと笑うふくよかな女性は、いつもそう言ってルーシーを迎え入れてくる。


「今日、ご主人は?」

「鐘も鳴ったし、もう戻ってくると思うんだが、週末だから、どこかで一杯引っ掛けてきてるかもしれないねぇ」

「あら残念。ねえ、今日のランチをいただいても?」

「もちろん」


 そう言って、女将が食器棚からきれいな皿を数枚取り出す。

 自宅の食堂にいるような気分でくつろぎながら、ルーシーは自然と店内を見渡していた。

 店の中は、相変わらず掃除が行き届いているようだった。

 木製の小ぶりな椅子も、天井から吊るされたランプも、家事や土仕事による汚れや小さな傷こそあるものの、丁寧に磨かれている。どれも大切に使われているらしいことに、じんわりと暖かいものが胸に広がった。


「家、いつもきれいに使ってくれてありがとう」


 ふっと、心にあふれるまま、ルーシーは口にしていた。

 女将はきょとんとした後、あっけらかんと笑いながら手を振った。


「そんなの、あんたの家なんだから、あったりまえでしょう」


 そう言って、昔と変わらない温かな微笑みが返される。


「おかえり、ルーシー」

「ただいま」




* 




 ──五年前、モンレーヴ村は壊滅した。


 で住民は全滅。ルーシーとを残し、村は廃墟と化した。


 そういうことになっている。否、そういうことにさせられた。モンレーヴ村を滅ぼした、他ならない帝都カレヴァラによって。


 復興の見込みはなかった。


 民家や市庁舎こそ無傷で残っていたが、旧貴族の元保養地であること以外、特別目立つものもなければ政治的も価値はなく、そのまま、放置される予定だったという。

 帝都カレヴァラの地方をまとめる幾人かの長老が、村を再建しようとしたのは、なんの気まぐれだったのか、道楽だったのかわからない。あるいは、最初から汚職の温床にするつもりだったのかもしれない。


 ルーシーの故郷であるモンレーヴ村──モンレーヴ旧市街の民家は、宿舎として使われることになった。

 宿舎だけではない。川を使って貨物を運搬する造船所の作業場、労働者が一杯やるための酒場、飲食店、飲食店を支える市場、市場のための畑……

 様々なものが旧市街に出来上がり、新市街にも華やかな劇場などが建ち、そうしているうちに、たくさんの人がまた集まってきた。

 どこから話を嗅ぎつけたのか、あるいは物珍しさからか、旅役者の一座や大道芸人たち、グラスを片手に詩を綴る詩人といった人も。


 だが、市場のような活気に引かれてやってきたのは、それだけではなかった。


 貧しさから、日銭を稼ごうと日中は飲食店で働き、そのうちもっと金を稼ぎたいという抗いがたい誘惑に駆られ、男の誘いを受け入れる娘たちがいた。また、売春宿へ足を踏み入れる者も。

 そして、どんな敬虔な男も、その誘惑に抗うことは出来なかったという。


 その後、夜に篝火のように赤々と明かりが灯る売春宿が、旧市街の運河を沿いに増えていった。

 政治家たる長老は、肉欲の罪の所業を積極的に奨励した。手に入れた土地から召し上げた地代で賄賂を贈り、あまつさえ自らも享楽にふける始末。


 ──腐っている。


 匙を握るルーシーの手に力がこもる。

 だが、それも長くは続かなかった。

 二年前、ある長老の汚職が発覚した。

 告発したのは、今は〈光詠み〉と呼ばれている帝都カレヴァラの預言者だったらしい。

 事件が発覚した後、ある長老とモンレーヴ旧市街の売春宿の繫がりが明るみになり、それを皮切りに問題のある売春婦は一部、撤去された。


 ……それでも、人々が不快だと感じることは、モンレーヴ旧市街に残っている。


 だって、ここでは全てが温かく迎えられている。貧しさも淫らさも暴力も。


 ──ルーシーの胸にある復讐心も。


 と、そんなルーシーの仄暗い思考を断ち切ったのは、耳に心地よい柔らかな歌声だった。女将のふくよかな唇から、歌が流れている。


 ミオソティスの誓いを知っていますか?

 揺られ、風に揺られる優しき花を

 忘れることのない歌を覚えているのなら

 いつかあなたに必ず会いに行きます


〈ミオソティスの詩〉。

 戦時、離れ離れになった恋人たちの愛の詩。


 ミオソティスの誓いを覚えていますか?

 愛しく、愛おしく咲き誇る慈しみの花を

 また一つ部屋に手紙が届きました

 あなたに会える日を今日も夢見ています


 過ぎし日の再会はない。詩の中の恋人たちも、再会叶わずして亡くなった。


 ──けれど。

 

 ごきげんな女将の指が軽やかに食材を扱う。ルーシーが来たことを心から喜んでくれているようで、また、女将の嬉しさがルーシーにも伝わるようで、先程までの暗い気持ちが少しばかり和らいでいく。

 過ぎし日の再会はないとしても。


「はい、お待ちどうさま」


 ことん、と音を立てて、温かな食事がカウンターに置かれた。


「ありがとう」


 ……この女将との再会を、喜べないわけがなかった。


 ルーシーは感謝を捧げてから、カリフラワーのスープを一口。温かさが冷えた芯に染み入る。

 空腹につられて匙を運ぶ手が早くなる。しっかり煮込まれた野ウサギの肉は柔らかく、じゅわりとした旨味が舌に転がってたまらない。

 隣の皿、色々な穀物の生地の上、澄ましバターが垂らされた生ハムと黒いオリーブの実は艷やかに光り、こちらも美味しそうだ。

 最後、白い湯気を上げる温かなカフェオレが目の前に置かれたところで、ルーシーはを思い出した。


「あ、そうだわ。これお土産ね」


 足元の鞄から蝋引きの紙に包まれた菓子を取り出し、女将に渡す。


「あら、何かしら」

「タールのプラリネ」

「やだうれしい!」


 華やいだ声。もしかして、おいしいのだろうか、と好奇心がむくりと起き上がる。

 だが、タールだ。木炭で燻すスモークチーズはおいしいが、チョコレート菓子にタールはどうなのだろう。


「ルーシーの分も、今切り分けるわね」

「え? ええ……」


 流れで食べることになってしまった。

 女将はエプロンで手を拭った後、菓子の包み紙を持ってくるりと背を向けた。朗らかな乙女のような姿で、包丁をくるりと一回転。


 思わず、ルーシーは口元をほころばせた。


 自分が住んでいた家に住んでいたのが、この夫婦で良かった。心からそう思う。


 五年前にモンレーヴ村が壊滅して廃墟となり、無人となってしばらくした後、ルーシーは、ここ、自分の生家を訪れた。

 当時、既に新市街の開発が進んでいた頃。当然、新しい住人がいた。今、目の前でルーシーに食事を出してくれた女将夫婦だ。

 もちろん、夫婦がルーシーのことを知るはずもない。大層、驚いた顔をしていたのをよく覚えている。


 その頃、ルーシーは心身共にぼろぼろだった。


 理由もわからず国に故郷を滅ぼされ、親を失い、もう一人の生き残りと一緒に孤児院に引き取られたかと思えば、何も言わずに置いていかれ──あまつさえ見知らぬ誰かが当たり前のような顔で自分の家に居座っている。

 たった一つ残された大切なものを、土足でぐちゃぐちゃに踏みにじられた気分だった。

 吐き気を催すほどの怒りを前に、ルーシーは泣きながらめちゃくちゃに怒鳴った。


 ――出ていけ!


 そうルーシーは夫婦に散々喚き散らし、疲労と怒りが頂点に達したあと、その場で意識を失った。

 夫婦は、倒れたルーシーを放り出すこともせず、丁寧に介抱し、身の上を聞き、ただ一言こう言った。


 つらかったね、と。


 簡素な、だが、あのときルーシーが切に望んでいた言葉だった。

 久しぶりに触れる直接的な優しさと暖かさに、ルーシーはその場で泣き崩れた。

 声の奥でつかえていた嗚咽がとめどなくあふれ、からからになった喉が干からびるまで泣いて泣いて泣いて、泣きじゃくった。


 当たり前だった家族のぬくもりは、もう、ない。


 一緒に生き伸びた幼馴染の少年は、置手紙一つ残さず、ルーシーを置いて孤児院から出ていってしまった。


 ……何もかも、なくなってしまった。


 数日後。一度、孤児院へ戻ろうと思ったときのことである。

 夫婦がこう切り出してきた。


 ──ルーシーの家を出ていこうと思う、と。


 その時になって、ルーシーは彼らに自分が何を言ったのか思い出し、ひどく後悔した。

 夫婦は悪意でルーシーの家に住んでいたわけではない。だからこそ、余計にルーシーは傷ついたし、だからといってルーシーに相手の事情を慮れるほどの余裕もなかった。


 ルーシーは、必死に夫婦を引き留めた。

 自分は旅に出るから、ここを使って欲しいと。


 幼馴染と、昔、故郷を出た姉を探す旅だ。あてのない長いになるだろう。

 それでも、旅に出た自分は、またモンレーヴ村に帰ってきたくなるだろう。

 もう、誰も知っている人が住んでいなくても、何も残っていなくても、きっと故郷に戻ってきたくなる。

 その時、彼らのような人がいてくれたら、ほんの少しだけ、心が安らぐと思ったのだ。彼らなら、疲れたルーシーの心を受け止めてくれる――そういう安らぎを、迎え入れてくれる誰かを、ルーシーはあの頃、切実に望んでいた。

 それに、もう誰もいなくなくなってしまったここに戻ってきたところで、まともな生活が送れるわけもない。

 もちろん、自分がいた場所に他の誰かが住んでいるということを、完全に受け入れられたわけでもない。

 それでも、この夫婦なら、この夫婦が使ってくれているのなら、変わってしまった現実を、少しずつ受け止められる気がした。

 そんなルーシーの申し入れを、夫婦は優しく受け入れてくれた。


 ……懐かしい、四年前の話だ。


「はい、どうぞ」


 ことん、とプラリネの載った白い皿が差し出される。一見、ただのチョコレートケーキにしか見えない。……が、香りは確かに木炭の匂いがする。


「ありがとう」


 ここまでお膳立てされたら、後には引けない。何より、引き下がったら負けた気がする。

 勇気を持って食べることにしよう。あとで。乾いたパンで皿に残ったソースを拭いながら決意する。

 と、ルーシーの食事をにこやかに眺めていた女将の眼差しに、ふと神妙な色が宿る。


「あんた、ここに帰ってきてもいいのよ? うちの主人も新しい家探しているし」


 またその話か。嫌気が差すでもなく、ルーシーは苦笑して首を横に振った。


「その話は前にもいいって言ったじゃない。街もこんなんだし、知り合いも誰もいないし」

「なんなら、一緒に暮らしたっていいじゃないか」


 普段の気安い微笑みとは異なる、熱のこもった真摯な目。

 この夫婦の養女となる。それはルーシーにとってとても魅力的な話だった。

 女将夫婦に子供はいない。身ごもった子を死産した後、二度と子供が望めない身体となってしまったらしい。屈託のない明るさの裏、どれだけの哀れみと中傷を受けたのだろう。想像がつかない。


「そうね……」


 小さく呟き、ルーシーは夫婦と過ごす平和な日々を想像した。

 冬の晴れた日に樹液を採り、店を営む傍ら、一緒に台所に立ってご馳走を作り、炉端で春を待つ。そんな変わり映えのしないささやかな日常。

 そんな自分の姿を想像して、目を閉じ。


 ──目の裏に浮かぶのは、銀の髪を編み込んだ姉の姿。


 湧き上がる静かな怒りを抑え込み、ルーシーはやんわりと、だが力強く首を振った。


「でもいいの。私にはやることがあるから」

「お姉さん探しかい?」

「ええ」

「まあ実のお姉さんがいなくなったんなら、探したくなる気持ちもわからなくないけど」


 それを聞いた瞬間、ルーシーは皮肉な笑みが浮かびそうになるのを止められなかった。この女将の目には、ルーシーが生き別れた姉を探す健気な妹に見えるらしい。


 だが、現実は違う。


 ルーシーは復讐するために姉を探している。

 モンレーヴ村の壊滅に加担したと思われる姉を、その手で討つために。

 だが、そんな歪んだ笑みも、女将にとっては苦笑に見えてしまうらしい。皿を拭きながこう尋ねてきた。


「その後、なんか、手がかりは手に入ったのかい?」

「それなんだけど、マダム。ここで黒髪の男の子、見ていないかしら。瞳は青」

「黒髪なんて山ほどいるからねぇ。ぱっと見じゃあ何とも……」

「これが写真なんだけれど、どう? 見かけたことない?」


 ルーシーは懐からモノクロの写真を差し出し、微かに期待を込めて寄る。

 女将は写真をしばらく眺めた後、申し訳なさそうに眉を下げた。


「悪いねぇ。ちょっと見覚えないわ」

「じゃあ、金髪。金髪に翡翠の瞳の女の子。こっちは、すごくきれいでお人形さんみたいだから、珍しいと思うんだけれど」

「う~ん、それも見かけてないわねぇ」


 少女の写真を見たあと、さきほどと同じ仕草で悩ましげな女将の返事。

 ルーシーはそう、と落胆するでもなく、冷めかけたスープに手をつけた。人探しなんてそんなものだろう。でなければ、姉の足取りをつかむのに四年もかかっていない。

 また、ここは新市街とほど近く、治安が保たれている地域だ。

 二人が身を隠しているとすれば、ここよりもっと奥、より治安が悪い貧民街の方かもしれない。


「その二人がどうしたんだい?」

「もしかしたら、彼らが姉さんのことを知っているかもしれないの」


 二人が一週間前から国を騒がせているお尋ね者、とは言わなかった。

 いずれわかることかもしれないが、この女将に心配をかけたくなかったし、何よりルーシーの事情に巻き込みたくもない。

 ただでさえ、この女将はルーシーが、モンレーヴ村の生き残りであることを知っているのだ。知っていたところで、女将になにかできるわけではないだろうが、女将夫婦の身を案じて、他言しないよう釘を刺している。


「なるほどねえ。でもごめんねえ。わかんないわ」

「ううん、いいのよ。ありがとう」


 そう言ってからルーシーが懐から財布を取り出そうとすれば、女将が制してくる。


「ああ、いいっていいって」

「でも、そっちも商売でしょう?」

「じゃあ、次来たときにでも払っておくれ」


 毎回、女将はこういうが、実際に支払わせてもらったことはない。一度も。


「はいはい、それなら、次のときにね」


 またルーシーも仕方ないといった風を装って、引き下がる。


 繰り返される形だけのやり取り。いつだって破れる口約束。次、いつか。そんな曖昧で、あたたかな未来。次はいつ来ようかしら。お世話になった孤児院へ顔を出すついでに、再来月の終わりにでも。もうそんなことを考えている自分がいる。それが嫌でもなんでもない自分も。


「そういえば、コケモモのジャムが手に入ってね。ソルベを作ってみたんだけど、どうだい?」

「じゃあ、それも遠慮なく」

「はいよ、ちょっとお待ち」


 手際よく凍ったソルベを皿に盛り付けるのを眺めながら。


 ……万が一のため、タールのプラリネの口直しにしよう、と思ったのは秘密にしておいた。

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