相談

 夏の強い日差しが、中庭の植木と噴水に反射し、目が眩みそうな光を放っている。風で木の葉が揺れるたび角度を変え、壁に光の影を生み出していた。


 そんな中庭を望む窓から、クロニカは呆けた顔で空を仰いでいた。


 真っ白で眩しい、大きな雲が泳いでいる。


 あの雲はどうやって、動いているのだろう。空が回っていてそれで動いているように見えるのか。はたまた、風が吹くがまま流れているのだろうか。もし後者なら、羨ましい。何も考えなくても、物事が進むから。


 物事が……。



『覚悟しておけよ』



「だああああぁぁぁ!!」



 あの声が鼓膜に蘇り、咄嗟に大声を出した。ハッとなり、周りを見たが幸いにも誰もいなかった。

 盛大に溜息をつく。顔が熱くて、クロニカは窓枠に顔を付けた。


 ジュリウスに告白されてから二週間。あれからジュリウスに会っていない。ジュリウスが働き始めてから、会う機会が減り、一ヶ月ほど会っていなかった時もあったが、何故か今回はやけに長く感じて、一ヶ月以上会っていないように感じる。


「覚悟しておけって言われてもなぁ……」


 どう覚悟していいのか、分からない。何せ告白されたのも、そういった意味で宣戦布告されたのも初めてで。


「どうしたらいいんだよ……」

「どうかしたの?」


 聞き覚えのある声に、クロニカはバッと顔を上げて振り向いた。


 そこには、黄金色の髪に緑色の瞳の美少女がいた。吊り目気味の目がきょとんとなってクロニカを見据える。

 彼女の名はリリカ。クロニカの数少ない女友達だ。


「いや、別にその」

「別にっていう顔じゃないわよ」


 リリカが溜め息をつく。


「そうやって一人で抱えこむのは、あなたの悪い癖よ。いい加減治したら?」

「ははは……ごめん。でも心配してくれて、ありがとうな」

「もう、そうやってはぐらかして」


 リリカが腰に手を当てて、ぷんっと怒る。クロニカは苦笑した。


「はぐらかしているつもりは、ないんだけど」

「無意識にはぐらすのも、どうかと思うけれど。で」


 リリカがぐいっと顔を近付けさせる。美人の顔がいきなり近づいて、クロニカはたじろいだ。


「どうかしたの? 話しなさい」

「え、えぇと……」

「話してくれるまで、ずっとこれよ」

「め、珍しくグイグイといくな」


 リリカは冷静沈着。相手が拒絶するなら、あっさりと身を引く。いつもなら、気が向いたら話すのよ、と言って引いてくれたのに、今回はやたらと積極的だ。


「あなた相手だと、こうしたほうが手っ取り早いって学んだのよ」

「えぇ……」

「で、どうかしたの?」


 首を傾げるリリカは、かなり破壊力がある。クロニカは両手を上げた。


「分かったって! 話すから、とりあえず離れてくれ」

「最初から話してくれたら良かったのよ」


 リリカが離れる。ふぅ、と息を吐き捨てて、クロニカは周りに誰もいないことを確認して、小さな声で紡ぐ。


「ジュリウスに……その……」


 恥ずかしくて言葉が上手く出てこない。


「もしかして、告白されたの?」


 さらり、と言いのけた台詞にクロニカは目を剥いて、顔を真っ赤にして動揺した。


「ど、ど、どどどどどどど!」

「当たりね。そう、やっと告白したの」

「はぁ!?」


 またさらりと言いのけた衝撃発言に、クロニカは言葉を失う。リリカは小さく笑った。


「そうね……セピール先輩がクロニカのことが好きっていうことは、周りの人ほぼ全員知っていると思っておきなさい」

「えぇ~……」


 クロニカは頭を抱えた。

 まさか、そこまで知られているとは。

 己の考えを悟られないよう、茶化したり流そうとするあのジュリウスの想いに、周りの人達が気付いているなんて。


「リリカ……俺って、鈍いのか?」

「鈍いわね」

「即答かよ……」

「そういうところも、あなたらしくて良いと思っているわ」

「フォローになってねぇ……」


 クロニカは頭がこんがらなって、その場に蹲った。


「こら。あなたは一応令嬢なんだから、こんなところで座らないの」

「頼むから、しばらくこうさせてくれ……」

「もう、しょうがないわね。それで、答えが出なくて、こうしていると」

「そういうことなんだよ……」


 リリカはクロニカの隣に腰を下ろした。


「……令嬢はこんなところで、座らないんだろ?」

「いいのよ。周りには誰もいないんだから」


 リリカはしれっと言い返した。確かに周りには誰もいない。元々、ここは空き教室も多く、人が通ることが滅多にない上、あまり知らされていない。


 花壇の次に、クロニカが一人になれる場所だった。

 今、花壇には何も植えていない。自分が卒業した後、あの花壇の世話をする者がいないからだ。植物は種類によっては勝手に育つが、もう育てられないのに植物を植えるのは無責任な気がしたのだ。


「それで、セピール先輩はどうって?」

「どうって?」

「返事はいい、とか、返事はいつでもいいから、とか言ってなかった?」

「え~と……また今度でいいって。あと、諦めるつもりはない、とか、覚悟しておけよって……」

「それ、絶対に逃がさないってことじゃないの?」

「やっぱり、そういうこと、なのかな?」

「そういうことよ、絶対に」


 断言された。


「どうするの? 潔く諦めて落ちる? それとも先延ばししてから落ちる?」

「なんだよ、その二択!? ジュリウスの妻になれと!?」

「嫌なの?」

「べっ別に嫌じゃねぇけど……」


 もじもじするクロニカに、リリカは微笑ましそうに笑みを浮かべながら、その様子を眺める。


「先輩の噂はともかくとして、セピール先輩の家族とも仲が良いんでしょう。先輩からも愛されているし、クロニカにとっては、なかなか良い物件なんじゃないかしら?」

「まあ、貴族としては良いよな……」


 身分は釣り合っている。小姑問題の心配はなし。ジュリウスを貰ってくれてありがとうと、逆に感謝される可能性もある。主に弟のジェットに。


 決して愛のない政略結婚でもない。セピール家と婚姻を結んで、マカニア家に何か得があるのか、と訊かれたら分からない。政略云々はクロニカにはちんぷんかんぷんだ。

 そう、悪くない話だ。だが。


「それじゃ、駄目なんだ」


 リリカが不思議そうに、首を傾げた。


「どういうこと?」

「そんな都合が良いからって、告白を受けるってジュリウスに失礼だと思うんだ」

「そうでもないんじゃないかしら。先輩のことだから、他の男に行けないようになったら、とりあえず満足すると思うけれど」


 クロニカが半眼で、リリカを見やる。


「リリカ……お前の中で、ジュリウスはどんな奴なんだよ……」

「腹黒で独占欲が強い。ヤンデレ候補」

「うん。あまり良く思ってないことは、よく分かった」


 腹黒でヤンデレ、というのは否定できない。腹黒いのはいつものことだし、ヤンデレに至っては剥製発言もある。だが、独占欲が強い、というのは理解できない。ジュリウスはけっこう、クロニカの好きなようにしてくれているので、独占欲は強くないと思うのだが。


「別に嫌いじゃないのよ? 今やっていることにしても、とても革新的だと思っているし、尊敬はしているわ。性格もクロニカを通せば、そこまで悪い人ではないから」

「? どういうことだ?」


 訊ねると、リリカが小さく笑う。


「答えが出たら、教えてあげるわ」

「なんだよ、それ」


 クロニカは唇を尖らす。まったくもって、意味が分からない。教えてくれたっていいのに、と恨めしげにリリカを見るか、リリカはけろっとしている。 


「で、話は戻るけど、駄目な理由って他にもあったりするのかしら?」


 尖らせた唇を元に戻し、視線を逸らしなが言い紡ぐ。


「……アイツ、素直に好きって言えないんだよ」

「そんな感じはするわね」


 リリカが頷く。


 ジュリウスが、好き、という言葉を使ったのは、この間の告白が初めてだ。どれくらい好きかというと剥製にしたいくらい、という一見狂っている告白。好きという言葉よりも、後半部分に意識が持っていかれたが、今思えば照れ隠しなのだろう。台詞自体は本気だと思うが。


「だから、アイツが好きっていうのは、それだけ本気だっていうことだ。それなのに、オレの気持ちがはっきりしないまま、都合が良いからって告白を受けるのは、本気で伝えてくれたアイツに対して不誠実だ。だから、ちゃんと答えを出してから、アイツの想いに応えたい」


 リリカは厳しいから、甘い、とか色々と言われるかもしれない。

 おそるおそる、リリカを一瞥する。だが、リリカはクロニカの予想に反して、優しく微笑んでいた。


「そう。クロニカらしくて、いいと思うわ」

「そう、かな」

「ええ。先輩も、クロニカのそういうところも好きなのよ、きっと」


 いたたまれなくなって、そっぽ向いた。


「でも良かった。悩み事がそれで」

「え?」

「ルーカス様が正式な跡継ぎになったって、発表があったじゃない。それで落ち込んでいるんじゃないかって、心配していたのよ?」

「ああ……」


 クロニカは苦笑する。

 この国は、跡継ぎを決定したら、書類提出しなければならない。書類を提出しなければ、あくまで仮の跡継ぎでしかないのだ。


 だから、ルーカスが養子になった頃は、あくまで跡継ぎの候補だった。書類を提出して受理されたのは、ジュリウスとお茶会をした三日後だった。ルーカスから聞かされたが、父には何も言われていない。

 ルーカスが養子になった時点で、こうなることは分かっていた。だから、気にしていない。ただ、父に対しては、一言でもいいから何か言ってほしかった。


「仕方ないって。オレ、女だし」

「女当主は滅多にいないけど、女性でも跡継ぎとして認められているわ。クロニカは昔から、努力してきたじゃない。それなのに」

「父上は、オレのこと嫌いだから」

「それが分からないわ」


 クロニカがきょとんとした。リリカは真顔で、言葉を言い募る。


「たしかにクロニカは、貴族の淑女としてはダメダメだけど、根はとても良い子よ。呆れるのはともかくとして、嫌うのは納得できないわ」

「慰めになってねぇ……」

「それなのに、どうして嫌うの? 理解出来ないわ」

「オレの存在自体が疎ましいんだよ」


 胸が、ずきっと痛む。苦虫を噛み締めたような顔を見せたくなくて、クロニカは俯いた。

 母が死んだあの日、本人が言ったのだから、間違いない。


「なんであなたの存在を、疎ましく思わなくちゃいけないの?」

「それは、オレが生まれたせいで母上の寿命が短くなったからって」

「誰がそんなことを言ったの?」

「父上が……」


 リリカの眉間に皺が集まる。大きな溜め息を吐いて、リリカは言った。


「そんなのただの結果論じゃない。寿命が短くなったのを知るのは、死んだ時だけよ。いいえ。元々の寿命が分からないわけなんだから、そう言われる筋合いはないわよ。ただの理不尽よ、それは」

「一理あるけど……」

「理由がはっきりしない限り、あなたもそんな諦めた顔はしないの。理由を知ってから、納得しなさい」

「理由……か」


 母が生きていた頃は、自分が女だから、だと思っていた。だが、母が死んで、父にあんなことを言われて、存在自体が駄目なのだと納得していた。リリカにとって、それは曖昧な理由らしい。もっと、きちんとした理由を知りなさい、という。


(父上が、オレを嫌う理由……)


 それを知るのは、すごく怖いことで、同時に知らなくてはいけないことだと強く思った。

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