第92話 帰還

 葵たちはすぐに九尾へ追いついた。そのまま九尾と合流して、御山の登り口まで向かう。


「この石段……」


 立派な石段となっている登り口を見て、沙羅が足を止めた。石段が始まる直前には、石造りの鳥居もある。葵は沙羅の隣に並んで言った。


「お社に続いてるんだ」


「お社?」


「ああ、人間たちが山神様を祀るために建てた社だよ。……俺はそこに捨てられ

てたらしいんだけどな」


 最後の部分を付け足すように葵が言うと、沙羅は「そう……」とすまなそうに目を伏せた。


「別に気にする必要はねえよ。まだ物心もつかない赤ん坊の頃の話だ。何にも覚えてないし」


 だから気にする必要はない、と葵は沙羅に伝える。実際、葵自身も自分が捨て子だということに劣等感や悲壮感のような気持ちを抱いてはいなかった。顔も覚えていない親は葵にとってはもはや親ではなく、自分を拾って育ててくれた椿丸こそが親であり、共に育った御山の天狗たちが葵の兄弟、姉妹、ひいては家族なのだ。なぜ生みの親は自分を捨てたのか。そう考えていた時期もあったが、どうせ食扶持減らしとかそんなだろうという結論に至り、そこから自分の出自について深く考えるのは自然となくなった。


 葵は、まだ少し沈鬱な表情をしている沙羅の横顔をちらりと見やった。そう言えば、彼女は生まれ育った土地から追放されたと言っていた。きっと国許には家族がいただろうし、彼らとはもう会えない身の上を思い出して悲しくなったのかもしれない。


「さ、行こうか」


 二人の微妙な空気を感じ取ったのか、気を効かせて京介が口を開いた。


「山頂までどれくらいかかるかわからないし、日が沈むまでに着いておきたい」


「日が沈むまでって、別にそこまでかからないぞ」


 言いながら、葵は石段に足をかけた。そのまま登り出す。そのすぐ後ろに京介たちも続く。


 葵が御山を下りた時はこうして石段で整備された道ではなく、獣道を通ってきたわけだが、どちらも同じ天狗の里に続く道に他ならない。とうとう馴染んだ古巣に帰ってきたという逸る気持ちを抑えながら、葵は所々水に穿たれて凸凹になっている石段を、一段一段踏みしめて登って行く。


 しばらく石段を登ると、赤ん坊の葵が捨てられていたと聞かされているお社が見えてきた。


 お社はごくごく小さな建物だ。久渡平の羽衣神宮と比べたら、その規模は本当に些細なもの。しかし、マメに村の人間がやってきて手入れをしてくれているのか、小さなお社は清潔に保たれている。


 石段は神社の境内に入る手前で一旦途切れたが、実は続きの石段がお社のすぐ後ろに控えている。その石段を辿っていけば、天狗たちの暮らす館が見えてくるという手筈だ。その石段の先には、麓の村人たちはまず立ち入らない。入ったら十中八九、山の中で迷うか怪異に出くわして散々な目に合わされるということを彼らは知っているからである。迷うのは、人間がうっかり天狗の館に迷い込まないための結界が原因で、もう一つの怪異というのは御山の天狗達の仕業だ。彼らは入ってきた人間に対して、戯れにいたずらを仕掛けるのだ。その内容というのは、姿を木々に隠して影から大人数でドッと呵々大笑して見せたり、お得意の神通力を使って石礫を空から降らせたりするというごく些細なもの。だが、これだけでも人間を怖がらすのには効果覿面で、葵も目撃したことがあるが、脅かされた人間は尻をまくって逃げ出すのがオチである。


 葵は、鬱蒼と茂る木々が影を落とす薄暗い石段を登りながら、注意深く周囲に目を走らせた。葵だけならどうということはないが、今葵は、京介と沙羅という二人の人間を連れている。人間が迷い込んできたと勘違いして、天狗たちがいたずらを仕掛けてくるとも限らない。

 その時、「きゃっ」と葵の後ろから沙羅の短い悲鳴が響いた。


「どうした!?」


 とっさに振り返ると、沙羅は崩しかけた体勢を九尾にぞんざいに支えられているところだった。沙羅はバツが悪そうに笑みを浮かべる。


「えへへ、ごめんなさい。石段が苔むしてて、足を滑らせちゃったの。怪我はな

いわ」


 何事もなかったようで、葵はホッと息をついて再び前を向いた。てっきり沙羅が御山の天狗に驚かされたのかと思った。そうして進みだした矢先、ガサガサと茂みをかき分ける音が前方から聞こえてきたので、葵は咄嗟に身構えた。天狗なら良いが、熊や狼の可能性を考えると警戒せざるを得ない。しかし、石段の脇の茂みから飛び出してきたのは人影だった。






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