第23話 美女と王子、美女と野獣

 双子姉妹の妹、アカリさんがしばし精算機と軽い睨めっこをし、作業が終わると安堵の笑みを浮かべて姫と俺のところに戻って来た。

「レジ金、誤差なしっす!」

 3階・エスニック雑貨店のレジは開店から閉店まで、お客さんとの金銭のやり取りをノーミスでこなしたという報告を、いつも元気な話しぶりではあるがそれ以上にハキハキと伝える。


 勤務初日に恙無く営業を終えられたことが、アカリさんにとっては特別に喜ばしかったのだろう。

 彼女に付きまとい続けていた新天地への不安は、密やかにだが確実に存在していたのだ。

 他人にはそうそう気取けどられはしないどころか余裕すらあるように見えても、解放感が嬉々とした声のトーンからありありと伝わって来る。


 そういった素直な感情表現は、周りにも嘘偽りのない相手だと無意識に刷り込むことが出来る。

 双子姉妹の愛嬌が標準装備の武器であり防具なら、率直さは、どこにでもすぐ馴染んで自分達の居場所を獲得してしまう切り札だ。

 

 双子の姉妹は親しみ易さを通行手形に、どんな場所のどんなドアの隙間にも滑り込めるし、芋洗いのごとき人混みの中に放り込まれても、ストレートな感情表現で周りの警戒を解いて自然と人々に道を開けさせ、すいすいと闊歩できるに違いない。

 そして、その分きっと知っている世界が広い。

 俺や、俺と一緒にしては悪いが王子よりも、踏んでいる場数なら遥かに多いのではないかと思われる側面が年下であるにも関わらず多々見受けられ、少し羨ましくなる。


 俺も3階・エスニック雑貨店の2人もあらかた売上げ精算の仕事が終わり、後は書類を経理の窓口に提出して作業終了のサインをするだけ、という時間帯になって、1階・靴屋の売上げバッグを持った王子が部屋に入って来た。

「おつかれさまです。最後のお客さんが、閉店の音楽が流れてからもしばらくいたものだから、遅くなっちゃったよ」


 話し掛けられた姫とアカリさん、俺の3人が口々に、おつかれさまでした、と終業直前のリラックスムードの中、言葉を返す。

 俺はともかく王子が恋をしている姫からも、遅くまで大変だったね、と一言労いをプラスされて、王子の顔色が薄紅色に明るく変わる。

 普段の平静そのものといった佇まいが、見ようによっては困惑を表すのにも近い眉根を寄せてのくしゃりとした笑顔に変化した。


「どうもありがとう、三津谷さん」

 姫を本名で呼ぶ癖が抜けていないというよりは、それが王子なりの愛情表現なのだろう。

 しかし以前なら年齢が同じであっても、ありがとうございます、と敬語を貫いていた。

 それが同世代らしい礼の仕方に変化したのが、王子から姫に友達になって欲しいと告げた効果であるのは、事情を聞かされている俺からすれば明瞭である。


 所謂タメ口にまだ初々しさが残りながらも、王子と姫との距離が縮まったことが伝わり、暖かな王子の感情が俺にも流れ込む。仕事の疲れすら一瞬かき消された。

 恋愛感情が分からない俺にも、親しい友人の心の温度は大いに興味の範疇に入る。直接体温を感じるのと何も変わらない。


 親密な人間同士の感情は、水面下では繋がっていて、水面みなもの上に顕れている部分が、個人を個人たらしめているのではないか。

 王子と姫との心情の水面下が繋がる日が来れば良いのに、と夢想する。


 ややオカルトめいた印象を俺は抱かなくもないのだが、心理学にもそのような考え方はあるらしい。

 俺達が別々の大地のように認識している島同士が海底では繋がっているように、人間と人間の心も、目に見えない底の底、深層の部分では地続きになっているのではないか、というものだ。

 学問としての正誤に関わらず、そのようなことが王子と姫にも起きていたらいいな、という無邪気とも言える願望を、王子や姫や魔法使いのような双子の片割れと一緒に、大型スーパー9階のフロアを踏みしめながら思い浮かべていた。


「あのう、中町さん、6階のレジ金って誤差ありました?  差し支えなければでいいんすけど、姉もどっきどきだと思うんで」

 ぼんやり空想に耽り、動かぬ大木状態になってしまっていた俺を、アカリさんが枝の張り具合を確かめるような顔付きで下から覗き込んでいる。

 ヒカルさんは夕方に退勤してしまったので、6階・生活日用品売り場に入った初日のレジでミスがなかったか、次に出勤するときまで知る由もない。

 双子の妹であるアカリさんは、いち早く結果を、出来れば異動初日は明るい船出であったという成果を、姉のヒカルさんに教えたかったのだろう。


「今日のうちのレジ誤差は10円。このくらいはよくあることだし、誰がミスしたかなんて分からないから、みんなで気を付ければいい」

 初日おつかれさまでした、とヒカルさんに伝えて欲しい旨と共に伝える。


「うちも誤差0円だったんだよ。アカリさん、優秀なんだから」

 姫が、凄いでしょ? と言わんばかりに自慢の新人と、さっきこの場に来たばかりで状況を知らない王子を、爛々とした瞳で交互に見る。

 元来おっとりした雰囲気の姫ではあるが、感情の動きがあると生命の疾走感がその目に宿り、王子をどぎまぎさせるのだった。


「姉妹揃って優秀なんだね。こっちも何事も無ければいいなあ」

 口調こそ日頃と変わりないが、手短な言葉で姫の魅力から逃れるかのように、混雑も収まった精算機へと王子は向かう。


 ゆったりと優雅に歩を進めているようではあるが、すらりと伸びた脚のせいか踏み出す一歩のストロークは大きく、目的地に即座に到達して売り上げ金を精算機に吸い込ませる。

 気負わずとも疲労を寄せ付けない王子の真っ直ぐな背筋を眺めながら、こちらは疲労の側から率先して逃げ出したのかと思える活力のある発声で、アカリさんが言葉を紡ぐ。


「自分は別に王子のガチファンって訳じゃないんすけど、あんな風に品のある逞しさとたおやかさがあれば、好きな相手がどんなタイプが好みだろうと、なんなら相手が同性だろうと、変幻自在に自分を変えられて虜にできそうっすよねえ」

 羨ましい才能だあ、と軽口風に話すアカリさんに向かって俊敏に顔を向けてしまいそうになる自分を抑える。

 今ここで共に佇む、あなたの新しい先輩・三津谷さんこそが、王子が唯一特別な好意を与え与えられたい願望の先であることに、まさか勘付いているのであろうか。


 無論、王子の容姿や美しい振る舞いついてが世間話を彩ることには、本人さえも慣れてしまう程に周りの人々の日常所作になっている。

 実際に王子の美ががためにある存在か、そこに密やかな王子の意図が込められているかなど、アカリさんは口振りに含みを持たせたつもりは無いのであろう。


 しかし、労働の疲れをうやむやにさせるはずのアカリさんの軽やかな声が、意外にも俺の心に小さなささくれを生み出したのが自分でも分かった。

「でもあれかあ、世の中には熊っぽい人や見るからに頑丈そうな髭マッチョが好きな人もいるからなあ」

 痛みを覚えてしまうのを理解していながらささくれを取り除こうと引っ張るときのように、俺は話の続きに聞き入ってしまう。


「あの位、美にスペック全振りしてあったら、今みたいなちょっと中性的って言うんすか? 柔らかイケメンは勿論、キリッと男性性を出したジェントルマンにもなれそうで、なれる自分が沢山あっていいなって思ったんすけど」

 ささくれの穏健でない剥がれ方を、咄嗟に予感できた。


「美女と野獣の話も、王子様はラスト野獣のままでいて欲しかったって感想も聞くしなあ」

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お賃金の国の王子と姫と姫王子 朝雲 ミリャ @kimirya

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