第20話 愛を捧ぐフール

 私の嗚咽がだいぶ落ち着いた頃、イオアンナはゆっくりと立ち上がって目の前にくる。私の両手を握って、目線を合わせるようにしゃがむ。


「落ち着きましたか?エレオノラ様」

「ええ……。ありがとうイオアンナ」

「いえいえ。私の主は今も昔もエレオノラ様ただお1人ですから」


 明るく微笑んだイオアンナは、姿はオリアーナ様だけれど随分前から一緒にいた懐かしさを感じた。


「ファウスト様に私、酷いことをしたの」

「酷いことですか」

「ええ。ずっと私の事を愛してくれていたのに、私は突き放すような言葉を言ってしまったから……謝りたいわ」


 クリストフォロス様もファウスト様も全力の愛を私に向けてくれていた。私はそれに中途半端に答えていただけだった。


 謝っても彼はきっと許してくれるだろう。そう思える位、彼の想いは充分伝わっている。


「そうですか。それなら、次に会った時にちゃんと謝れますね。エレオノラ様も、陛下も、ちゃんと生きてますから」

「ええ。ええ……ちゃんと謝れるわ」


 謝って、それから……謝ってどうなると言うのだろうか。その先への展望は全く見えないけれど。


 それでも、死が目の前で立ちはだかっていた前世むかしはもう終わった。私には、まだまだ先の長い未来が待っている。


 少しだけ、我が儘を言っていいのだろうか。

 ファウスト様と幸せになりたいって、実現しなくてもいいからその願いを。


「ありがとうイオアンナ。私、貴女と再会出来てよかったわ」

「ええ、私もです。エレオノラ様。私は昔からずっとエレオノラ様の幸せを祈っております」


 居住まいを正したイオアンナは私の顔を見て、泣き跡をどうにかしないといけませんねと苦笑した。


「それなら家から付いてきた侍女がいるわ」

「では侍女を呼んできましょう。私はそろそろ戻らなければなりません」

「ありがとう。……あ、最後に1つだけ」

「なんでしょう?」


 首を傾げたイオアンナに私は1つお願いをした。


「フォティオスお兄様に、サヴェリオ様に私に関わらないでって、お願いをして欲しいの」

「サヴェリオ様にですか?」

「ええ。セウェルス伯爵が、あまりよくないことを考えているみたいで……」

「分かりました!伝えておきます!エレオノラ様もお気を付けて。お家に帰ったら手紙を出しますわ!エレオノラ様の恋についてどうやって成就させるか一緒に考えましょう!」

「ええ」


 イオアンナの言葉に力強く頷く。

 イオアンナがフォティオスお兄様と繋がりがあって本当によかった。フォティオスお兄様に何かあったら、どうしようかと思っていたから。


「あ、エレオノラ様は『可哀想な王妃様』のお話をご存知ですか?」

「ええ。知っているわ。古くからあるおとぎ話よね」


 いきなりなんだろうと思っていると、イオアンナは突然呻き声を上げて頭を抱えた。


「やーっぱりご存知でしたか。ですよね、有名ですもんね……あれ、私の願いが詰まったお話なんです」

「イオアンナの願いが詰まったお話?」

「ええ!エレオノラ様が幸せになって欲しいって思いで書いたんです!まさか陛下にまで見られてるなんて、恥ずかしい通り越して穴に入りたい気分でしたよー!」


 おとぎ話の王妃様は王様と仲良く幸せに暮らす。沢山の子供に囲まれて。

 前世では全く成し遂げられなかった。それでも何度も夢見た光景。


「とにかく!エレオノラ様には幸せになってもらいたいという思いは本物なんですからねっ!私は全力でエレオノラ様とファウスト様の仲を応援してますからっ!」

「ええ。ありがとう。イオアンナ」


 にっこりと私が微笑むとイオアンナは安心したような顔をして、それでは侍女を呼んできますねとパタパタ小走りで駆けて行った。

 昔と変わらない彼女の一面を見て、私の表情は思わず緩む。



「まさか、オリアーナがエレオノラ王妃様の侍女だったとはな」


 ーー冷たい、私を蔑むような声が降るまでは。


 敵意の滲む声に私は反射的に立ち上がり声の主へと向く。

 さっきまで見ていた紅色の瞳。だけれどそれは温かさなんか微塵もなく、冷え冷えとする色を灯していた。


「アウレリウス公爵……?」

「いかにも。お久しぶりですね。エレオノラ王妃様」


 何故、この人は私の前世の名前を知っているの?


 美しい顔に嘲笑浮かべ、アウレリウス公爵は私を冷たく見据える。


 分からない。私の前世を知っているという事は、きっと私達と同じアルガイオの人間だ。

 だけど彼の前世が誰であったか、全く分からない。


「そのお顔は……私の事が全く分からないという感じですか」

「……ええ」

「おやおや……、私はとても悲しいですよ」


 低い声でクツクツと笑ったアウレリウス公爵は、一瞬で凄絶な形相に変わって私を睨み付けた。


「ずっとずっと、貴女が邪魔でした。美貌と生家の権利以外大したものも持たず、子供も成せない役立たずの王妃があの偉大なクリストフォロス陛下を虜にし、あまつさえクリストフォロス陛下を堕落させた……。エレオノラ王妃様がお亡くなりになられた時、やっと私はクリストフォロス陛下が目を覚まされると歓喜したのです」


 ーーこの人は、誰だ?

 面と向かって詰られて、胸に鈍い痛みが走る。だって、全部私がずっと感じていたことだったから。


「なのにクリストフォロス陛下は腑抜けになってしまわれた。跡継ぎも出来たのに、クリストフォロス陛下は生きる気力を失われてしまったのだ……!」


 絶句する私なんか目もくれない。アウレリウス公爵は狂ったように語り続ける。私が居なくなった後のクリストフォロス様が、生きる気力を失くしてしまっていたなんて、知らなかった。


「前世の記憶を持ったまま、今のアウレリウス公爵家の嫡男に生まれ、第一王子であるファウスト殿下にお会いした時、私は神に感謝しましたよ。今度こそ、クリストフォロス陛下を後世に残るような賢王として崇める事が出来るとね!」


 思い出したように私を再び睨み付けたアウレリウス公爵は、背筋が凍るような無機質な声で告げた。


「前世のクリストフォロス陛下は賢王であらせられた。貴女がいなければね。だから、今世はファウスト様が道を踏み外される前に

 ーー貴女を消す」


 アウレリウス公爵はきっと知らない。

 もうファウスト様と私が会っていることを。ファウスト様がもうはじめから、道を踏み外していることを。


 逃げなければ。アウレリウス公爵から。

 転びそうになる力の入らない足で、アウレリウス公爵に背を向ける。


 とにかく会場。パーティ会場に戻ろう。

 そしたら、ビアンカが来てくれてる筈。


 必死に足を踏み出して駆け出す。早く。早く。アウレリウス公爵から逃げなくちゃ。


 後から追いかけてくる感じはしない。

 こんな所で捕まる訳には、殺される訳にはいかない。


 まだ今世でファウスト様に何も言えていない。

 彼の願いも聞いていない。


 だから、走らなければーー。


「愚かな女だ」


 その声が至近距離で聞こえたと同時に、背後から私の首にが絡み付く。


「……っ、ぁ」


 ギリギリと首が締め上げられる。振りほどこうと首を絞めるものを引き剥がそうとするけれど、ビクともしない。


 痛い。

 声が出ない。

 息が吸えない。


 視界が朧気おぼろげになっていく。腕から段々と力が抜けると共に、私の意識は闇に落ちたーー。

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