第19話 愛を捧ぐフール

「お話……ですか?」

「ええ、お話です」


 にこにこと微笑むオリアーナ様に、私は困惑しながら頷いた。


「お隣、よろしいですか?」

「ええ、勿論です」


 オリアーナ様は優雅微笑んで、私の隣に腰掛ける。

 一体どうしたのか、と私は複雑な思いで彼女の整った横顔を眺めた。


「クラリーチェ様は今、恋をされていますか?」

「え……」


 夜空に浮かぶ月を眺めながら、オリアーナ様は唐突に私へ問い掛けた。思わず彼女をまじまじと見るが、彼女は相変わらず私の方を向くことはない。


「私、昔とても残酷な事を言ったんです。恋を知らない頃に、恋をする女の子にとても残酷な事を」

「残酷な事……?」

「愛されていると言ったんです。彼女がどんな思いで彼女の愛する人から離れようとしていたか、知らなかったんです」

「それは……、どういう事でしょうか?」


 聞き返すと、オリアーナ様は月から私に視線を移した。彼女の紅色の瞳が私を捉える。


「クラリーチェ様。貴女は覚えていらっしゃいますか?かつてこの地にあったアルガイオという今は消し去られた王国を。そして、その国で生きたイオアンナという侍女の存在を。ーーエレオノラ王妃様」


 息をのんだ。前世の事を面と向かって言われたのは、クリストフォロス様以外いなかったから。


「イオアンナ……?貴女は……イオアンナなの?」

「ええ、そうです。そうですよエレオノラ様」


 そしてオリアーナ様はいつか見た、無邪気な笑みと共にお久しぶりですと言った。


 間違いなく前世とは変わってしまった国、変わってしまった家族、変わった容姿。

 それでも、記憶の残っている私達は前世を前世と割り切る事なんて出来ないまま、延長線上である今世を歩んでいる。


 そして、私とクリストフォロス様にフォティオスお兄様、3人共が過去に囚われたまま、この先の未来を作ろうとしている。


「イオアンナは……オリアーナ様は、ファウスト様の婚約者……なの……ですよね?」

「大丈夫ですよエレオノラ様。私に敬語なんて使わないで下さい。二人の時はイオアンナで大丈夫ですし、エレオノラ様に敬語使われるとちょっと変な感じです」


 イオアンナと名乗ったオリアーナ様は笑い飛ばした後に私の最大の悩みについて、答えた。


「エレオノラ様。私はファウスト殿下に対して恋愛感情なんて抱いていません。昔と変わらず、敬愛するエレオノラ様の旦那様という認識しかありません」

「そう……」


 私はかつての侍女と恋敵になる事がなくて、安心してしまった。

 私とファウスト様が結ばれる事なんて、難しいのに。


 そして、ふと思い出す。私はオリアーナ様の事をはっきりとイオアンナだと分からなかった。それなのに、イオアンナは私がエレオノラである事、ファウスト様がクリストフォロス様である事を知っていたのだ。


「どうして、イオアンナは私がエレオノラで、ファウスト様がクリストフォロス様だと分かったの?」

「うーん、直感ですかねー。全然容姿は似ていないのに、被ったんです。その人の前世が」


 その感覚は分かる。私もファウスト様と初めて会った時に、初対面な筈なのにクリストフォロス様と被って懐かしかった。それにフォティオスお兄様の時もそうだ。


「サヴェリオ様もそうみたいです。でも、サヴェリオ様は一目見てファウスト様がクリストフォロス様だと分かったみたいなんですけど、クリストフォロス様はサヴェリオ様がフォティオス様だと気付かれなかったみたいなんです」

「私もイオアンナの事、最初分からなかったわ。ごめんなさい」


 私が謝ると、イオアンナはパタパタと忙しなく手を振った。


「いえいえ!大丈夫ですよ!私もファウスト様に私がイオアンナだと気付かれていませんし!」

「そうなの?」

「ええ!サヴェリオ様もしばらくしてから、ファウスト様に気付かれたかもしれないと仰ってましたし……」


 私は目を瞬かせた。イオアンナとフォティオスお兄様はそこまで連絡を取り合う仲だったのだろうか?


「イオアンナは随分とフォティオスお兄様と仲がいいのね」

「あ、はい。実はエレオノラ様がお亡くなりになった後、フォティオス様付きの侍女になりまして……それから結婚したんです。フォティオス様と」

「結婚?!」


 びっくりして思わず大きな声が出た。イオアンナは私の反応が予想通りだったのか、大した事のないように頷いた。


「エレオノラ様とお父上を相次いで亡くされて、フォティオス様は正直参ってしまっておられたのだと思います。最初は傷の舐め合いで関係を持って、私も結婚する気はなかったのですが、私に子供が出来てしまってやむなく妻に迎えられたのです」

「フォティオスお兄様……」


 過ぎて取り戻せない事とはいえ、かつての身内が侍女に手を出していたなんて正直耳が痛い。それに子供まで作ってしまうなんて……、責任を取っているようだからまだよかったのだろうけれど。


「まあまあ、エレオノラ様。その時にはもうフォティオス様も陛下と仲違いしてしまっている頃でしたし、誰かに縋りたかったのでしょう」

「でも、イオアンナに申し訳ないわ……」

「私は楽しかったですよ!子供も3人出来ましたし、なにより女主人として自由に好きなことを出来ましたから!」

「そ、そう……」


 キラキラと目を輝かせるイオアンナだけれど、当時は当時でそれなりの苦労はあったかもしれない。有名な家の嫡男……いや、もうその頃は当主だったのだろう。当主と侍女なんて、身分差が大きすぎる。


「私のことはいいのです!エレオノラ様ですよ!エレオノラ様はこのままセウェルス伯爵と結婚するのですか?」

「……それは、そうね」

「陛下……ファウスト殿下の事はいいのですか?」


 言葉に詰まった。ファウスト様は今も私を愛してくれている。そして、私はそれを突き放せない。ファウスト様の前世であったとはいえ、クリストフォロス様の記憶を持つファウスト様は容姿が違ってもクリストフォロス様そのままなのだから。


 でも、今のまま、私はこの関係を宙ぶらりんにしたまま続けていいの……?


 答えは否だ。絶対にこんな事は駄目なのだ。

 ファウスト様は王太子。第二王子のアルフィオ殿下が王位を狙っているのに、私との醜聞でファウスト様印象を悪くする訳にはいかない。


 だけれども、私から彼を突き放すだなんて出来ない。


 そんな私の心の葛藤を察してか、イオアンナは私の背に手を置いてそっと撫でた。


「エレオノラ様はファウスト殿下とどうなりたいのですか?」

「……ファウスト様、と、」


 本当は側にいたい。いつかのように、幸せだった頃のように。

 でも、もう私を締め上げるような苦しい恋は疲れてしまったのだ。自分がどんどん醜くなってしまうような、そんな嫉妬ももうしたくないのだ。


 ファウスト様が私のせいでやつれたり、傷付いたような表情もするのも、もう嫌だ。私の存在で彼をもう煩わせたくないのだ。


 それでも、この恋を私は捨てることが出来ない。

 愛しているのだ。例えファウスト様が同じ想いを向けてくれなくても、昔彼に誓った言葉のようにファウスト様に愛を捧げ続ける。

 だって、それしか愛し方を知らないのだから。


「ファウスト様と、幸せになりたい」


 呟いたら、その願いはストンと私の心の中に落ちてきた。


 クリストフォロス様は王様、子供の産めない私は要らない人間ーーそんな事、本当に思っていた?

 ファウスト様は王太子様、男爵令嬢の私は要らない人間ーーそう思い込ませていただけでしょう?


 私が要らない人間だと思うことで、彼の幸せを願っていられた。自分の幸せよりも、彼が幸せでいてくれる方が嬉しかったから。


 それでも、無理をして私を側に置いてくれたクリストフォロス様に、危険を冒してまで私に会いに来てくれるファウスト様に、私が思う彼の幸せは当てはまってはいなかったのだろう。


 前世むかし今世いまも彼は私を必要としてくれている。


 万人から崇め、敬愛される国王よりも、彼は私を選んでくれている。そんなのずっと前から分かっていた事じゃない。


「エレオノラ様と陛下を見ていると、お互いがお互いを必要としている、理想的な夫妻をそのまま体現したかのようでした。だから、エレオノラ様が陛下と幸せになりたいというお気持ちはとても良くわかります」

「イオアンナ……」

「過去のエレオノラ様と陛下の幸せがほんの僅かであったのを見ていた私からすると、エレオノラ様の願いはとても納得出来ます」


 無意識に強ばっていた肩の力が抜けた。イオアンナが私の背中を優しく撫でてくれる。私はいつの間にか涙を零していた。


 そう。私はずっとずっと願ってもいいよと言ってもらいたかったのだ。

 私とクリストフォロス様が、私とファウスト様が2人で幸せになりたいという願いを、誰もが後ろ指を指して非難する願いを、願う事すら傲慢だと言われる願いを。


「ファウスト様に、酷いことをしたわ……」


 私はずっと、身分もしがらみもない世界で、彼と2人で幸せになりたかったんだ。

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