2月3日『Paraplegic』

「お兄ちゃん、お風呂、一緒に入ろっか」

「一人で入れる」

「でも、足先とか洗いづらいでしょ? お風呂狭いしんだし」

「なら引っ越そう。しょうがいしゃに優しいバリアフリー住宅ってやつに」

「それは嫌。ゆかはこの狭い部屋が気に入ってるの」

「前はお金が貯まったら広い部屋に引っ越そうって言ってたじゃないか」

「それ高校生の時の話でしょ? お兄ちゃんがケガする前の話じゃない。今はお兄ちゃんとの距離が近いこの部屋が良いの」

「ろうかの幅が車イスとほとんど同じで俺はトイレに行くのにも苦労してるんだが?」

「だから私に頼ってっていつも言ってるじゃん」

「たよらなくていいようにしたいんだよ」

「そんな寂しいこと言わないでよ」


 俺が下半身不随になって以来、妹との距離はずいぶん近くなった。

 それまでも俺たち兄妹は二人きりの家族として仲が良かったが、俺が働けない身体になってからは、もっと仲良くなった。

 いや、仲良くなったと言うより、妹が俺に尽くすようになってしまった。

 献身的に兄を介護する妹、なんかではない。

 俺を支えることに生き甲斐を見出だしてしまったんだと思う。

 元々優しい奴だった。

 友達にも慕われてたと思うし、親父とお袋が生きてた頃は妹はとても可愛がられていた。

 その愛情を周囲に分け与えることができるような、ある種不思議な奴だったとも言える。

 見たことはないが、きっと彼氏くらいいただろう。

 いなかったとしても、妹を好きな奴は多かったはずだ。

 俺がこんな身体にならなかったら、妹は今頃良縁に恵まれて家庭を持って我が子にその愛情を注いでいたのかもしれない。

 そう思うと、俺が妹の未来を台無しにしてしまったんじゃないかと自責に駆られてしまう。


「私は私の人生全てを使ってお兄ちゃんと一緒に生きるって決めたの」

「おもいよ」

「重くても良いの。妹なんだから」

「そんな妹、ラノベにもいねぇよ」

「いないの? いそうなものだけど」

「いや、いるかもしんねぇけど」

「私はヤンデレじゃないからね。あくまで性的な意味でお兄ちゃんのことが好きなだけであって」

「いや、俺もうそういうのできねぇし」

「勃起はするんでしょ? 感覚がないだけで。私ネットで調べたよ」

「……らしいな。でも、せいよくそのものを感じねぇ」

「でも性処理は必要でしょ?」

「なんでそれを妹にさせなきゃいけねぇんだよ」

「妹がしたいって言ってるんだから甘えてよ」

「あまえられるわけねぇだろ!」

「怒らないでよぉ。いや、我慢されるよりいいけど」


 俺は妹が高校を卒業するほんの少し前に、その時働いていた建築系のバイトの作業中、足を踏み外して転落した。

 落下した先には資材が積んであって、一命はとりとめたが、脊髄をやってしまい、それ以来腰から下の感覚が一切ない。

 医者には『リハビリをしても、二度と動くことはない。下半身を気遣うよりも、上半身を鍛えて今より動けるようになりなさい』などとめちゃくちゃなことを言われた。

 だが医者の言ったことは出任せでも出鱈目でもなく、俺の下半身はそれ以来ぴくりとも動かない。

 腰の下に大きな重りをぶら下げて生活しているような気分だ。

 さらに、今はだいぶんマシなったが脳にダメージを受けてしまったせいで、呂律が回らない。

 これでもだいぶんマシになったし、妹はちゃんと聞き取れているようだが、常人が俺と会話をしていたら、一瞬意味が分からないように聞き取れてしまうことがあるだろう。

 そして妹が言うように、腰から下の感覚が無いということは、自分の性的な機能も正常ではない。

 勃起はする。

 射精もする。

 しかし感覚はない。

 感覚がないのだから快感もない。

 快感が伴わないのだから、性欲も湧かない。

 自分の身体に付いているモノなのに、自分のモノだという実感が湧かないのだから不思議なものだ。

 だがしかし、付いているからには管理しないといけない。

 俺にとってはぶら下がっている重りに他ならないくせに、放っておくと勝手に暴発しやがる。

 こんなことなら転落した時に運悪く潰れてしまえば良かったんだ。

 それはそれで想像するに恐ろしいことだが。

 とにかく、付いていても何の意味もないモノだが、付いている以上処理をしてやらなきゃいけない。

 幸いなことに(ちっとも幸いではないが)妹が仕事の間は俺は家に一人だ。時間ならいくらでもある。

 つまり、管理するだけなら簡単ということだ。

 ……はぁ。

 俺はあとどれくらいこんな様を晒して生きていかなきゃいけないんだ。

 死んでしまおうかと思ったことは何度もある。

 身体の傷が癒えて、少しでも可能性にすがろうと医者に無理を言って足のリハビリに挑んだ時が一番死にたかった。

 医者の無茶苦茶なんて何とかしてやると息巻いて、車イスから転げ落ちて無惨に脆く崩れ去ったあの時が、一番『俺は生きていてはいけない』と感じた瞬間だった。

 妹の足枷になってしまう。

 そう思った。


「お兄ちゃん、今日の晩ごはんは何食べたい? たまには外食する?」

「いや、いいよ。またお前にめいわくかける」

「迷惑くらいいつでもかけてよ。お兄ちゃんからかけられる迷惑なら、私は甘んじて受けるよ」

「あまんじてって……」

「迷惑は迷惑だからねっ。お兄ちゃんのこと大好きで愛してても、Mではないのだよっ」

「そうか」

「そうだよ」

「ありがとな」

「どういたしまして」

「がいしょく、行きたいのか?」

「んーん。言ってみただけ。お兄ちゃんと一緒なら、うちご飯でも贅沢なんだよ?」

「……そうか」


 そう言って笑う妹。

 今でも思う。


「うん、そうだよ。お兄ちゃん」


 俺は死ぬべきなんじゃないか?

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