陽炎の森89 仙台での掃除も終わり、南部藩に向け出立したのです、南部藩の藩庁は盛岡にあります、砂鉄の取れる場所は三陸海岸ですが、砂鉄の運搬ルートは盛岡から北上川を船で


陽炎の森89


仙台での掃除も終わり、南部藩に向け出立したのです、南部藩の藩庁は盛岡にあります、砂鉄の取れる場所は三陸海岸ですが、砂鉄の運搬ルートは盛岡から北上川を船で仙台に運び、

陸路、会津あるいは船で西へ運ぶ事になります、いずれにしろ盛岡を経由する事になるのです、盛岡へは奥州街道を北上します、山の奥へ奥へと進んでいくので、メイが海は全然、

見えませんねというと、


清之進がメイがかっかりするといけないと思い黙っていましたが、盛岡は内陸部にあり海からは遠いのです、仙台からおよそ50里もあり5日もかかるんですよ笑ったのです、歩いたり、

馬に乗ったりして行きますよといい、メイが旦那様も知っていたんですかと聞くと、いや私も三陸海岸の釜石あたりに行くと思っていたんだよ、砂鉄を溶かし鉄の塊にするには、

人が沢山いる、藩庁所在地でなければ無理はなんだと呟いたのです、


街道筋を小頭達が色々探索しましたが、これといった悪人もいなく、平穏な内に盛岡城下に入ったのです、盛岡は南部藩10万石の城下町です、南部馬と鉄瓶の有名なところですが、

この時代に鉄瓶はまだ有名ではないのです、戦国時代後期には武器を作る為多くの鉄が必要で、砂鉄が多くとれ、馬を飼うのに適した原野がおおい、南部藩は裕福な藩だつただつた、

のです、太平の世になると、


土地は広くとも地理的条件から当時、米の北限になる為、収穫料は少なく、戦い用の馬、武器製造の需要がへり、裕福では無くなって行ったのです、城下の旅籠に宿を取ると、女将が、

どこから来たのかきくので、仙台からだというと、まあ遠い所お疲れさまです、もうすぐお湯がわきますので、旅の垢を落としてください、その頃には夕餉の支度ができていますと、

言ったのです、


名刀正宗を排出するなど刀鍛冶もおおい地域なのですが、それほどの需要は無かったのです、この時代は鉄鉱石からの鉄採取は確立されていない時代で、砂鉄を溶かして鉄製品を、

作っていたのです、鉄の生産量が多いとなると、出来た鉄を何処かに運んでいるのだろう、もしそれで鉄砲を作っているとすれ鍛冶職人の多く住む地域のはずである、


小頭が帰って来て、鉄鋳造の事は藩が厳しく口止めをしているらしく、ほとんど情報が取れないと報告したのです、鋳造所は城の外堀の近くにあり、堂々と生産していると話したのです、

小頭がゆうとつなぎが出来、もう少ししたらこの旅籠にくるそうですといい、部屋を出ていったのです、ゆうが部屋に入って来たので、何かわかったか聞くと、会津が鉄砲を作るのを、

やめたのに生産量が減っていない、


北上川は北から南に流れており石巻で海に注いでいる、この川を船で運ぶのと、陸路北の青森から松前へ運んでると思われる、会津の密売が発覚したので、鋳造したものを鉄砲の必要な、

藩へ売り、その藩が、鉄砲を作るようにしたのかも知れないと言ったのです、しかしアイヌに備える為だとしても、松前藩が大量に必要なはずはないと思ったのです、


松前藩を経由するとすれば、北回船にのせ日本海を西へ運べばいいのだが、範囲が広すぎて行き先を突き止めるのは至難の業である、困りましたねと清之進に話すと、製鉄したものを、

どこかに大量に売ってもとがめる事はできない、真一朗殿なにかいい索はないですかと聞かれたのです、ところで、ゆう殿鉄砲の製造場所は分からないのですかと聞くと、それはあの、

鋳造所でしょうと言うので、


それでは南部藩も鉄砲を密造しているわけでと聞くと、おそらくどの藩もやっているでしょう、幕府が決めているのは石高における鉄砲の数です、古くなり新しく作る事は禁じては、

おりません、え~、会津藩の次席家老に幕府に許可なく密造、密売をするとはけしからんと言いましたが、反論しませんでしたよというと、それは大量に作っていた訳ですから、

古くなった物と入れ替えるという言い訳が出来なかった為に反論できなかったのです、


決め事がなくても、他藩に大量に売る場合は、幕府に許しをこう事が疑われない、唯一の方法なので通常は幕府に届ける慣例なのです、現実はその藩の自主性に任してあるわけで、

幕府が各藩の査察をし鉄砲の数をかぞえるわけではないのです、したがって会津の件は我々お庭番が査察をしたわけですと答えたのです、


松前藩は別として、薩摩藩は鉄砲伝来の地ですから鉄砲の製造くらいできるはずですが、会津藩から買う必要があった事になります、という事は作られた鉄砲に秘密があり、どうしても、

会津藩から買う必要があったわけです、うかつでした、鍛冶職人はよく吟味せずに解き放ちましたからというと、その件ならなぜか分かっていますというので、どうしてと聞くと、


鉄砲の到達距離はおよそ50間(100m)で命中距離は25間(50m)ですが、会津で作っていた鉄砲は到達距離100間(200m)で命中距離は50間(100m)なのです、なぜそれだけの距離飛ぶかというと、

鉄砲の内側にらせん状の溝が切ってあり、玉が回天して発射される為遠くに飛び、命中精度もあがるのです、この内側にらせん状の溝を切るのが難しいそうです、わたしも詳しい事は、

わかりません、


それが出来る鍛冶職人は捕まるのを恐れていち早く逃げ去ったのです、もつともこれが分かったのは、洞窟の鉄砲を江戸に持ち帰り調べた結果なのです、幕府も鉄砲組を持っており800丁、

の鉄砲をもっています、これを新しいのに変える事にすれば、親藩を筆頭に新しくするでしょう、そうなれば鉄砲の需要が増えて、武器余りがでて、どこかの反乱分子の手に渡り騒乱が、

起こる恐れがあります、


秘かに少しづつやる分には問題ないのですが、長崎あたりの情報によれば、オランダを含め外国は幕府が鎖国している間に武器の性能も上がっているようで、鎖国しているとはいえ、あまり、

にも外国との武器の差が出れば侵略される事になりかねません、外国にある程度近づく事も必要と公方様はお考えなのです、長崎だけを開港して外国の情報が途切れないようにした、家康様、

の見識には恐れ入りますとゆうが話したのです、


その技術は簡単には取得できないので、できる何人かを南部藩が確保しているとすれば、あの鋳造所で作り、松前藩を中継基地にし北回船にて西へ運び、各藩に売るつもりかもしれません、

その鍛冶職人を幕府の管理下におき、各藩には幕府が作り、古いのと交換条件で御用商人に売らせればいいのです、また紛争を抱えている藩には紛争解決までの間、もてる鉄砲の数を増やし、

紛争が終われば、増やした分廃棄させればいいのですというと、


なるほど良い索ですねと清之進が感心すると、それではその者達が何処にいるか手分して探索しましょうとゆうがいい、大事な職人ですから、鋳造所には閉じ込めてはいないはずです、

誰かの屋敷か大店の商人の家にいるはずです、たまには息抜きにお茶屋にいるかも知れませんと真一朗がいい、それでは夕餉が終わったら、いつもの通り巡察にでかけましょう、メイは、

南部藩、御用達の座敷を探っておくれと、清之進が言ったのです、




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