三日目⑧

 小漁村に過ぎなかったダナンが成長し始めたのは一八世紀。トゥボン川河口にあるホイアン港に上流から運ばれた砂が堆積して使用できなくなったことから、ハン川河口にあったダナン港が港湾都市として開発される。

 フランスの植民地後、都市名をトゥーランと変更され、二十世紀初頭にかけてヨーロッパの開発スタイルが導入、ホーチミンやハイフォンと並ぶ重要な貿易センターになっていった。その後、ベトナム戦争が開始されると一変。一九六五年に米軍が上陸、ダナンは南ベトナム軍の傘下に組み込まれていく。

 戦争が終結したのは一九七五年。ベトナムが完全に独立すると、クワンナム・ダナン省が再興に向けて動き出す。

 今から三十年前の一九八六年。ベトナム版アベノミクスとでもいうべき政策が行われた。共産党大会で提唱されたドイモイ(刷新)政策である。

 

  一、資本主義経済の導入

  二、国際社会への協調

  三、国民の生活に必要な産業への投資

  四、社会主義政策の緩和


 国際社会に貢献する政策をかかげて社会主義政策の緩和を行ってきたことにより、ASEANに加盟。一九八九年、ベトナム軍がカンボジアから撤退。一九九二年、日本の政府による開発援助再開と国際関係の回復に従い、ドイモイ政策の効果が現れはじめる。

 五年に一度の党大会開催の年であり、ドイモイ十年の成果を基礎として二〇二〇年までに工業国となるのを目標に掲げた年の一九九六年、ダナン市は中央直轄都市となった。

 そのころのダナンは、建物も少なく道路も整備されいない田舎町にすぎなかった。

 ベトナム政府が都市開発に着手すると高層ビルが次々と建設、各種インフラが整備されていった。周辺には世界遺産が四つもある観光資源に恵まれた地域だったため、現在では世界遺産を巡る旅行客が多く訪れる一大経済都市へと成長している。

 この二〇年で、ダナン市の国内総生産の伸び率は九%から一〇%に達し、人口八十万の都市に変貌。年間観光客数はおよそ五五〇万人にものぼる。二〇年ほど前のダナンは旅行客が訪れない場所だったとは、誰も信じないだろう。

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