- 7 -

 ☆


「イリヤ!」

 山を下りた時には、もうすっかり夜が明けていた。家の近くまでくると、まだ朝早いというのに、ラウラ姉さまが私を見つけてすごい勢いで走ってくる。

「姉さま?」

「姉さま、じゃないわよ。あんた、一晩中どこへ行ってたの?! もうっ……こんなに心配かけて……!」

 そう言って姉さまは、私を、ぎゅ、と強く抱きしめた。

「暗くなっても帰ってこないし、このままあんたが見つからなかったら、私たち、どうしたらいいかと……」

「心配かけて、ごめんなさい」


 誰も、誰かの代わりにはなれない。

 そうだね。いつもは小言ばかりの姉さまが、泣きはらした目で私を待っていてくれた。

 私も、姉さまにとって大切な一人、なのね。


 体を離した姉さまは、にっこりと笑った。

「無事で、本当によかったわ。それより、早く家に入りましょう!」

 なぜだか、姉さまは急かすように家の扉を開く。わけがわからないながらも私が家に入ろうとすると……

「イリヤ!? 帰ってきたの?」

 開いた家の扉から、ママが飛び出してきた。


「マ、ママ?! 起きて大丈夫なの!」

「ええ。それより、あなたこそどこへ行ってたの? みんな心配したのよ」

 軽やかに走ってきたママが、私を抱きしめる。信じられない。昨日まで起き上ることもできなかったママが、私のことを抱きしめている!


「無事で、よかった……!」

「ママ……!」

 暖かいその体に腕をまわす。間違いない。ママの匂いだ。

 ありがとう。悪魔。

 私の願いを、かなえてくれたのね。


「ママ、大丈夫なの? 辛くないの?」

「ええ。どういうわけかわからないけど……今朝起きたら、体が軽くて……昨日までの苦しさが嘘のようだわ」

「よかったね、ママ。本当に、よかった……」

「イリヤ! どこへ行っていたんだ!」

「心配したんだぞ」

 家の中から、パパとヨアン兄さまも出てきた。


「夕べお前を探しているときにアンに会って、お前にカジエ山の悪魔のことを話したって聞いたんだ。もしや、と思って、これからヨアンと二人で迷いの森に行こうとしてたとこだ」

「私、悪魔にママを助けてもらおうと思ったの。だから、迷いの森に……」

「行ってきたの?!」

「うん。でも、悪魔には会えなかったわ」

「ばかね。悪魔なんて、いるはずないじゃない。それでなくてもあの森は、獣も多くて危ないというのに……」

「イリヤ、ありがとう」

 ママが、また私を抱きしめる。その腕は、少しだけ震えてた。


「でもね。イリヤが死んでしまったら、ママ、自分が死ぬよりも、もっともっと辛くて悲しいわ。だから、お願い。もう、ママから離れないで」

「うん……ごめんなさい。ママ」

「もういいから。さ、朝御飯にしましょう。お腹すいたでしょう? イリヤが戻ってきたら食べさせてあげようと思って、ママ、久しぶりにパンを焼いたの」

「嬉しい! お腹すいた!」

「じゃあ、手を洗って着替えを……あら?」

 私の様子を見たママが、ふと、首元を見つめた。


「これ、どうしたの?」

「え?」

 二つボタンの開いたブラウスに、ママが手を寄せる。

「なにか痣が……虫にでも刺されたのかしら」

「まるで、バラの花みたいな形ね」

 姉さまも覗き込んで言った。

 そこにあるのは、約束のしるし。


「さあ? 痛くもかゆくもないけど」

「一晩中山の中にいたんじゃ、虫にも刺されるわよ。あーあ、スカートも泥だらけじゃない」

「ごめんなさい、ママ。せっかくママが作ってくれた服なのに……」

「いいのよ、イリヤが無事なら。スカートなら、また作ってあげるわ」

 嬉しそうなママの頬は、バラ色に光っていた。

 それは、私が見たかった笑顔だった。


「ママー! ごはんー!」

「ママー!」

 家の中から、弟たちの元気な声が聞こえる。パパと兄さまが、それを聞いて笑いながら家に入っていった。

「はいはい、すぐ支度するわね。ほら、イリヤも」

「うん」

 返事をして、もう一度だけ、私はカジエ山に視線を向ける。


 緑の森の向こうに、高々とそびえる山。

 そこにいるのは、バラの庭に住む優しくてきれいな悪魔。

 そういえば名前を聞きそびれちゃったな。悪魔に、名前があればの話だけど。私も名乗ってこなかったけど、いつか、私が立派なレディになった時に、ちゃんと私を見つけることができるのかしら。


 私は、そっと首元の痣に手を当てる。


「イリヤ?」

「ううん、なんでもない」

 私は、姉さまと手を繋いで、一緒に家へと入った。おいしいパンの匂いのする、笑顔のあふれる私の家へ。






Fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しるしのバラ いずみ @izumi_one

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ