昇進
「まずは、昇進おめでとう、2人とも」
「ありがとうございます」
「うっす」
霧島涼介、音羽雅の両人は、社長じきじきに昇進を祝われていた。
凛々しく礼をする霧島涼介。バイト先のような礼をする音羽雅。対照的な二人だったが、入社以来の社長室に緊張しているのは同じだ。
「霧島くん。きみは新入社員のころから、とても真面目に会社に貢献してくれたね。ほんとうなら、もっと早く上につけてあげたいところだったけれども、ほら、他の子たちのメンツとか、いろいろあってね」
「お褒めいただきありがとうございます。嬉しいです」
「きみは、人をよく見ている。人を動かす立場でも、きっと活躍してくれると期待しているよ。ところで、ひとつ聞いてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか」
「きみは、会社というもの役割を、どう考えているのかな?」
こういったビジネスシーンの対応については、霧島涼介は慣れっこだ。
「顧客の皆様に満足していただき、社会に貢献することです」
「うん、そう言うと思ったよ。僕の考えは違うんだけどね」
やんわりと、かつあっさりとした否定だ。さすがは社長といったところか、余裕の感じられる応対である。
「会社はね、社員を食べさせるためにあるんだよ。利益を出すと、会社が大きくなる。会社が大きくなると、社員によりたくさんのお給料を出してあげられる。現状、我が社は社員全員に滞りなくお給料を出せるくらいには利益を上げられているから、肩肘を張ることはないんだ」
終始穏やかではあるが、同時にブレない芯のある言葉運びだ。
「きみはほら、成果を出すのが楽しいタイプだろう。でも、そうじゃない子もたくさんいる。生活費のためにしかたなく来ていやいや仕事をしている子がね。そうだろう、音羽くん?」
「さあ? どうしてそこであたしの名前が出てくるんでしょうね?」
肩をすくめた音羽雅は、不真面目な社員の代表格だ。とはいえ、クビにならない程度には会社の役に立っている。
「結局のところ、社員が幸せならそれでいいんだよ。確かに、きみのようにしっかり働けば、きみのように多額のボーナスを受け取れるだろう。でもね、世の中には、歯を食いしばってたくさんお給料を貰うより、力を抜いて生活に困らない程度のお金が貰えれば充分だという人もいるんだ。きみの部下はきみの手足だけれど、きみ自身ではない。それを忘れないようにね」
「はい」
要するに、頑張りすぎるな、それを押し付けるな、ということだ。霧島涼介も薄々感じてはいた。ほどほどに頑張りゆるく成果を上げる、その社風との嚙み合わなさ。手を抜くことに慣れていないのは事実だ。
「……先輩、そんなにボーナス貰ってるんすか?」
「比べたことがないからわからないが、想像よりは多かったな」
まだまだ働き盛りの二人は、社会について知らないことも多かった。
「以上。長くなってすまないねえ」
「いえ。胸に刻みます」
「うんうん。胸とメモ帳にしっかり刻んでおいてね。わからなくなったらまた聞きにおいで」
「はい。では、失礼します」
帰り際、社長はふと思い出したかのように問いを投げた。
「ああ、そうだ。朝霧くんは元気かい?」
ドアノブから手を放し、体を戻した。
「はい。相変わらず、元気すぎるくらいですよ」
「うんうん。それならよかった。会社は社員全員を幸せにするためのものだ。たとえ退職したとしてもね。だから、問題は起こさないでね?」
いち社員の昇進ごときでわざわざ社長に呼ばれたのはなぜか、二人は薄々感づいていた。
霧島涼介と結婚するから、と言ってさっさと退職届を出してしまった元社員、朝霧美晴について。その霧島涼介が別の女子社員と仲良くしているとなれば、気にかけないほうが無理というものだ。
「万事、問題ありません」
ここは譲れないところだ。たとえ、なにを敵に回したとしても。
「俺たちは、全員納得しています」
「そう。音羽くん、なにか言いたいことはないかい?」
穏やかだが、引けない問いだ。音羽雅も覚悟を決めた。
「隠してるのは、騒がれたくないからっす。やましいことはなんもないっすよ。周りが騒がなきゃ、問題にはならない。嘘だと思うなら、美晴さんに直接聞いてみたらどうすか?」
「うんうん。威勢のいいことだ。そうこなくちゃね」
社長は穏やかに頷くと、机の影から仰々しい紙袋を取り出した。
「はい、お土産だよ」
「お土産?」
「うん。昇進祝い。それから、元結婚祝いだよ」
二人は話の流れを見失った。それもそのはず、二人はてっきり、罵倒されるか糾弾されるか、最悪の場合クビもありえるかとまで考えていたのだから。
「いえ、その、昇進祝いはありがたいですが、結婚の予定は」
「わかってるとも。まだボケてないよ、ぼくは。話を聞く限り、籍を入れるのは当分先になりそうだ。用意してたお祝いの品がいらなくなったから、昇進祝いってことで、きみにあげるよ」
二人は顔を見合わせた。どうやら敵意はないらしい。
「実はねえ、朝霧さんから電話があってね。二人のことをお願いします、とね。のほほんとしてるように見えて、意外とちゃっかりしてるよね、あの子は」
終始、社長はペースを崩さなかった。
「ぼくにも立場ってものがあるから、これくらいしかできなくてごめんね。頑張って。じゃ、そういうことで」
社長は紙袋を二人の手に押し付け、二人は押し出されるように社長室を後にした。
袋の中身はカタログギフトだった。三人で相談して、電気圧力鍋にした。
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