第58話


 図らずしも二度目の訪問となってしまった西内総合病院で、俺はごった返す外来患者に混じりソファーに座ってテレビを見ていた。テレビは夕方のニュースをやっているところで、女性キャスターが深刻な表情で、男子高生が付き合っていた彼女を殺害した事件を伝えている。


 殺す程好きだったのか、よくわかんねえなと思っているといきなり視界が遮られた。顔を上げると、冴えない表情をした姫条が俺を見下ろしていた。



「何かわかったか?」


 首を横に振った姫条は、俺の上にカバンを置いた。


「おうっ」


 身体をすり抜けソファーに置かれるカバン。俺は立った。姫条はスマホをポケットから出すと、耳に当てる。


「受付の人に聞いたけど、全然ダメ。そもそも取り合ってくれなかったわ」

「あーなるほど。そうしてたら電話してるみたいだもんな。話し相手が目の前にいるなんて誰も思わないよな」

「人前ではこういう手法を取るわね。……それより、空振りよ。神々廻さんのお姉さんのこともこれで手詰まりだわ」

「まだ受付にしか訊いてないだろ。諦めるのは早いんじゃないか」

「あのねえ、この病院、入院患者がどれだけいると思ってるのよ。全員に訊くなんて無理よ。とりあえず見回りをしてからね」


 スマホをポケットへしまった姫条は歩き出す。そうしてクロスボウを出したとき、



「あんたが代わりのお嬢ちゃんかい?」



 突如、すぐ傍から声がして俺は振り向いた。思わず「あ」と声を上げそうになる。

 前に窓からこっちを見ていたお婆さんだった。還暦は絶対に超えている。大きく曲がった腰に、団子状に纏めた白髪頭。妙にアンバランスな髪型は印象に残っている。


 声を向けられた姫条はお婆さんを胡乱げに見た。


「代わり?」

「今度はお嬢ちゃんがお祓いをしてくれるんだろう? その弓で」


 姫条がびくりと身体を震わせ、クロスボウを消した。


「……視えるんですか?」

「老眼で孫からのメールも老眼鏡を使わなきゃ読めないってのに、ロクでもないものだけはよく視える。困ったもんだよ」


 目尻の皺を深くしたお婆さんはゴホゴホと咳をした。何かが詰まっているような嫌な咳だ。


「前のお嬢ちゃんが来なくなってどうしたもんかと思ってたけど、代わりの子が来るんだねえ。お務め、ご苦労様」


 お婆さんが手を合わせ、踵を返す。その曲がった背中に、姫条は「あの、」と躊躇いがちに声を投げかけた。


「私の前にお祓いに来ていた女の子のこと、何か知りませんか? 突然、いなくなったみたいで……」

「ショックだったんじゃないかね。ボーイフレンドのことが」


 俺の脳裏をきっちり折り込まれた雑誌がよぎった。

 姫条と顔を見合わせる。一つ頷くと、姫条はお婆さんの前へ回り込んだ。


「すみません。その話、詳しく聞かせてもらえませんか? 前に来てた子にボーイフレンドがいたんですか?」

「ボーイフレンドかどうか知らないさ。わたしらは見てただけだからねえ。でも、仲はよさそうに見えたよ。いつも女の子の楽しそうに話す声が病室から聞こえたからね」

「病室?」

「男の子はここに入院してたんだよ。若いのに心臓が悪いって聞いたよ。運動はできないからって、わたしら年寄りと同じ生活さ。病院のスポーツ大会にも参加してなかったねえ」


 気の毒そうに言うお婆さんとは裏腹に、俺たちはガッツポーズをしたい気持ちだった。


「そのボーイフレンドに話を聞きたいんですけど、どこの病室ですか?」


 逸る気持ちを抑えられない、といった様子の姫条をお婆さんは穴が空きそうな程見つめた。



「自ら命を絶ったよ」



 姫条の喉がヒュッと鳴った。

 お婆さんは姫条のスカートに目を落としたまま続ける。


「あんたが着てるその制服、そこの東高校のもんだね。裏に川があるだろう? そこに飛び込んだと聞いたよ。ボーイフレンドも本当ならあそこに通うはずだったけど、結局、病気のせいで一日も通うことはできなかったそうだ。でも、制服だけは用意していて、死出の衣装にそれを選んだなんて可哀想な話じゃないか」



 心臓が脈打った。


 胸を押さえようとして失敗した。すり抜けた手の位置、胸の奥にあるそれが、まるで自分のものじゃないみたいに蠢く。


「でも、なんだってそんなことわたしに聞くんだい? わたしゃ、病院で噂になっていたことしか知らないよ。真相は本人に聞いとくれ」

「でも、本人はもう亡くなったって……」


 俺の動揺とはお構いなしに話は進んでいく。


 聞きたくない。


 そう思ったのも束の間、お婆さんの窪んだ目がぎょろりと俺を捉えた。



「そのボーイフレンド、あんたの横にいるじゃないか」

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