第47話
屋上に風が吹きつける。
ビョウと音を立てる風は俺たち三人の制服を絶え間なくはためかせていた。姫条の長い黒髪も一際大きく乱れ舞っている。普通の女子ならば慌てて押さえつけるところだが、姫条は微塵も気にすることなくクロスボウを構えていた。表情は真剣そのもので、氷の目線は一点を見つめている。
対して視線の先にいるマユリは、姫条を嘲笑うかのように笑みを浮かべていた。少しでも重心を傾けたらその身体は虚空へ消えてしまいそうで、俺は気が気じゃない。
「またその武器? それ効かないんじゃなかったっけ?」
マユリが大仰に肩を竦めた。だが、姫条はそれには応えずに俺へ訊ねる。
「……いつから憑いていた?」
「わからない。今日は陽來と会っていないから、下手したら朝からの可能性も……」
「そう。あまり余裕はないわね」
「ねえ、撃たないの?」
俺たちの小声の会話を遮ってマユリは言った。
姫条の顔が険しくなる。
その表情で俺は悟った。撃てないのだ。撃ってしまったら、陽來の身体は屋上の向こうへ消えてしまうとわかっているから。
「……どうして自殺なんて考えるの? こっちへ戻ってきなさい。念願の肉体を手に入れたんでしょ。それとも、神々廻さんの身体じゃ不満だとでも?」
風が陽來のスカートをはためかせる。露わになる太腿に気取られもせず、マユリは縁をゆっくりと歩いた。
「だって、失敗しちゃったんだもん。陽來ちゃんの身体だったらって思ったけど、やっぱりダメだったみたい。ハルに怒られちゃった。それならもういいかなって」
ああ、また俺のせいだ。
なんで俺は大事なところで選択を誤るのだろう。俺のせいで今度は陽來が犠牲になろうとしている。
「マユリ。それは俺が……」
「――ふざけんじゃないわよ」
俺が悪かった、と続けようとした俺は、地を這うような姫条の声で遮られた。
「自縛霊はいつもそう。自分勝手で、周囲の人間の優しさに気付きもしない。自分の行動をこの煮え切らない自縛霊男のせいにしてんじゃないわよ!」
一喝だった。マユリの顔から笑みが消える。
「自縛霊が憑依するには、憑依される人間がその自縛霊を受け入れる必要があるのよ。神々廻さんはあなたに心を開き同情してしまった。こうなることが予想できていたから、あの子にはあなたとは関わっちゃいけないときつく言ったのに、あの子は聞かなかった。どうしてだかわかる?」
ぎり、と歯を食い縛る気配がして、俺は思わず横を見た。
姫条の横顔。その切れ長の瞳には涙が溜まっていた。懸命に堪えたその姿に俺は言葉を失う。
「神々廻さんはあなたに幸せになってもらいたかったのよ。自縛霊に憑かれる人はみんな同じ気持ちを持っているの。その自縛霊のことを思いやって、その幸せを願って、自分の身体を明け渡すのよ! どうしてそれを踏み躙るようなことをするの! 神々廻さんがあなたにそんなことをさせるために身体を渡したと思ってるの!?」
姫条の瞳の堰が決壊した。
頬を伝い顎へと流れていく水滴。雫は屋上のコンクリートに落ちる。
「っ、うるさいうるさいうるさい! あんたに陽來ちゃんの気持ちがわかるもんかっ! あたしと陽來ちゃんは……!」
喚くマユリに一歩、俺は足を踏み出していた。
「姫条。俺がマユリに近付いたら撃ってくれ」
すれ違いざまに囁くと、赤い目がこっちを向いた。その視線は「できない」と言っている。
「大丈夫だ。絶対に陽來は死なせない」
姫条の瞬きを受け、俺はマユリとの距離を詰める。
「マユリ、ありがとな。俺のために成仏しないでくれたんだろ」
穏やかに語りかけると、マユリはぴたりと口を噤んだ。俺から顔を背ける。
「来ないで」
「俺、やっぱりおまえがいないとダメだわ。おまえが成仏しそうになったとき、それに気付いたんだ。だから、あんな自分勝手なこと言っちまった。おまえのことを考えるなら、あのとき笑って見送るべきだったんだよな」
「止まってよ、ハル! ほんとに飛び降りるよ!」
言われて俺は足を止めた。
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