第30話


「姫条先輩、わたしたち、いつまでここにいればいいんでしょう?」



「愚問ね。彼らが動くまでよ」

「そ、そうですけど、でも、この状態だとわたしたち、せっかく動物園に来たのに、動物を全然見ないで終わりそうな気がするんですけど……」

「あの二人の観察で我慢しなさい。一応、動物よ」


 カピバラを従えたまま、興奮状態で池へ移動したマユリは水浴びをしているフラミンゴを蹴散らし、早急にキツネザルのいる森まで進んできていた。森では体長三十センチ程のサルが人間からエサをもらおうと木々の枝から待ち構えている。


 左耳から聞こえてきた会話に俺はサルに触ろうと必死になっているマユリを放置し、辺りを見渡した。

 姫条の指導があるからか、一見して二人の姿は見当たらない。だが、よく目を凝らすと、不自然に盛り上がっている藪がある。


「……ご苦労なことで」


 思わず呟くと、


「気にすることはないわ。私たちはこれが任務なんだから」


 不機嫌な声が返ってきた。


 指名手配中の凶悪犯じゃないんだから、そこまでして監視することはねえだろ、と思っていると陽來の声が聞こえる。


「藪の中に隠れて行動なんて、死神って思ってたより地道で大変なんですね。もっと派手な感じを想像していました……」

「基本的に死神は裏方よ。嫌なら辞めたら? 無理強いはしないわよ」

「いえ、嫌じゃないです! むしろわたしの人生、今までずっと裏方だったので得意な方です!」


 ネガティブなのかポジティブなのか、よくわからない発言だった。


「姫条先輩はいつから死神をやっているんですか?」

「中学生のときからよ。組織に認められて増幅器をもらったのは、中学三年のときだったわ」

「中学からですか。すごいですね。きっと才能があったんですね!」

「そんなことないわよ。〈桜花神和〉に所属している死神の大半は中高生だもの。私が増幅器をもらったのは遅いくらいよ」

「はああ、それじゃ、わたしが死神になるのは激遅じゃないですか! あれ、でも、なんで大人の死神は少ないんですか?」


 姫条の逡巡する気配が左耳から伝わってきた。


 マユリはサルの尻尾を掴んで歓声を上げている。サルはマユリの手から逃れようと甲高い鳴き声を発して噛みつこうとするが、マユリがすり抜けてしまうため無駄なようだ。

 サルが哀れになり、それくらいにしとけよ、と声をかけるべきかどうか迷っている間に、姫条がぽつりと零す。


「……その辺の事情は、追々ね」


 陽來がキョトンとする様が目に浮かぶようだった。

 訪れる沈黙。


 サルに逃げられたマユリが群れに突っ込んでは、しきりに腕を振り回している。サルたちはマユリを避けて木の上部へと上っていき、遂に下りてこなくなった。


「……え、えーっと、じゃあ、姫条先輩も中学のときはこうして死神の先輩について行ったんですか?」


 沈黙に耐えられなくなったのか陽來が訊く。と、姫条がふっと口元を緩める気配がした。


「そうね。尊敬できる師匠がいたわ。私に死神としての生き方を教えてくれた人。両親を亡くした私を引き取って男手一つで育ててくれた人でもあるわ」

「お義父さん、てことですか……?」


 デリケートな話であるためおっかなびっくり訊いた陽來を裏切るように、姫条は軽やかに声をあげて笑った。


「あの人をお父さんって呼ぶのは、全然想像がつかないわね。十歳以上離れてたけど、親子って感じじゃなかったわ。歳の離れた兄弟に近いかも。でも、やっぱり身内じゃないから、あの人は私にとっては師匠ね。そうとしか言えない」


 あの人。そう語る姫条の口ぶりは彼女と「師匠」の親密さを如実に表していて。


 気が付いたら俺はマユリを放置して左耳に集中してしまっていた。

 陽來も「えー!」と女子特有の黄色い声を上げる。


「姫条先輩の師匠、すごい気になっちゃいました! 今度、会わせてくれませんか? わたしも是非、お話を聞いてみたいです!」

「それは無理ね」


 どうして、と陽來が続ける前に姫条はさらりと言った。



「師匠は死んだわ」



 痛い程の静寂が左耳を突いた。


「……私が高校に上がったばかりの頃ね。死神の任務中に帰らぬ人になった。一年経ったけど、未だに実感が湧かないわ。あの人のことだから、いつか何食わぬ顔で戻ってくるような気がして……」


 沈黙を埋めるように姫条が言葉を継ぐ。「姫条先輩……」と陽來が気遣わしげに呼びかけたとき、

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