第6話

 おとといから降り出した雪が、まだ降り止まない。この冬は寒くなりそうだった。

 龍ケ崎の武家衆が、黒い合羽を羽織り、番傘をさして、朝夕雪を分けて行き来する他は、在所からの物売りの姿も途絶えがちになり、人々は雪でぬかるんだ側道を行き来していた。城の廻りの濠も半分は氷が張っていた。

 日暮れは早くやって来た。そして今夜も、寒さは厳しく、北風がうなりをあげていた。村中の人々は、早く布団に入ってしまって、ひっそりかんと静かだった。時おり雪の重みに耐えかねて樹の枝から、ドサッと雪が落ちる音が聞こえてきた。その雪は珍しく。大雪が降り、竹の枝がその重みに耐えかね、ドサリ、ドサリと雪を落とすのであった。雪に浮かれていたのは、子供達と犬だけだった。その年は、龍ケ崎でも珍しく、雪が一尺ほど積もった。

 宗吉は仕事場にいた。お雪は繕いものをひろげ、清次郎は暗い面持ちで背を丸め、明るく燃え続ける榾火をみつめている。

 表の戸が叩かれたのは、大統寺の金が四ツを知らせ、しばらくした頃である。宗吉が立って、

 「ちょっとお訊ね申しやす」

 戸を開けた宗吉に、縞の合羽に厚く雪をかけぶった男が、片手に脱いだみの笠を下げて、歯切れのよい口調でそう言った。暗くて顔は見えないが、声はまだ若い。

 「こちらが、柏屋さんという木地屋さんでござんすね」

 「いまはやっとりませんが、柏屋ですよ」

 「あーッ、これはどうも」

 男が薄闇の中で白い歯をみせて笑った。

 「夜分遅くに失礼さんでござんすが、こちらの清次さんにちょっとお目にかかりてえと思いやして、うかがったんでござんす」

 「あなたは?」

 「へ、。江戸からきたとおっしゃって預けば清次さんお解りで」

 その時、夜の暗さに馴れた宗吉の眼が、雪の中に、鷺の群れのように、かたまって佇んでいる男たちを見た。厳重な旅ごしらえで、合羽の裾がはねているのは、長脇差に違いなかった。宗吉の宗が不安に鳴った。

 「兄貴は、ちょっと出ておりますが」

 「でも、じきにお戻りで?」

 「それが、行き先が在で、今夜は戻るか、一寸解りかねます。へい」

 「あんたが、清次の弟か」

 相手の口調が変わって、凄味を帯びた。

 「左様ですが」

 「ふん。心がけも男ぶりも俺なんざ及びもつかぬ弟がいると、清次が自慢してたのはお前さんかい」

 「・・・・・・」

 「兄貴をかばおうてえ気持ちは解るがな。今夜はわけがあって、ぜひとも清次の顔を借りてえんだ」

 「だから、いねえと言ってるんだが」 

 「ふざけるねえ」

 男が一喝した。宗吉も血がのぼせ上がった。

 「ふざけるなとはこっちの言いたい事だ。いったい何様か知らないが、見れば仰々しい人数で夜分訪ねてきて、押しつけがましい言い方は承知できないな」

 「やかましい。おう、こっちはよ、昨日からこの家を見張っていたんだぜ。清次が中にいることは解ってるんだい。だしな」

 「よく知ってるな」

 宗吉は、油断なく相手を睨みながら、後手に心張棒を探しながら言った。

 「だが、ここは俺らの家だぜ。めったに入れると思ったら間違いだろうぜ」

 「よせよ宗吉」

 いつの間にか後にきていた清次郎が、無造作に宗吉の手から棒をもぎ取った。

 「どうするんだ、兄貴」

 「ま、いいよ」

 清次郎は宗吉を後に押しやると、懐手のまま表をのぞいた。ひと渡り見渡してから、フフンと鼻で笑った。男が呻くように言った。

 「探したぜ清次」

 「ま、ま、解ってるってことよ。大勢さんで、常陽くんだりまでご苦労さんなことだ」

 「それはそれは、ねえ、親分さんまで、この雪の中を。神経痛に響かなけりゃ良いが」

 ふたたび、鼻先で笑った。凝然と立っていた人影が一斉に動いた。清次郎がそれにかぶせた。

 「待ちねえ。いまさら隠れもしねえやな。ちょっとの間、家の中を片付けるからよ。寒いだろうが待っててくんな」

 ピシャリと戸を閉めた。それから振り向くと、いきなり宗吉の腕を背中にねじ上げた。

 凄まじい力だった。

 「兄貴、何しやがる」

 「おとなしくしてな。お雪、紐もってこい」

 行きも乱さないで、清次郎が言った。呆然と立ちすくんでるお雪に、

 「腰紐でもなんでもいいい。ええ、早くしやがれ」

 「どうして?」

 「ええ、早くしやがれ」

 列しい声を浴びせると、お雪がふるえながら差し出した腰紐でキリキリと宗吉の腕を縛り上げた。それから、軽々と宗吉を肩にかついで茶の間に上がると、お雪に紐を出させて、もがき続ける宗吉の足も縛って転がした。

 「お雪、おめえ、こいつをしっかりを抑えてろよ」

 清次郎はそう言うと、奥から持ち出した脇差しをわし掴みに持ち出て行こうとしたが、振り返って言った。

 「宗吉、悪いことはいわねえ、やまつつじで勝負しな。アオハダは割れる。それにな、言いてえことは、お前ほどの職人が、どうしてこけしを新しく作り出さねえか、という事だ。親爺のこけしを真似るだけが能じゃあるめえ」

 「兄貴、これを解いてくれ」

 「いいや、駄目だ」

 柔和な眼をして、清次郎は笑った。

 「お前ら二人、似合いの夫婦だぜ。いい子を沢山産んで仲良く暮らしな」

 「兄貴、やい、お雪、紐を解け」

 「バカ野郎、くつわも噛まされてえか」

 そう言ったが、眼はまだ笑っていた。そして軽くうなずくと土間に降りた。

 「紐をとけよ」

 「いや」

 外に人の声が罵り合ったと思うと、すぐに雪を蹴散らす重い足音が交錯した。

 「お雪、解いてくれ」

 「いやだ」

 「兄貴が殺られる」

 「解けば、兄ちゃんも殺される」

 「ええ、わからねえ野郎だ」

 「いやだ、いやだ」

 お雪は、しっかりと宗吉にしがみついたまま泣き喚いた。

 誰かが戸にぶつかって、家が鳴った。押し殺したような掛声や悲鳴、その合間に、動物のように荒い呼吸の音が急に近く聞こえたりした。雪を踏む足音が重苦しく乱れる。

 そして、急に静けさがやってきた。その時、人間のものとも思えぬすさまじい絶叫が二度した。それっきり、物音はぱったりと途絶えてしまった。

 「ちきしょう。お雪、兄貴は殺されたぞ」

 宗吉が悲痛に叫んだ。

 「がまんして、兄ちゃん。もう少しがまんしてね」

 お雪は涙に濡れた頬を、ぴったり宗吉の顔につけながら、うわごとのように言い続けた。雪の音が、また近くなった。 

 それきり、清次郎は戻ってこなかった。

 

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