決別
「もう、一言でもメッセージ送ってくれればよかったのに!」
「ごめんごめんて。もうしないからさ」
ミホが大袈裟に何度も何度もくぎを刺してくる。高校生の家出なんてよくあるもんっしょ。そんなに心配することじゃねえって。それにあんたはほぼほぼ他人なわけで……心配される義理もねえし。
「じゃあ約束だからね! 指切りげんまん!」
「指切りって……小学生じゃん」
「なんでもいいからほら! 嘘ついたら針千本飲ます!」
そう言って強引に私の小指に自分の小指を引っ掛けてくる。……こうやってあたしのことを懐柔しようとしてるのか。きっとそうに違いない。絶対騙されないかんな。
「あ、どうせだから手つないで帰ろうよ」
「やだ」
「えー。心配かけたお詫びってことでさあ」
「やーだ」
これじゃあどっちが年上なんだか分からない。うだうだ言ってるミホをあしらいつつ、早歩きで家に向かって歩き続けた。
「ただいまー」
未だ慣れない玄関をくぐると、部屋には呑気に酒を嗜むクソ野郎がいやがった。もういつからだか分からないけど、「パパ」だなんて呼ぶ気は完全に失せていた。
「ミホちゃん、おかえり」
ママの前では見せなかったようなデレデレした顔をしてそう言いやがる。ミホがいなかったら多分この赤い鼻をぶん殴ってたわ。こいつが、こいつさえあたしの前から消えてくれれば……。
「祐樹さん! 麻紀ちゃんが見つかったよ!!」
「だからなんだよ……家出するならさせときゃあいいだろ」
クソ野郎はこっちに目をやることもなくずっとテレビの野球を見ていやがる。前からずっとそう。こいつはあたしのことなんか何も考えちゃいない。放任主義とかそういうんじゃなく、全く眼中にねえんだ。
「ちょっと、そんな言い方ないでしょう? お父さんなんだから、子供の心配しなくてどうするの」
「ミホ、別にいいからさ……」
「そんなことやってると亡くなった奥さんに怒られちゃうよ!?」
「――えっ?」
ミホの一言に思わず愛想笑いがこわばる。……亡くなった? 何の話??
「あいつだって放任主義だったからね。家出くらいじゃ何も言わないさ」
「だとしても……」
「ちょっと待って。ママが死んだって? どういうこと?」
やっとのことでそれだけ絞り出した。混乱してて会話の流れを探ってる暇もない。
「どういうことって……ついこの間、亡くなったんでしょう? 麻紀ちゃんのお母さん」
「いや……確かに気は狂ったけど、死んでなんかないよ」
私がはっきりそう言うと、今度はミホちゃんが固まった。――これは何かあるな。
「ミホちゃん、麻紀もきっと混乱してるんだよ。今はそっとしておいてあげ……」
「うっさいクソ親父! 一回黙ってろ!! ……ミホ、あいつからママのことなんて聞いてる? いつ死んだとか、どうやって死んだとか」
私の予想が正しければきっと……。
「ミホちゃん、麻紀の言うことなんか無視していいから」
「ミホ!」
私とクソ野郎が同時に声を掛ける中、ミホは何を思ったのか私の方を向いて口を開いた。
「去年の夏頃に病気で亡くなったって……それで寂しくなったから付き合ってくれないかって……それで付き合い始めたよ」
「そんなわけ!ママは今も生きてるし、何なら一昨日離婚したばっかりだよ! 狂っちゃったのも先週の話だし! ミホは騙されてたんだよ! こいつは去年からずっと不倫し続けて家庭を壊したクソ野郎なんだよ!!」
「麻紀!! 黙れ!!」
クソ野郎は鬼のような形相になってあたしの手を掴んだ。それが本性か。ママも変な人だと思ってたけど、こいつはそれ以上に変な――いや、異常な人間だ。そのまま反対の手を振り上げる。痣の一つや二つ、最悪骨折することまで覚悟した。それでも、悔いはなかった。
「やめて!!!!」
それを制したのは他でもないミホだった。
「み、ミホちゃん、違うんだ、だから全部この子の妄想で……」
「……って」
「分かった、殴らないから、殴らないけど叱りつけるだけ……」
「いいから出てって!!!!」
ミホは滝のように涙を流しながらそうやって叫んだ。やっぱり、ミホも被害者だったんだ。あたしは少しだけミホに同情した。
「ち、違うんだ、信じてよミホちゃ……」
「触らないで!!」
ミホはクソ野郎の手を振り払うとよろよろしながら家に上がると、棚の上に置いてあった紙を手に取った。――婚姻届だ。
「ミホちゃん、何を……」
クソ野郎は鼻をひくつかせて、脂汗まみれになっている。それを見ることもなく、ミホは婚姻届を両手で持つと一直線に切り裂いた。クソ野郎はもはや声も出ずにその場に立ち尽くしていた。いい気味だ。
「これでもうあなたとは他人……だから早く出てって」
「ミホちゃん、一旦落ち着こう、一回考え直」
「出てって!!! 警察呼ぶから!!!!」
ミホはスマホを取り出して実際に「110」を入力して見せる。それに流石にヤバいと思ったのか、クソ野郎は後ずさりをして、その後しぶしぶと靴を履いた。
「ま、また時間が経ったら来るからね……だから少しは考え直し……」
「うるさいこのクソ男!!!」
ミホは最後のダメ押しと言わんばかりに持っていたバッグをクソ野郎の顔面に投げつけた。ますますいい気味だ。玄関のドアが閉まると、ようやく部屋の中に静寂が取り戻された。ミホはその場で座り込んで、しくしくと泣いた。
「ミホ……うちのクソ親父が、ごめんなさい」
一応は家族だから、形だけでもちゃんと謝る。ミホは一方的な被害者だもんな。損害賠償とか払わなきゃいけなくなってもおかしくはない。詐欺だもんこんなん。
「ううん……麻紀ちゃんのせいじゃないもの……私こそ、知らなかったとはいえ不倫に加担しちゃって……ごめんなさい」
「いや、それこそミホは知らなかったんだから。しょうがないよ」
ミホは泣きすぎて涙が枯れてきたのか、やっと涙も落ち着いてきて顔を上げた。
「……じゃあ私も出るから。短い間だったけどお世話になりました」
「えっ、麻紀ちゃんも行くの?」
「え? そりゃあ……あいつとミホが結婚しないんじゃあ、あたしも部外者だし」
流石に結婚解消したのに解消した相手のあたしが居座るのはおかしい。
「で、でも、麻紀ちゃんもあいつのこと、嫌いなんでしょ? 一緒にいたら苦痛じゃない……?」
「それは、まあ。……でもまあ家族だから仕方ないよ」
今までもそうだった。子供というのはこういう時に無力だ。子供の人権とかいうけど子供に人権なんかないよ。最後は親が全部を決める。親が全部の権利を持ってる。親がどんなにゲスでクズでゴミだとしても。
「そんなことないんじゃない? 麻紀ちゃん、高校生でしょ?」
「まあ、一人暮らしとかしようと思えばできるけどさ。結局学費とか払えないし」
今までに何度も考えたけど、何度計算したって将来つらくなるばかりだった。だったら今つらい思いいとけばいい……ずっとそれでやってきた。
「あのさ、だったらここにいなよ」
「……はい?」
「あ、嫌だったらいいんだけど、少なくともそれで家賃は浮くかなー、みたいな」
「い、いや、そうだけどさ。でもなんの義理があってそんな……」
さっきも言ったけど結婚がなくなればあたしはもう完全に赤の他人だ。泊める義理なんか一ミリもない。
「義理というかなんというか……あの人が子供を連れてくるって言うから、一応私、心構えをしてたんだよ? 高校生じゃあお母さんとしては見てくれないかもしれないけどちゃんと気持ちの上ではお母さんとしてちゃんと接しようって、そう思って……。だから私、麻紀ちゃんのことは本当の子供みたいに思ってるよ! いや、子供産んだことないから本当のところはどうか分からないけど、でも愛情みたいなのは既にあると思うんだ……多分。だからなんというか、離れたくないというか……あれ? なんか口にすると恥ずかしいなこれっ、や、やっぱなし!」
本当の子供みたいに思ってる、か。たった二日前に初めて会ったばかりなのに、既に結婚解消している相手の子供なのに、よくそんなくさい台詞吐けるよなあ。
「く……ぶふっ」
「麻紀ちゃん?」
「ミホ、あんためっちゃ面白いわ」
「な、なんでぇ?」
お人よし過ぎるんだよ、馬鹿。そんなだからあのクソ野郎みたいなヤツに騙されるんだ。
「分かった。あたしここに住む」
「ほ、ほんと!?」
こんな目キラキラさせちゃって。ご機嫌取りのために優しいフリをしてるんじゃないか――なんて疑うのも、もう無理かもね。
「ちなみにあたしの学費どうする気だよ」
「そ、それは……今から考えようか……」
「やっぱりミホってちょっと抜けてるよな」
「そ、それを言わないでよぉ」
この子滅茶苦茶面白いわ。この子となら一緒に住んでもいいかなって思った。この子とならもう少し……もう少しだけ生きていいかなって、ほんの少しそう思った。
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