杉田家
バスから降りて、少し坂になってる路地に入っていく。その先の十字路を右に曲がってすぐのところに俺の家がある。この辺は新興住宅街でほとんどが築五年未満だが、俺の家だけは築10年で、新しい家たちに追いやられるように建っている。
「ただいまー」
玄関の戸を開けて中に入ると、いつものように廊下の一番奥のキッチンから母さんが顔を出す。
「おかえり。まったく、少し遅くなるんなら言いなさいよ」
時刻は6:30過ぎ。外はもうほぼ真っ暗だ。確かに、入学式しかなかったのだから、普通はこんな時間に帰ってくることはない。
「俺だってこんなに遅くなるとは思わなかったんだよ」
俺は鞄を放り、靴を脱ぎながらそう応えた。俺の時間感覚なら遅くとも3時くらいだと思っていたのだが、学校を出るときには6時を回っていた。
「まあでもちょうど良かった。ご飯だから健と誠呼んできてくれない?」
それだけ言うと母さんはキッチンに引っ込んだ。まだやるとも言ってないのにせっかちというかなんというか。
しかし物はついでだ――と、二階の自分の部屋に向かう途中で健の部屋を覗いた。
健は俺より4つ上の兄で、音楽系の専門学校に通っている。うちの中でもギターや電子ピアノを弾いたり、それをパソコンで音をミックスさせたりしている。定期的に母さんに「うるさい!」と怒られる。
「飯だってよ」
「おーう。もうちょいしたらいくわ」
今日もギター片手にパソコンとにらめっこしている。その長い髪の毛はどう見ても邪魔だと思うのだが……まあそれも彼のこだわりなんだろう。
誠は3つ下の弟で、小学生のときから少年野球をやっている。兄バカと言われるかもしれないが、稀に見る純粋な少年で、野球への熱意もさることながら、周りへの気配りができると先生によく言われるようなヤツだ。俺や母さんの言うことも素直に聞く。
そんな誠と俺は同じ部屋を使っている。そろそろ二人ともでかくなってきて狭く感じるが、部屋がないのだからしょうがない。荷物を俺の勉強机のところに置いて、スマホをいじる誠の方を向き直す。
「誠、飯」
「すぐ行く」
このクリクリ坊主を見ていると藤井なんかを思い出しそうになるが、その都度「誠とあいつらは違う」と思い直す。こいつには反抗期なんてものは訪れて欲しくはない。
兄弟はこれだけだ。男ばかりでむさ苦しいが、女兄弟が欲しいと思ったことはない。女兄弟はいいもんじゃない、という友達がいるというのもあるが、一番はそこまで必要性を感じない。母さん一人いれば充分である。
下におりて、リビングに行くと食卓にはもう既に色々と並んでいた。惣菜のからあげ、ポテトサラダはうちの食卓の常連だ。
「よっしゃからあげだ!いただきます!」
誠が大声で言って両手を合わせ、ご飯の大盛りになった茶碗を片手にガツガツと音を立てて食べ始めた。健と俺はあまりたくさん食べる方ではなく、食に興味もないから、こうやって美味しそうに食べることができる誠が多少羨ましかったりする。
俺もぼそぼそっと挨拶をし、からあげに箸を伸ばした。この歳でこんなことを言うのもなんだが、最近どうも胃がもたれやすいので、からあげは食べて二個か三個だ。あとは適当にミニトマトやチンした冷凍たこやきなんかをつまんで、茶碗半分くらいのご飯をちまちま食べる。中学の頃は一応テニスをやっていたが、その頃も今と同じような食生活だった。
「そういえば今日、秋山がさぁ」
食卓は大体誠の学校生活に関しての報告の時間になる。学校であったことを逐一話してくれるので、俺や母さんからとってみれば有り難い限りだ。ほとんどがその日にあった面白いことか部活のことで、たまに先生の愚痴が入る。それを聞いてる限り、いじめられているようなことはなさそうなので安心している。
「あら~、秋山さんとこのお母さん、そのこと知ってるのかしらね~」
母さんも誠の話をゆっくりと聞いて、色々と反応をする。俺も健も何も話さないので、話してくれる誠がかわいくて仕方ないのだろう。誠がいることで、母さんの話し相手にならずにすんでいるので、俺と健も誠には感謝している。
そうこうしていると健が下りてきて、あくびをしながら食卓の輪に入った。健の席にはいつも納豆が用意されていて、健はご飯をその納豆で食い、からあげを一つ二つ口に放り込んでテレビを見るのが常だ。テレビは食卓からは見られない位置にあり、テレビを見るにはソファまで移動しなければならない。健はいつもそのソファに寝転がり、10時くらいまでバラエティを見ている。俺も気になる番組があるときは床に座ってソファの下の部分に背をもたれて見る。
「あんたもたまには野菜食べなさいよ。進を少しは見習いなさい」
「ん」
健に対しては母さんの小言が多い印象を受ける。まあ、よく言えば芸術家気質の、悪く言えば色んなことにルーズなヤツだから、仕方ないといえば仕方ないんだろうが。
今日も一番遅く来た癖に一番早く食べ終わり、健は定位置に寝転がってテレビを点けた。なんだかんだ、母さんも無理矢理テレビを剥奪したりはしない。
「ごちそうさまでしたー!」
食べ終わった後にも、誠は元気よく挨拶をすると、お皿を流しに持って行く。そして自分の歯ブラシを手に取ると、そのまま二階に駆け上がった。恐らく、アイドルのライブの映像でも見ながら歯を磨くつもりなのだろう。部屋もあいつの勉強机の周りはそのアイドルグループのポスターが所狭しと貼ってある。別に俺はアイドルを好きなわけでも嫌いなわけでもないのだが、水着のポスターが壁に幾つもあると目のやり場に困るのは確かだ。
誠が二階に上がってすぐ、玄関の戸が開く音がして父さんがリビングに入ってきた。ずんぐりむっくりでいかにも「お父さん」といった感じの父さんだが、市役所で課長をやっている。
父さんもあまり油ものは食べず、ポテトサラダを小皿に大盛にしてバクバク食べる。芋類が好きらしい。
父さんが帰ってきてからは無言タイムになる。別にうるさくすることを咎められたわけじゃなく、なんとなく読書に耽ったりしたくなるのだ。寡黙な父さんの雰囲気のせいだろうか。そんな感じなので、リビングにはテレビから漏れる笑い声が異常に大きく聞こえる。
俺もぼーっとテーブルについているのは暇なので、歯ブラシを片手にソファの前に座り込んだ。父さんと母さんは二人だけテーブルに向かい合わせに座り、なにやら愉しげに喋っている。不倫だなんだでごたごたする家庭が多い中、うちの二人は円満そのものだ。
こんな家庭で何不自由なく当たり前のように生活している俺はきっと幸せ者なんだろう。母さんも父さんも健も誠も、俺のことを幸せ者だと思っているはずだ。どう間違っても、俺が自殺を考えていることなど知る由もないに違いない。
俺は家の中でいじめの話は一言もしていない。元々口数の多い方でもなかったし、根掘り葉掘り聞かれることもなかった。だから幸か不幸か、家族は誰も何も知らないでいる。
俺は一番自殺から遠い存在で、一番自殺に近いのだ。
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