第14話「岬の事態と、仕事の終わり」

「それでは、またよろしくお願いします」


………


「ありがとうございました」


………


「わかりました、学校と連絡して返信いたします」


………


 一人当たり6カ所と言う条件で始まった春風祭の広報の挨拶回り。義隆が割り当てられた分も、すでに半分は完了していた。


「“学校に確認を取る必要がある場所がありました。”と、こう言うのは先輩に任せないとなぁ」


 義隆は、学校と話すべき内容に関しては、岬に逐一連絡をして、その対応を待ちながら次の場所へ進んでいった。最初に市議会議員の…それも、自分の同級生の親の所に行ってしまったがために、それから先の場所には、何処か心にゆとりが生まれてしまった。


「最初に議員に挨拶に行ったのは、我ながらどうかしてるよ」


 5か所目への道すがら、義隆は誰に聞こえるでもなくぼやいた。そして、先ほどの連絡の返事を待っていたのだが、目的地に着くかどうかと言うのに、岬からは返信がなかった。


「ちょうど取り込み中だろうか、先に自分の仕事を済ませることにするか」


 義隆は、少し遅い岬からの返信をそんなに気に留めず、次の広告会社に入っていった。


………


「ありがとうございます。それではよろしくお願いします」


 印刷会社の入り口で、従業員の男性に深くお礼をして、5か所目の申請もつつがなく終わる。義隆は、それまでなるべく触らないようにしていたスマホを取り出して、岬からの連絡が無いかを確認した。


「…あれ」


 義隆は、生徒会の枠組みで入っていた連絡グループを見たが、普通ならメッセージを呼んだ人数が把握できるはずの場所がなかった。


「未読…?そんなに難航してるのか?」


 義隆はそう思い、最後の場所に行きながら、重ねて連絡を付け加える。


「“次で最後の場所です。”一応これで…と」


 簡単な文章を送り、読み手が現れるかどうかを待つ。その間にも仕事は熟こなさなければならないので、足だけは動かしている。そして、少し遅れて、ようやく義隆が気にしていたものがスマホの画面上に現れた。


「既読が1人。1人…?」


 グループにいるのは義隆を含めて3人。義隆が送り主であれば2人が見ているはずと思っていた義隆は首を傾げた。そしてそのすぐ後に、義隆ではないメッセージが書き込まれた。


“成田君”


“岬ちゃんが倒れちゃったの”


 淡白な文章が画面に映り、義隆は、瞬間的に息を詰まらせた。送り主は朝陽で、文章は一切の飾りのない報告のような文章だった。


“どういうことで…


 義隆は、そこまで打つと少し手を止めて、そんな余計な文章では状況はわからないと思い、文面を変更した。


“今どこにいますか”


“今はアワノ珈琲で休憩中だよー”


「アワノ珈琲…?」


 さっきと違う少し柔らかな文章でそう書かれる。義隆は、最初の文章から事が重大なのではと考えたが、一度落ち着いて朝陽とメッセージをやり取りしようと思った。


“生徒会長は大丈夫なんですか?”


“死んじゃうほどじゃないから大丈夫だよ”


 わからない。


 重いのか軽いのかわからない。


 義隆は、そんな心の声を含ませながら朝陽のメッセージを眺める。だが、あの生徒会長が休んでいるということ自体は事実だと確信して、義隆は、次のメッセージを送った。


“俺もいま区切りがついたんで、合流します”


 それを送ってすぐ、義隆は不安を抱えたまま駅周辺に足を戻していった。



………



「すぅ…ん…」


 アワノ珈琲に入って、朝陽の姿を見かけて席にたどり着いた時、義隆が最初に気づいたのは、朝陽の肩にもたれかかって穏やかに寝息をたてていた岬の姿だった。


(大中先輩、これって…?)


 義隆は、無意識に小声で朝陽に問うた。寝息を右耳に聞きながら、朝陽はほんの少しだけ声のトーンを落として会話する。


「あはは…やっぱり無理がでちゃったみたい。私が別の場所に行こうとしてた時にね、岬ちゃんが町外れの公園のベンチに座ってたんだ。それで様子を聞こうとしたら、その時にはもうフラフラでね」


 朝陽いわく、半睡だった岬をここに連れてくるために、彼女の手をつないで子どもにかけるような丁寧な声かけをして、どうにかここで眠ってもらったらしい。


(朝の時点で、なんだか無理してるとは思いましたけど…)


「これもいつものことなんだよ。私にとってはね。あと、そんなに声のトーンを落とさなくてもしばらくは起きないと思うよ」


「そう、ですか」


 そんなやり取りをして、義隆はまた2人に向かい合うように席に着いた。


「これだけ寝てるってことは、会長ってもしかして昨日寝てないんじゃ…」


「どうかなぁ、流石に寝てると思いたいんだけど…岬ちゃんだからねえ」


 朝陽をしてそう言わせるのなら…と、義隆は嫌な予感を覚えたが、同時にこの場所でゆっくり寝ている岬を見て、少し安心もしていた。


「こうしてうっかり寝ちゃうのも、何回目かなぁ」


「そんなに頻繁に?」


「そう。みんなが見てるところでは絶対に気を張ってるけど、私と2人とかだと、よくこんなふうになってるよ。私が気前よく肩を貸してるからかもだけどね」


 朝陽の冗談めかした言葉に、最初の心配も少し和らいだ義隆は、おもむろにメニューを取り出して何か注文しようかと考える。


「あ、何か頼むの?」


「えぇ、安心したら喉が乾いてきたもので…」


「それなら…ここのプチプチメロンフロートが美味しいよ〜。アイスにもパチパチするフレークが入ってて、もう飲んでる間ずっと口の中が花火なんだよ」


「それなんですか?」


 朝陽の楽しそうな表情と、それだけ話して居ても優しい寝息を立てている岬を見ながら、義隆は、朝陽のおすすめも虚しく、アイスカフェラテを頼んだ。


「むむー、成田君はつれないなぁ」


 おすすめをフイにされた朝陽は口を結んで少し不満そうな表情をしていた。義隆はそれが根っからの不満ではない事は勘づいており、その上で朝陽に返す。


「またいずれ挑戦してみますよ。それに今は昼の1時半…遅い昼食を食べるためにそういうジュースはちょっと」


「まあ仕方ないか…ちょっと面白くなりそうだったのに、特に岬ちゃんが起きて…たりしたらね?」


「またそうやって何か企もうとして…」


 朝陽はそう言って、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、両肘を立てて組んだ手に顔をもたげた。一方で正面から少し気楽な心地で自分を見てくる朝陽に、義隆はやれやれとばかりに呆れたが、それと同時に自分を見つめる朝陽の顔に少し目線が留まった。


 少しタレ目で、穏やかな表情。岬ほどではないが艷やかなロングヘアが肩を撫でる。そして店内の照明で輝きを感じられる柔らかな白をまとった素肌と、なによりも…


「大中先輩の指って、長くて細いんですね」


「ふふー、ピアニストだからね。指先には気を遣ってるんだよー」


 義隆の言葉に、朝陽は少し自慢げな、優しい笑顔を返す。義隆は彼女のそんな表情を見て、心の隅に憧れのような物を感じていた。


 底のしれない雰囲気もあるが、親友に対して面倒見がよくて、引っ張っていっても着いていく。疲れている時には肩を貸して、時には茶化したり、頼ったり…


「どうしたの?そんな羨ましそうな目をして?」


「いやぁ生徒かい…岬先輩はいい親友を持ってますね」


「んんー意外だなぁ?私のこと、そんなに褒めてくれるの?」


「肩を借りられる間柄なんですから、いい親友だと思いますけど」


「ふふー、そうかもねー。でもさ、成田君」


「はい?」


 朝陽が慈愛のような表情を浮かべて、嬉しそうに岬を見つめる。しかしその後すぐに、義隆に向きなおり、義隆にもまた優しい笑顔を見せた。


「こんど機会があったら、岬ちゃんのこと、今みたいに名前で呼んであげて欲しいかな」


「岬先輩…ですか?」


「そう。本人はなにも言ってないけど、岬ちゃんはいつも役職で呼ばれる事が多くて、なかなか名前や苗字で呼ばれることが少ないからね。でも成田君なら、こうして岬ちゃんと交流もある訳だし、会長としてだけじゃなくて、吉岡岬を知ってる人として、時々意識してくれると、親友と呼ばれた私も嬉しいかな…って」


 義隆は、この短い期間を思い返して、自分が岬のことを生徒会長と呼ぶことが多かったのを実感した。それは会長と言う役職への敬意のつもりだったが、そもそもの岬との出会いは、確かに彼女の秘密にまつわるものだ。そういう意味では、仰々しく役職で呼ぶのは野暮なのかもしれない。これだけ頻繁に交流がある相手の事を名前で覚えないのは、やっぱり失礼だろう。義隆は、朝陽のお願いを聞いて、自分が遠すぎる距離感で話をしていたことに気づき、少し考えてから朝陽に返事をした。


「…まあ、それは今後の課題ってことにしておきます」


「もう、ここまで来て善処はズルいと思うよー。になんて説明するの?」


 義隆は、朝陽の小さなブーイングに少し戸惑っていたが、それよりも自分が重要な話を聞き逃したことについて急激に焦りが昇ってきた。


「えっ、大中先輩いまなんて言いました?聞いてた岬先輩って…」


 そう言うと、義隆は、恐る恐る肩を借りていた岬を見る。


「………っ」


 目をつぶったままプルプルと自分の肩を震わせて、白く綺麗な顔の朝陽とは対称的に顔を紅く染めていた岬が、そこにいた。


「ふふー、もう岬ちゃんも成田君が会長以外の呼び方をした事はちゃんと聞いてたもんねー」


「…朝陽、まさかこれを狙ってこっそり私を起こしたんじゃないでしょうね?」


「ふふふー、どーかなー?」


 結局、義隆も岬も、完全に朝陽の手のひらで踊らされる形で、この珈琲店での一幕は過ぎていった。


………


「義隆君はあと1か所、私もひとつで朝陽は2つ…うーん、少し予定が押してるわね」


 引き続き、アワノ珈琲で昼食を取りながら今日の予定について話を進める3人。岬はと言うと、自分が遅れさせた分の埋め合わせに頭を悩ませていた。


「もう1連休使って回れば簡単なんだけど…確か朝陽って、明日はピアノのレッスンがあったのよね?」


「うーん、そうだねぇ。今の曲も難しいから予定も潰せないかなぁ…」


「義隆君は、何かお休みの予定はないの?」


「ゴールデンウィークはあまり予定はないです。両親も忙しいので」


「そっか、ありがとう…」


 岬はそこまで話を聞いて、スマホや自分の手持ちの資料と何度もにらめっこをして効率よく仕事を済ませようと考える。しかし岬の様子から見るに「あっちが立てばこっちが立たない」と言う感じのようで、曇っている岬の表情は一向に穏やかにはならなかった。


「岬ちゃん、また表情がよくないよ?」


「えぇ。流石に色々考える事が多すぎるからね」


 岬の悩みに、義隆は何も提案できずにまごつくことしかできなかった。


「さすがに全部まとめることはできないけど、取り敢えず午後は、それぞれが4か所ずつ挨拶に行くことにしましょう。そうすれば、振り分けられた分は半分くらい終わるし…」


「それでも半分なんですね」


「昨日任された場所が遠方なのよね。だいたいなんで市外にも告知を打つように…いや余計な話はやめましょう。まずは私たちの仕事を進めること。オーケー?」


 岬の確認を合図に、3人は立ち上がって会計を済ませる。義隆はまた財布を出そうとしたが結局止められ、重ねて岬の奢りになってしまった。


「本当に毎回いいんですか?」


「このお仕事中は、その分の対価だと思ってちょうだい。もしどこかで私たちと私的に会うことがあれば、その時はあなたが思うようにこのお返しをしてちょうだい」


 岬はそう言って、またもレシートをなびかせた。


「私的に会う事なんて、そうそうないでしょう?二人と俺は住んでる場所も違うし」


「そう?鈴之原本町って言う中心部があるから、もしかしたらバッタリ…なんてこともあるかもしれないわよ?」


「会長は俺と偶然バッタリ会うつもりなんですか?」


「それは…あー…」


 義隆は岬の様子を見ながら、岬がどこか煮えきらない様子でそんな事を話しているのに気がつく。そして、しばらく義隆に見つめられた岬は、だんだんとその空気に吹かれるかのように顔を背ける。


「………あの、そんなにまじまじと見られると話しにくいんだけど」


「見てただけですけど?」


 義隆は、少し含みを持たせるように一言だけ返した。義隆の視線には今までの扱いの中にある「岬に振り回された部分」に関する怪訝さがにじんでおり、義隆にとっては気まずそうに視線を逸らす生徒会長への意趣返しも込められていた。そして、後輩の視線に根負けした岬は、肩を落としつつ独り言ちる。


「はぁ…なんか今年は調子が狂ってばかりね、やっぱり疲れてるのかしら」


「後輩の前でも寝ちゃうくらいにだから、相当疲れてると思うよー」


「言わないでよそれは。でも、朝陽がいて助かったわ。朝陽に声をかけられて何とか起きてられたし、朝陽が肩を貸して“眠ってもいいよ”って言ってくれたから、おかげで今はスッキリしてるもの」


 駅の待ち合わせスポットで会話を交わしながら、岬は2人に、新しい目的地の資料を手渡す。しかし、いざ散会して進もうかと言う所で少し不思議そうな顔でつぶやいた。


「でも、朝陽が起きて…っていうタイミングで目が覚めて、そのタイミングで義隆君が私のことを名前で呼んだのだけは解せないわ。朝陽、私が起きるのに気がついてたわね?」


「ふふー、それなりに付き合いも長いからねー、なんとなくわかっちゃった」


「大中先輩、怖っ」


………


 結局、岬が解せない空気を感じつつも3人は午後の挨拶回りを始めた。さすがに一眠りして調子を取り戻した岬は、そこから先の仕事を難なくこなし、朝陽や義隆も、移動の距離に苦笑いを浮かべつつ挨拶を完了した。そして3人が持ち回りの場所を全て終えて駅に集合したのは夕方5時を過ぎた頃だった。


「じゃあ取り敢えずは終了ってことで。残ってる場所とか挨拶に関しては、私もちょっと調整をしないといけないから保留ってことで。だからあとの2連休は充分に休日を楽しんでちょうだい」


「はーい、まあレッスンが待ってるけどねー」


「大中先輩もお疲れ様です、そして何より会長も…」


「………」


 義隆は岬を労うつもりで話しかけようとしたが、当の岬はと言うと、あまり顔には出してないが明らかに何か物足りなさを表していた。義隆は、最初はその顔から手探りで原因を探そうとしたが、すぐに彼女のそれがなんの目的なのかを理解した。


「えっと…吉岡、先輩もお疲れ様です」


 義隆は、恐る恐る自分の予想を言葉にした。しばらく押し黙ったままの岬だったが、義隆の答え合わせをするような顔を見て、これ見よがしにため息をついた。


「………はぁぁ〜」


「何ですか人の顔を見たと思ったら盛大にため息ついて」


 義隆の反論に、岬は少し考えて制止させるような格好で義隆に手を差し出した。そして少し目頭を押さえて、どこに向けているのかわからないような返事をする。


「いえ、義隆君が悪いわけじゃないの。気を利かせてくれたのはありがたいと思ってる。ただ…」


「ただ?」


 岬はそこまで言って、少し気まずそうに目線を外して話を続ける。


「なんか…自分が面倒臭い人になっちゃったなって思っただけよ」


「?」


「ふふー」


 岬は頭を抱えてそんなことを呟き、そんな彼女の様子に義隆は疑問しかわかず、二人のやり取りを見ていた朝陽は何処かツヤツヤした表情でそこに佇んでいた。


 その後、岬はしばらく義隆と目線を合わせずに会話をしていた。この後の平日の生徒会の話など、会話そのものはきちんと進むものの、義隆が岬に話を振る時には、わずかに義隆と目線の合わない角度で岬は話を続けていた。そして、目線を合わせないだけではなく、岬の表情は、わずかだが生真面目さが薄れたようにも見えた。義隆は、目線の合わない先輩と会話を続け、朝陽はそんな2人のやり取りをいつもの柔らかな笑顔で見ている。


「じゃあ、後のことは先生たちにも連絡して分担してもらう事にするわ。だからここからは生徒会の仕事は平日に、あとは臨時役員も入るからようやく負担も減ってくると思うわ」


「わかりました。また何かあったらグループメッセージで連絡してください」


「えぇ、昨日と今日、色々とありがとうね。あとは休日を楽しんでちょうだい」


「いいなぁ、私もたまにはサボりたい気分だよー」


 朝陽の言葉に笑いを見せながら、日の沈みかけた鈴之原駅から、3人は自分の家へと帰っていった。


………


 夜、自分の連休課題を少し足早に終わらせようとした義隆は、いつの間にか日をまたぐ程の時間まで机についていた。


「もう、0時か」


 時針と分針が重なる間際、義隆は自分のやっていた課題を閉じて、ベッドの…方には行かずに、電子ピアノに向かった。


「岬先輩、か…」


 義隆は、ふと岬の今日の姿を思い返した。生徒会や合唱部では、凛々しくも優しい完璧に近い先輩だが、その役割が災いして仕事に追われる事となり、結果として朝陽だけには甘えたり、肩を借りたり、人には見せないように力を抜こうとする。


「力を抜く努力…か」


 義隆は、岬の生き方をそんな言葉で評した。仕事を頑張り、勉強にも勤しんで、品行方正に振舞う。常に何かに努力をしていた岬だったからこそ、岬には努力をしない時間がないのかもしれない。休むことすら、彼女にとっては努力の一つなのかもしれない。義隆はそんな事を考えていた。


 だからこそ、常に力を抜いて佇んでいる大中朝陽の存在こそが、岬にとって一番落ち着く場所であり、岬はそんな朝陽を拠り所にしているのではないか。


「そう考えると、あの二人ってちょうどいいのかもな」


 今日の仕事を共にした二人の先輩。この2日間で義隆は二人の先輩のいろいろな側面を体感した。人から尊敬される二人の存在の背中には、誰も気にかけない等身大の彼女たちがいる。今日までの二人との関わりは、義隆にそんな印象を深く書き残す事となった。


「さて、休日をどうやって過ごすか、だな」


 結局、ピアノに向かったはいいが何か演奏したいものが浮かぶわけでもなかったので、ピアノを閉じて一度スマートフォンに目をやった。


「…ん?」


 義隆がスマートフォンの通知を確かめると、見覚えのない人物からのメッセージが来ていた。


「この個人メッセージは…吉岡先輩?」


 義隆は、メッセージの送り主が生徒会のグループメッセージにいた岬と同じことに気がついた。そして、夜遅くになんの連絡だろうかと考えてメッセージを開いた。



“ダイレクトメッセージごめんね


今日は本当にありがとう”


>“おしごとですから”


“おしごとでもありがとう


とりあえず、優しい後輩にはきちんとメッセージを送っておきたかったから”


>“いつもこんなことをしてるんですか?”


“しないよ


特別に手伝ってくれた成田君だからこそ”



 義隆は、岬の丁寧な文章を見ながら、少し違和感を感じた。アレだけ人に催促していながら、岬はメッセージ上での呼び方を変えている。そこで義隆は興味半分に岬に質問を送ってみた。



>“メッセージだと名字呼びなんですね”



 それを送ってしばらく、岬からの返信はなかった。義隆はベッドに横になって、明日の予定をどうするか考える。そして、少しうつらうつらと夢に入りかけた時、スマートフォンからメッセージの到着が知らせられた。そしてそこには、一言



“…うっさい”



 とだけ書かれていた。それから義隆はすぐに次の日への旅に沈んで、メッセージも特に更新されることなく、深い眠りついた。


………


 その一方で、吉岡岬は自分の部屋で枕に顔を半分埋めながら頬を膨らませていた。最後の一言を返す間際、岬はスマホを手に持ちながら何を返すかを悩んだ。画面には「黙れ」だとか「そういう所に気付かないで」だとか、色んな返信が書かれては消えて、一向に義隆に返す言葉が思いつかずにいる。


「あーもう、なんでこんなに緊張してるのよ…」


 誰にでもなくそんな事をつぶやいた岬は、結局最後に少し目をつぶって、ふと思いついた文字を入力するためにスマートフォンに指を滑らせた。そして、岬もその返事を送信すると共に小さなあくびを一つして、それからゆっくりと夢の中に落ちていった。


 二人がしていたやり取りは二人だけのもので、義隆にはその逡巡はわからないし、岬もまた、なぜそんなふうに逡巡しているのか、それはまったくわからないままである。

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