第13話「二日目の仕事と、海撫睦美」

 昼食を食べ終わり、次の予定を話し合った生徒会の三人。今度は義隆にも役割が与えられ、印刷関係の会社に広告の掲載を頼む事となった。


「さて、昼食も終わったことだし、後半のお仕事に入りましょ。今度は義隆君も個別に回ってもらうからね」


「了解です」


 岬の指示で、義隆は自分に割り当てられた場所へと向かうことになった。昼食を取る間に、岬と場所の確認をして、スマートフォンで地図を確認して、場所を登録している。


「今日これから行く場所については、あまり心配しなくても大丈夫よ。既に連絡済み、例年話をしている場所。つまり、早ければ挨拶だけで一通りの打ち合わせが終わる事もあるから」


「なるほど、そう言う仕事を俺に割り振りたかったんですね」


 岬は、義隆が行くべき場所を昼のうちに指示していた。そして義隆が任された場所は、今までに何度も岬たちが挨拶に伺っている場所だと言う。


「そ。仕事はまず顔なじみから。今の義隆君に、付け焼刃で交渉の手順なんて教えても、時間が足りないからね」


「わかりました。じゃあ3手に分かれると言うことで、集合は何時ぐらいにすれば?」


 岬と会話を交わしながら、義隆は午後の仕事の集合時間を確認する。時は1時、今現在残っている6カ所を2件ずつ回るわけだが、それぞれがどのくらい時間がかかるかは分からない。


「そうねぇ…とりあえず1件30分を目安に連絡を取り合いましょ。それまでに終われば連絡後に2箇所目に行ってもらって、それで時間が空いたら、集合までは自由時間ってことで」


「ふふー、やっぱりお休みの日はお休みしないとねー」


 岬の行程に、朝陽が楽しげに笑う。生徒会であるとはいえ今日は休日である。朝陽は、それを前提で話しているし、岬はそれを隅において話していた。


「まぁ明日もあるし、それに今はゴールデンウィークだからね。朝陽にいつも言われてるように”根を詰める“のはよくない…でしょ?」


 岬が朝陽に目配せをすると、朝陽はニコニコと嬉しそうな顔をして「あらあら」とでも言いたそうに口元をおさえていた。


「それじゃあ予定も決まったので、それぞれ自分の予定地によろしく」


 岬の合図を皮切りに、3人は駅を出発した。義隆はと言うと、自分が最初に行く予定の場所を、まちなかのビル看板や、エリア地図を頼りに探し始めた。


「駅の北東、この辺に…」


………


 岬が午後の仕事の合図を送ってから、45分ほど経った。午後2時前、鈴之原本町駅では義隆がブラブラと歩き回っていた。


「簡単に…とは言ってたけど、簡単すぎてやり甲斐が…」


 義隆が足を運んだ2つの広告の会社。いずれも義隆が鈴之原高校の生徒だとわかってすぐに、それぞれの場所で頼むべき内容はすぐに解決し、それぞれで20分も使ったかどうかのレベルで話が決まってしまった。


「向こうは俺を見て鈴之原高校だってわかったし、生徒会の…って言った瞬間に“あー、あの嬢ちゃんの所か”でトントン拍子に進むしで、これはこれで俺が行った意味がなさすぎて手伝った感じがしないんだよな」


 結果的に義隆は…2つの依頼先が完了したことを岬に報告して、岬が予定してたとおりに鈴之原本町を歩き回っていた。


「それにしても、“まだ私達は時間がかかりそうだから2時まで休日で!”って連絡きたけど」


 義隆は周囲を見回す。休日の昼過ぎ、先ほどの2つの印刷会社に行く時もそうだが、人は多い。何処かをフラフラすると言っても、義隆はこの土地に慣れていない。デパートやショッピングセンターは出入りの敷居が高く、ゲームセンターに行ってもすることがない。映画は無理で喫茶店に一人で行くこともない。そうやって頭の中の選択肢を一つずつ潰していくと、義隆の頭の中には駅周辺で佇むという選択肢しか残らなかった。


「うーん」


 そうしてこのわずかな時間の使い方に悩んでいると。義隆は、自分を呼ぶ声のような音を聞いたような気がした。


――りた、くん?


「えっ?」


 呼ばれたかもしれないというわずかな感覚を頼りに後ろに振り返ると、ブラウンのワンピース姿の畑中三美がそこにいた。


「やっぱり、制服の成田くん、だ」


「畑中さん…?」


 制服ではない畑中三美に、義隆は珍しさを感じつつ、三美がここにいることに少し驚いた。


「生徒会の仕事で集合したんだ。そんな畑中さんはどうしてここに?」


「うん、新しい楽譜、探しにきたの」


 三美は、自分の服の端々を少しずつつまみながら、義隆に理由を説明する。義隆はその理由を聞いて、三美が肩に掛けている少し広めのトートバッグに目をやった。


「なるほど、そのバッグは楽譜を入れる用のものか」


「そう。楽譜は、大きかったり、重かったりする、から」


 義隆の質問と共に、三美は身だしなみを見直し終わったのか、落ち着いた様子で義隆に、その鞄を見せた。ブラウンの着こなしを邪魔しないような白のトートバッグ。その中には既に、2つから3つの楽譜らしき冊子が入っていた。


「すでに何冊か買ってるのか」


「そう。良いのが、あったから」


 そう言って、三美はバッグの中から自分が買った楽譜を見せる。チラリと見える本は、「イタリア歌曲集1」だとか「オペラアリア」と言った荘厳なタイトルが並んでいた。


「あー、歌ってそう言う感じの…そういえばこの間中庭で聞いたのも…」


「うん。イタリアの歌、だよ」


 三美は、事もなげにそう言うと、今しがた買ったであろう本の一つを取り出して、ページをペラペラとめくっていった。


「これ、私が前に、歌った、うた」


「うーん…」


 三美に見せられるままに義隆は楽譜を確認する。曲名や旋律、ピアノの伴奏など、曲の様々な情報が書かれているが、義隆はそれを眺めつつ、曖昧な感想をこぼすことしかできなかった。


「…まぁ、これが畑中さんの、あのきれいな歌になってるのは、なんとなくわかったよ」


 見せられた楽譜について話すことも出来ず、素人の様な感想を言う事しかできない義隆。しかし、感想をもらった三美は、少し不思議そうな顔をした。


「成田くん、楽譜、よめない、の?」


 純粋な疑問の声。義隆は、三美が自分の事を楽譜が読める側の人間だと思って楽譜を見せてきたと言う事に今更気が付いた。


「あー、まぁ楽譜はそんなに読めるわけじゃないんだ。あの時は畑中さんの歌が綺麗だったからそう言っただけで、音楽に詳しいってほどでもなくて」


 義隆は、何処か歯切れの悪い感想を伝えることしかできなかった。あの日、自分に対して歌ってくれた三美に感想を言った手前、音楽について学が無い事への後ろめたさ。義隆が持つ、音を抽象で捉える感覚の伝えづらさ。色んな説明しにくさが混ざったような言葉で三美に伝えることしか出来ない。しかし三美は、そんな義隆の心配などお構いなしに、義隆を興味深そうな表情で見て質問する。


「楽譜はよめない、けど、音は読める、の?」


 音が読める。


 三美の発した言葉に、義隆はハッとする。


「音を…読む?」


 義隆の反応に、三美はゆっくりと頷く。そして、二人の間に少しの沈黙が通り過ぎてすぐに、この会話は別の角度から中断された。


「よしたかくーん」


「っ!?」


 いつの間にかこの駅前に揃っていた岬と朝陽。岬が義隆の姿を見かけるやいなや、少し遠くの方から義隆に呼びかけたのだ。


「あ、そ…それじゃあまた、学校で…」


「あ、あぁ、わかった…」


 岬の呼びかけに、三美の表情は、途端に不安げなものになり、少し伏し目がちに義隆に謝辞を告げてから、コツコツとその場を離れていった。あまりにも急に立ち去った三美に対して、義隆は何も口に出せずに、ただ三美の背中を見送ることしかできなかった。


「成田君も早かったね、おつかれさまー」


「あれ?今のって?」


 義隆の様子を見て義隆の方に近づいていった岬と朝陽。去っていく背中に、先に気がついたのは岬だった。


「畑中さん、よね?こうして出掛ける事もあるのね」


「…そう、ですね」


 義隆は、岬であれば、楽譜を買いに来ていたことについて話してもいいのではないかと思ったが、さっきの急な反応や、三美が歌を歌い続けていることを周りが知らない事を思い出して、少し言いよどみつつ、岬の話を受け流した。


「それはさておき、義隆君の方も上手くいったようで助かったわ」


「結局、俺は高校名と生徒会の名前を出しただけですけどね」


「いいのよ。去年も同じように新しい役員にはあいさつに行ってもらってる。いつもならゴールデンウィーク明けにやってた事を、義隆君には特別に早くやってもらっただけ。だから挨拶に行った人、あなたの制服を見て納得したような顔してたでしょ?」


「つまり、ハナから予定調和だったと」


 義隆の指摘に、岬はしたり顔で義隆を見返した。彼女の不敵なしたり顔が、質問へのこれ以上ない綺麗な答えだったことは、質問をした義隆にもよくわかった。


「よしっ、これで1日目は終了。明日も同じように回っていって、それで生徒会の一先ずの仕事は区切りがつけられるわ」


「あとの場所は明日かなぁ、明日は数が多くなるかもね―」


 岬と朝陽が、明日の予定の目処を立てる。そんな2人を見ながら義隆は、先ほどの三美の言葉をふと思い出した。そしてまもなくして、岬と朝陽の会議は終わり、土曜日の3時前、3人の生徒会はここで解散した。



………



「ふぅ」


 土曜の夜。生徒会の仕事を終えた義隆は自分の部屋に戻って早々に、部屋のピアノの前に座っていた。


「音を、読む」


 義隆は、ピアノの鍵盤を一つずつ確かめるように弾いていく。いくつかの旋律を追いかけたところで、いつものように音の抽象が頭に浮かぶ。


「畑中さんの歌は…こう」


 一つ、また一つと、義隆は、あの日の歌を思い出す。記憶している旋律を、忘れないうちに探り弾きしていく。


 畑中三美の歌った曲、斜め右上の抽象、優しく降りていくような旋律、落ち着く終わり、短い中に明るさと寂しさが同居するような歌声…


 義隆がピアノでメロディーを弾きながら、畑中三美がどんなふうにこの曲を歌っていたのかを思い出す。三美の表情は穏やかだがあまり感情が表出しない。あの歌の時も、最後に少し笑って見せた以外は表情はそんなに変化していなかった。ただ、その少ない表情とは裏腹に、歌そのものからは細やかな感情が感じられた。そして、三美が言葉にして、歌った歌について考えるのは一旦ここでやめて、義隆は静かにピアノを閉じた。


「これが、音を読むってことなのか…?」


 義隆は、今まで自分が音楽について行ってきたことがどういう行動なのかについて気にしたことはなかった。だが、畑中三美がポツリとつぶやいた一言は、義隆の意識に強く根付いた。そして、新しい気付きを、自分の中に響く音楽に溶け込ませながら、今日を終えるようにベッドに横になった。


………


 日曜日、義隆は昨日と同じく30分前に到着して集合を待っていた。そして10分前には朝陽がやってきて義隆と挨拶を交わす。


「おはよー、昨日に続いて準備が早いねー、成田君は」


「おはようございます…って、会長は?」


 朝陽と挨拶をしてすぐに、義隆は違和感を感じた。朝陽が来ているのなら…と周りを見渡したが、肝心の岬の姿が見当たらない。


「ああ、岬ちゃんね。多分時間ギリギリに合流する事になるかも。今学校からこっちに向かってる筈だから」


「学校?なんでまた」


「昨日、夜にお話ししてた時には、今日行く場所のために作っておきたい資料があるとか言ってたけどね」


 そう言うと、朝陽は乾いたような笑いを見せた。義隆は彼女の笑顔に、少しだけ心配をする。朝陽は岬と何らかの連絡を取り合って、この状況を察しているが、その彼女が少しやるせない顔をしているのが引っかかったのだ。


「まあ、なにかあれば連絡はすると思うし、もし岬ちゃんが困ってたら私達がサポートしよっか」


「そうですね。無事に休日に入れるように俺も努力します」


 義隆のその言葉に、さっきまでの朝陽の顔は少し和らいで、二人は駅前で岬を待った。


「おはよう!ごめんね義隆君。ちょっと仕事をしてたものだから…」


「大中先輩から事情は聞きました。お疲れ様です」


 少し待って、予定の9時をほんの少し過ぎた頃、2人のもとに岬が小走りで駆け寄ってきた。昨日新聞社でもらった紙袋を今日も持参しており、その中身は、またいくつかのバインダーであることが義隆にも分かっていた。


「取り敢えず、まずはまたアワノで朝食ね、それでいいかしら?」


「はーい」


「わかりました」


 岬はそう言うと、昨日と同じアワノ珈琲に歩き始めて、朝陽と義隆もそれに続く、道中、朝陽が義隆に小声で「じゃあよろしくね」と一言ささやいたのは、岬には気づかれてなかったようだ。


………


「さて、資料は分けてもらったけど…」


 昨日のように朝食を取って、それからすぐに3手に分かれて今日の仕事を始める。義隆は、朝食がてらにもらった一冊のバインダーを手に、目的の場所を探した。鈴之原本町の商店街、義隆は、スマートフォンで行く先の名前を検索して、場所を探りながら歩く。


―――


「1人6カ所、ですか?」


「そう。昨日、春風祭の実行委員から連絡があって、分担されてた広報の挨拶が実行委員側で出来そうにないから、生徒会に任せたいって伝達が来たのよ」


「それで岬ちゃん、朝から学校に行ってたんだね」


「まったく、ただでさえ忙しい時に…ってまあそういう小言は後にして、とにかく今日中に18カ所、地方紙、ラジオ、印刷、あとは…」


―――


「それでまさか市議会議員とは」


 義隆は、もらった資料を確認しながら、自分が向かおうとしている場所を何度も確認した。


“ひでゆき事務所”


 ポスターの貼られた資料を見ながら、義隆はその市議会議員の事務所である所を探した。屋根のないアーケードを歩き、連なる店を眺めながら、目的の事務所を探す。すると義隆は、商店街を抜けようかと言う所で、見覚えのある顔を見つけた。


「…ん?」


 義隆は、一度だけ見たことのある彼女の顔を見つけて、一瞬思い悩みつつも見覚えに確信を持った。そこに居たのは、合唱部の見学で同じ1年生として合唱を見学していた1人だった。


「あら?貴方はこの前の合唱部の…」


「そういうあんたも、どうやらあの時のクラスEの生徒だな、海撫さん…だっけ」


「覚えてくださっていたんですね、生徒会の役員さん。成田さんでしたわね」


 そう言うと、合唱部の生徒である彼女…海撫睦美は、すました顔で義隆に挨拶をする。立ち居振る舞いから義隆も薄々感じていたが、休日ではあるものの、睦美の服装はフォーマルなブラウスとロングスカートの組み合わせだった。ブラウスの下からは海を思わせる青が覗いていることも相まって、およそ休日を過ごすような格好には見えなかった。


「休みの日だって言うのに、なんかキッチリ着こなしてるんだな」


「そう言う貴方も制服じゃありませんの?」


「これでも生徒会の仕事の途中なんだ。訳あって市議会議員の事務所を探してるんだよ」


 義隆は、睦美の言葉に少しの皮肉を込めつつ自分の目的を伝えた。しかし、目的を伝えた先である睦美は、それを聞いて驚いたような表情を露わにした。


「…もしかして、その市議会議員って“ひでゆき”と言う名前ではありませんか?」


「そうだ。よくわかったな」


「………」


 義隆がそこまで言うと、睦美は、バツの悪そうな顔をして義隆からジワリと目線をそらした。そして、義隆がそのぎこちなさに気がつくより早く、睦美は小声でささやいた。


「…私の、父ですわ」


「は?」


「だからっ!海撫かいなで秀幸ひでゆき!私の父は、鈴之原市議会議員の海撫秀幸なんですのよ」


………


「いやはや、まさかこんな巡り合わせがあるとはね」


 睦美が義隆に事情を説明してすぐ、睦美は義隆を議員事務所まで案内した。そして、父親でありつつも1人の議員として、睦美は恭しく目的の人物を呼んだ。


「まさか睦美と面識がある人が生徒会の手伝いで僕を探してくるなんて、人の縁っていうのはわからないものだね」


「は、はぁ…」


「うぅ…そ、それよりお父様!成田さんは用件でここに来ています。まずはそちらを…」


 不満そうな睦美に促されるままに、父親の秀幸は義隆の話を聞くこととなった。


「それで、開校50周年の春風祭について、学校としては僕に挨拶をしてほしいんだね」


「はい。俺が伺っているところでは参加、あるいは祝電を頂きたいとのことで…」


「そうだろうね、用件はわかったよ。挨拶はちょっと難しいけれど、祝電なら書かせてもらおうかな。せっかく睦美がいる学校なんだし、そのくらいはしてやらないとね」


「もうっ!私の事はいいんですの!」


 秀幸が睦美の事に付けて話すたびに、睦美は気恥ずかしそうにその話を遮ろうとする。ただ睦美も殊更に嫌がるわけではなく、義隆の方を確認して制するので、義隆の目には「同じ学校の生徒相手で気まずいのでは」と言うような写っていた。


………


「ありがとうな、取り次いでくれて」


 話もまとまり、事務所をあとにする義隆と睦美。義隆は、後ろに付くように歩く睦美に、背中越しで挨拶をする。


「お礼を言われるようなことは…私は生徒会の仕事の手伝いをしただけですわ」


「それで充分だよ」


 義隆は、飾らない感謝の言葉を睦美に返す。睦美はと言うと、そんな誠実な返事を聞いて義隆に一瞥をくれた。そして、事務所の入り口から次の場所を探すかどうか考えていた義隆に、睦美から声がかかった。


「…その、以前お話してた時に、貴方も気になりましたわよね。私と、カナリアに関して」


「あぁ、まああんなにムキになるのは意味があるんだろうとは思ったけど」


 睦美と義隆は、事務所の入り口のそばに立ち止まって会話を続けた。


「あの子…見学の時に私と一緒に話していた、信時茜が言ってたように、私は、カナリアを…畑中三美を追っていましたわ」


「それは、やっぱり合唱の関係で?」


「ええ。私も小学校から合唱隊に所属して、歌については自信のあった方ですの。中学に上がればこの鈴之原市で合唱は大きな部活になり、私もどうにか結果を残したい…と、しっかり努力をしてきたつもりでした。だけど」


 義隆は「だけど」の続きについてはすぐに理解した。それは、岬たちが教えてくれた畑中三美が起こした出来事の事であり、三美と同学年の彼女が、その出来事の深い当事者であるのは、想像に難くない事だったからだ。


「1年の時の秋のコンクールの空気は今でも心に残っていますわ。白秋中学が歌い始めた時、結果発表がされた時。誰もがあの時の空気をかみしめていた。私もそう。畑中三美の歌を聞いた時、言い表せない衝撃を感じましたもの。そして何より…」


 睦美がそこで話を区切り、義隆は睦美に目線をやる。そして再び話し始めた睦美は、義隆の方を向いて、冷笑にも近い笑みを浮かべた。


「…何より、私がその時に受けた衝撃と言うのは、負けたことや勝てない事への悔しさではなく、彼女の歌の美しさでしたから」


 義隆は、彼女の言葉と表情がどれほどの事を語っているかを推し量れなかった。合唱に打ち込んだ彼女が、三美の歌をそんな表情で評価した事に対する音は、義隆の直感にはあまりに複雑で掬いきることが出来なかったからだ。そう思い、義隆が言葉を探していると…


「そ・れ・にっ!」


「おぉう…?」


 突然、語気を強めた睦美。今度はさっきまでとは違う、明らかな怒りだった。


「私は畑中三美を恨んでますの!なにせ彼女が最優秀を取ったあの日から、周りが私に“みつみじゃなくてむつみなんだ”と!1文字違いの私の名前を茶化して来るんですのよ!?偶然!ぐーうーぜーんー!共に歌を歌っていて偶々名前がニアミスだと言うだけで!事あるごとに…!」


「あ、あー………」


 義隆は、彼女の恨み節に対して同情するとともに、決して目を合わせなかった。なぜかと言うと、義隆も薄々、睦美が不満に思っている事を考えていたからである。


 義隆も、睦美が取り乱すほどの考えを、持っていたからである。


「…こほん、取り乱しましたわね。まあそういう個人的な恨みも含めて、私は畑中三美に注目していましたの。ですから、貴方が彼女と同じクラスAに居ることは、私にとっては関心事なのですわ、ご理解されまして?」


「あぁ、熱のこもった解説助かるよ」


 何を返すか考えていた義隆は、睦美からの恨み言のおかげで返す言葉を考えることができた。そして、洗いざらい話した所で、義隆は、次の予定に向けて出発する時間になったことを確認した。


「おっと、そろそろか。それじゃ、まだ仕事もあるからまた学校で」


「あら、引き留めてしまいましたわね。それではまた学校で。クラスの関係で頻繁に会う事は無いでしょうけれど、機会があれば」


「あぁ、また機会があれば」


 睦美は、義隆を見送るまで事務所の隣で待っていた。彼女の丁寧な振る舞いと、畑中三美についての人並みの思いを聞いて、彼女も初対面ほどぶっきらぼうではない事を悟って、次の依頼先へと足を延ばしていった。

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