第十九話 『切札』

 

 天音に会いたい。ただそれだけを望んでいた。視力、聴力、嗅覚を奪われた僕は、意識を覚醒させても光の差し込まない闇の中にいる。

 肉体の自由が効かないのは拘束されているからだろう。


(天音に会いたい……どうせ殺されるなら彼女を守って死ぬんだ。僕に幸福をくれた人。愛を教えてくれた人)

 薄っすらと自らの意識が目覚める感覚があり、口元に力が戻るのを感じた。全身が気怠いけど、真っ先に発した言葉は現在地の把握。

 自分の現状が知りたかった。


「どこだ?」

 何も見えない。聞こえない。そんな中、徐々に僕を縛り付けている拘束が弛んでいくのが分かる。


(誰かいるのか? 天音なら逃げろって警告しなきゃ)

「ーー誰?」

 必死の思いで絞り出した質問を投げ掛けた後に、馬鹿げた質問だと後悔した。聴力を奪われていては返答すら聞けやしない。

 相手がどう答えても、今の僕には何者かを知る術が無いんだから。


「ごめ、んね。逃げて……」

 僕はほんの少しの可能性に賭けて上手く動かない唇を動かした。近くにいるのが天音だという保証など何処にもないのに。


 ___________


 私は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ天理を疑ってしまった。

 記憶の蓋が開けられて、全てを忘れる前の天理バケモノに戻ってしまったのではないかと。


 それがどうしようも無く喪失感を齎して、身体が硬直したのは事実。


「謝るのは私の方だよ。ごめんね。愛してるわ天理」

 もう迷う必要は無かった。嵐道と双火がこの後私に何を見せるつもりなのかは分からないけれど、もういい。


 長く見えた球体の爆弾は思ったよりも短くて、欺かれた怒りよりも手間が省けたと内心では喜んでいる。

 本当は指の一本位動かせる程の隙間を作りたかったけれど、あの男にそんな甘えは通じないだろう。


 自分で自分を拘束する事に違和感を覚えながら、私は解放された愛しい人を見て微笑んだ。天理は薬物を投与されて思うように身体を動かせないのか、地面に寝そべりながら先程と同じ言葉を呟き続けてる。


(謝る事なんて何もないよ。私はまだ諦めてないからね)

 嵐道の喉元に食らいついてでも、私は二人でこれからも生きていく道を選んだからだ。


 残された可能性を掴み取るために、瞼を閉じて静寂の中で集中力を高め続けた。


「ハロー? 随分と大人しくなっちゃって、どうしたんだいババァ〜?」

「漸く来たの? 小賢しい知恵だけ働く坊やが随分イキがったものねぇ?」

 庭園の木々の隙間から闇を縫うように現れた嵐道は、ヘラヘラと口元を緩めている。とても知能指数の高い天才とは思えない程にダラシない顔だ。


「楽しそうね? そんなに私を殺せるのが嬉しい?」

「ん? そんな些事に俺が興味を持つ訳無いだろ。面白いのはその後だよ。ババァは劇の舞台裏にさえ上がる事を許されないのさ」

「嫌な奴……」

「そっくりそのまま御返しするさ……」

 火花が散りそうな程の憎悪をぶつけ合い、私と嵐道は視線を交えた。狙うは一点。首の頸動脈。


(こいつを殺せば、何とかして場の形成をひっくり返せるかもしれない)

 手段は何でもいい。足首から先は動く。倒れこんだ隙に、歯が届く距離まで誘導出来れば可能性はあるんだ。


「田中。この女をこれ以上僕に近付けるな。汚らわしい」

「了解致しました」

「ーーーーッ⁉︎」

 私は驚嘆に値すると素直に目を見開いてしまった。今まで確かに嵐道の背後に控えて居た筈なのに、存在を認識させなかった隠密性。


(こいつだ! こいつがこの男の切り札か!)

 鋭い眼光を飛ばしても一切動じず、闘気を内包させている。達人の域に達した傑物だ。まともに戦ったとしても勝てるかどうか分からない。


 その男の登場が、私に残された道は絶たれたのだと強制的に悟らされた瞬間だった。

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