11-3

 無理のない角度で雲にダイブ。


 下界の戦場では、まだまだ、どの戦闘機も余裕があるようだった。

 あちこちで小爆発が起き、火線が飛び交う。


 エンジンの唸りが方々で空気を震わせ、ヴェイパー・トレイルと黒煙が入り交じって視界を遮る。

 地上には何機かが墜落炎上していた。墜落機はもっと広範囲に広がっていることだろう。戦場の真下なんて、危なくて不時着も出来ない。


「第二波が敵勢力とエンゲージ……第一波は後続部隊との合流を阻止せよ……」


 司令部からの指示が無線から切れ切れに聞こえて来る。無線機の不調だろうか、それとも?


「スカーフェイス、飛んでいるか?」

「こっちだ、こっち。今、敵を追っている」


 どっちなのか分からないので、警戒をしつつ索敵。

 ほどなくして戦闘機の合間に見覚えのある迷彩が、敵機二機を追い回しているのを見つけた。


 同時に、それを追う三機。


「スカーフェイス、追われているぞ。三機」

「あん? いや、それ、俺じゃないぞ」

「こちらコイントス。すまん、それは俺だ。頼めるか」

「いいよ」


 請け負う。


 三機だけど、かなり速い。躊躇いのない動き。


 斜め上から覆い被さろうと滑り落ちていったけれど、後続の二機が急に速度を落として機体の間の距離を空けた。


 舌打ち。


 攻撃を先頭の一機に任せて、二機は援護に徹する隊形だ。これをやられると奇襲が無意味になる。


 他の手透きの味方機が来ないかと思ったけれど、残念ながらどこも人手不足らしい。


 どうしようかと少しだけ悩んで、無難な牽制射撃。

 やはり慎重な敵だ。当たるはずのない距離からの攻撃にすぐ反応して、先頭の一機が回避行動。


 しかもこちらの腹下に潜り込むような動き。後続の二機もそれに続く。

 連携にタイム・ラグがほとんどない。かなり訓練された編隊だ。


 三機。機種はエアハートだ。


 機体は旧式だけど、一機が三機と戦って勝てる道理はないのだ。だというのにあっちは僕が単独だということをすぐ悟ったらしい。こちらに機首を向けて、明確に狙いを定めて来た。


 安請け合いなんてするんじゃなかった。少しだけ後悔しながら、増槽を切り離す。スロットルを押し上げる。スピードで振り切れるなら振り切ったほうがいい。三機同時なんて御免だ。


 ところが、記憶にあるエアハートの速度はそんなでもなかったはずなのに、振り切れない。

 どうやら特別にカスタマイズされた機体らしい。そんな待遇を受けられる身分なら、あの動きも頷ける。


 さて困ったと思い、素直に通信のスイッチを押した。


「スカーフェイス、こちらシラユキ。コイントスから引き剥がした奴ら、結構厄介なんだけど、援護頼めるかな」


 返信に数秒ほど待った。その間にも距離は少しずつ詰まってきている。


「――悪い、こっちも面倒なのに絡まれた。イグナート、また手前ェかっ、いい加減にしやがれ!」


 怒鳴ったって相手には聞こえないだろうに。どちらにせよ援護の期待は今は出来ない。周囲の味方が気紛れに助けてくれればいいのだけど。


「こちらコイントス、助けてもらっておいてすまないが、こっちも別のに掛かりきりだ」

「了解、仕方ない」


 そろそろ撃てる距離だ。僕は操縦桿を握りしめて背後を振り返る。あっちも激しい機動をやめて狙いを定めに来ている。


 ブレイク。

 スターボード。


 ところがその影から一番後ろの一機が追随してきた。


 僕は旋回し続けると餌食だ。


 咄嗟に逆方向に切り返す。

 火線がかなりぎりぎりのところを掠めた。反応もいい。


 後続の二機が再びフォーメーションを形成しているのをバック・ミラー越しに見る。


 このまま旋回を繰り返していたのでは、機速を失って終わりだ。


 僕は次の攻撃が来る前に機体を反転させ、急降下。スプリット・S。

 当然、敵はついてくるだろう。それまでに少しでも距離を離しておきたい。


 はらの読み合いだ。


 このマニューバはかなりきつい。

 けれど高度はまだある。


 なら、やってみる価値はあるか。


 左旋回に見えるフェイントをかけ、右に切り返す。これはトルクが右向きだからだ。


 そのまま背面になるまでローリング、そして操縦桿を思い切り引く。


 急降下。


 二連続めのスプリット・S。


 一瞬、血流が足下に行って目の前が暗くなる。

 正位置になった瞬間に大きく息を吸った。視界が戻り、荒い息をつく。


 機体剛性が十分じゃないと、翼がしなるほど危険なターンだ。

 だが効果はあった。既に地紋が見えるほど高度が下がったが、相手は僕の動きを読み切れなかったか、もしくは読めてもこれだけ低い位置での急降下を躊躇ったはずだ。


 現に上空に三機……ただし、やはり一筋縄ではいかない。

 三機ともばらばらに飛んで、見失った場合に備えた索敵陣形に切り替えていた。


 僕の位置も既に再補足していることだろう。


 だが距離は十分に離した。

 今のうちに、高度を犠牲に得た速度で一気に戦場指定区域を低空で駆け抜ける。


 諦めてくれたら儲けものだと思ったけれど、意外にも彼らは再び攻撃陣形を整え、大きめの旋回をして一散に滑り落ちてくる。僕に追随してきた。


 どうやら完全に目を付けられたらしい。

 僕が遊撃手であることを悟って深追いに転じてきたのだろう。普通はここまで執念深く追ってこない。


 恐らく彼らはエース部隊だ。腕で分かる。


 ふと思い出す。

 いつかの戦闘会社の見学。


 あの時にスリー・マン・セルのエアハート乗りのチームと顔を合わせた。

 あり得ない話じゃない。同じようなチームはほかにもあるはずだし、本人とは限らないけれど。


 まあ、どちらにしてもやることは変わらない。

 急降下で速度を上げてくる彼らが、射程距離にこちらを捉えるまでにまだ幾ばくかの時間があった。方位磁石と地形、それから背後と上空。それらを忙しなく見回しながら、自分のいる位置を把握する。ああ、こんな時にナビゲータがいてくれればいいのだけれど。後ろの座席にじゃなくてもいい、どこかの基地局からこちらを見てくれるようなやつ。でも今の時代、長距離無線の信頼性は怪しいものなのでそれは叶わない。


 背後を振り返る。だいぶ近づいてきた。

 基本、低空というのは戦闘機にとって避けるべき空間だ。何しろ地面という絶対の壁が広がっているので。飛行機はその行動範囲を半分に絞られてしまうことになる。ミスをすれば地面に激突する、その事実だけでもパイロットへの負担は極めて高くなる。


 そして速度が優勢である相手に背後と上を取られたら逆転は不可能だと言っていい。今の状況は控えめに言って最悪だろう。


 相手は余裕を持って僕の後背についた。

 一撃目が外れても二機目の攻撃が、それが外れても三機目が、そしてそれが外れても、その頃には一機目が再び攻撃ポジションについている。そういう陣形。


 これは極めて合理的で、破る手段はない。


 撃ってきた。

 近くの地面が爆ぜる。


 それが連続してこっちに近づいてくる。


 僕は既に射線からずれている。


 当たらない。


 しかし一機目は無理に追いかけてこず、その頭上を飛び越えて二機目がシックス・オクロックに。


 僕はスロットルを押し上げたまま、逆方向に切り返す。

 すると三機目が顔を出してくる。


 回避行動に追われる。

 最小限の動きで弾丸を躱す。


 到底、こいつを覆す術はない。


 ちょっとお手上げ。


「シラユキ、飛んでいるか?」

「まだね」

「どこにいる?」

「低空を三機から逃げ回ってる」

「了解。もう少しだけ持ち堪えろ」

「分かった」


 スカーフェイスからの簡潔な通信を最後に、操縦に集中。

 あと三波。


 回避を続ける。


 弾がどこかに当たった。

 翼にダメージはなさそう。エンジン音にも異常なし。


 とりあえず無視して機体を傾ける。

 でも方向は変えないようにしないと。


 後は自分の記憶という、あやふやで頼りにならないそんなものを信じなくてはならない。


 信じるってなんだ?


 そういうのを自信っていうのだろうか。


 まあ、飛行機に関しては自信があると言えるかも。


 あと二波。

 諦めないか? そろそろ戦場区域から出てしまう危険が出てくるけど。


 こういう時にテンロウが羨ましくなる。

 ちょっとやそっとの被弾では墜ちやしないんだ。


 ここで気を抜いたら。


 ふと、生きることに疲れたら。


 ほんの少し、死神の手から逃れる馬の、その手綱を緩めたら。


 たちまち容赦なく、僕は機体ごとずたずたに撃ち抜かれて地面に叩きつけられ、燃料とオイルと金属と共に黒焦げになるだろう。


 そうしない理由って何だ?


「じゃあ、シラユキは何を迷っているのかな」


 誰かの声が聞こえた気がする。


 そうなることが僕の望みじゃなかったか。


 穢らわしい地上。


 綺麗な空。


 僕達の羽は有限で、いつかは地上に戻らなくてはならない。

 だったら、空で死ねたほうが幸せなんじゃないのか。


 答えはない。


 何もない。


 空だから。

 空には、何もない。


 帰って来たくなるから。

 また空に帰りたくなるから。


 何度だって空を飛ぶ。

 地上から。


 その地上には何があるだろうか?

 煤煙と喧噪にまみれた地上に?


 蛋白石オパールのように輝く何かがあるとでもいうのだろうか。


 僕は笑った。

 Gで頬肉が引き攣っただけだけど。


 敵が撃ってきた瞬間、操縦桿を思い切り倒す。


 きっと彼らの目には、どこかに弾が当たって、バランスを崩して横転したように見えただろう。


 こんな低空でローリングしたら、即座に高度が落ちて地面に激突する。


 普通なら。


 恐らく彼らの目には僕が消滅したように見えたはずだ。


 地形の段差。

 細く薄く開いた崖の顎。


 その地面の裂け目に、僕は飛び込んだ。


 地図を事前に、穴が空くほど見ていたからこそ、ここにそれがあることも、何が目印であるかも把握している。


 ああ。

 彼女に僕は学んだのだ。


 地上に広がるそこかしこの目印。


 あの赤い屋根の山小屋が生存を分けると僕は知らなかった。


 地形のほんのわずかな隙間に飛び込むことで、初めて知る道があることを僕は知らなかった。


 戦闘機がまず降りることの出来ない狭い空港への着陸のコツ、


 その山村で燃料を得ることが出来るのかも。


 あの赤毛の導き手が僕を導いてくれたのだ。


 裂け目に右の翼から飛び込み、すぐに上昇に戻して思い切り飛び出す。


 ほぼ垂直の上昇。

 ロケットみたいなズーム・アップ。


 曇り空の切れ目から太陽が僕の目を射た。

 高度を取り戻し次第、すぐに背面。ループ。


 いた。


 三機のエアハートが、突如消滅した、もしくは地面に激突した僕の痕跡を探していた。


 わずかだけど、編隊にも乱れが見られる。


 スロットルを限界まで押し上げる。


 急降下。


 狙いを定め。


 トリガに指を掛け。


 撃て。


 撃て!


 だ、だ、だ。


 翼が砕けた。


 主翼内の燃料タンクに引火して、小爆発を起こしながら一機が地面に激突した。


 二機が散開しようとする。


 僕は追うかどうかで迷い。

 結局、ふと息を吐いて手を緩めた。


「スカーフェイス、お願い」

「残念、俺でした」


 コイントスの返事と共に、銃撃が天から降り注ぐ。


 一機がばらばらに砕けながら、錐揉みして墜ちていく。

 最後の一機が必死に逃げる。コイントスと僚機のテンロウがそれを追う。


 僕はそれを最後まで見届けず、緩やかに上昇。

 少し主戦場から遠ざかっていた。


 ゆっくりと鉄火の飛び交う空に舞い戻りながら、翼を振る。


 何発か被弾したけれど、機動性に問題はなし。燃料が漏れている様子もない。

 まだ行けるかな。


 かなり疲れている。心臓が酸素を求めて激しく脈打っているのが分かった。

 けれどパーティはもうお開き。


 趨勢が決まったのか、三々五々に敵の機体が引き上げていくのが見て取れた。

 元々混戦状態になったら、そんなに長く戦ってはいられない。どちらも燃料をすぐに消費するし、弾だって撃ち尽くしてしまう。


 三機の腕利きに時間を取られすぎた。燃料もだいぶ消費している。何より少々疲れた。戦果は……四機か。初陣にしてはまあまあではないだろうか。新人であれば破格だけれど、経験者としてはぎりぎり及第点だ。被弾がなければ文句なしなのだけど。


「俺達の勝ちだ」

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