9-5

 驚きはなかった。僕は隠しているつもりはなかったし、彼女が気づかないほど愚鈍だとも思っていなかった。今し方彼女は、この世で最も僕の信を得る人間になったばかりだ。全てを話そうじゃないか。


「全部思い出したわけじゃない。やっぱり自分がエースのシラユキかどうか、全く自信がない。戦闘機パイロットであったことは確か。でもそれだけ。自分の所属も何も覚えていない。これは本当」

「シラユキ、あんたは誰?」

「僕は僕だ」

「あんたの名前は?」

「少なくとも君にとってはシラユキだろう、ミモリ」

「どこから来て何をするの」

「昨日のことは覚えていないし、これからのことは分からない。……少なくとも、空を飛んでいるか、飛ぼうとしているかのどちらかだろう」

「シラユキにとってあたしは何?」

「分からない。君への感情は僕の知る限り、初めて得たものだ。これを何と呼ぶべきなのか、僕には分からない」

「そう……」


 ミモリが束の間、顔を伏せる。次に出てきたのは質問ではなかった。


「父さんは帰って来なかったよ」

「僕はどこにも帰らない」


 冷たいか、と僕は自問する。ロッカ社は僕にとって居心地が良いと言っていいだろう。けれど、ここは僕の安息地ではない。ここは僕の家ではない。僕のベースではない。

 認めるべきだろう。僕は静かに結論を下した。


「そうだね。ミモリ、僕は行こうと思う。僕はこの先いつまでもここにいるわけにはいかないだろう。僕自身がそれに耐えられないし、耐えるという考えが出てくること自体がそれを証明していると思う」


 ミモリがはっと顔を上げた。その顔を見て口をついて出た言葉は、


「どう言えばいいのか分からない。でも感謝している。僕を拾って、今日まで雇ってくれたことを」

「その先にシラユキの帰るべき場所はある?」

「どうかな」


 曖昧な表情だったと思う。彼女は顔を伏せ、ポケットに手を入れるとそのまま立ち上がった。


「お礼は爺ちゃんに言ってよ。あたしは何もしてない」

「そうかな。でも僕は君にありがとうを言いたかった」

「馬鹿」


 最後の言葉は少し湿っていたと思うのは、僕のうぬぼれだろうか。


 彼女が立ち去った後、金属音だけがかすかに響くガレージ横で、僕は煙草をくわえる。


「おい」

「あ、トーヤ?」

「ここは禁煙だ」

「そうだった。ごめん、あっちで喫うよ」


 長く話していて少し疲れた気がする。どこかで昼寝をしようか。

 トーヤは機体の向こう側から僕は見ていた。かれが何かを言おうとしていることが分かって、僕は足を止める。


「何」

「いや……例えば、だけど」

「うん」


 トーヤは数多くの工具から慎重に規格にあったレンチを選ぶように、ゆっくりと話した。


「あんたがここからいなくなって、その後、ミモリから手紙や電話が来たら、あんたは返事をするか?」

「するだろうね、多分。手紙を書いたりするのは嫌いじゃないし」

「なら、いい」

「何?」


 あっさりと話が終わって僕は吹き出す。そのままトーヤが作業に戻りそうだったから、意味の分からないままは、ちょっともやもやしたのだ。


「それはあんたにとって、ミモリが友達だってことだろう」


 意外なことを言われて、目をぱちくりさせる。戸惑いを隠さないまま僕は反論を試みた。特に反論したいわけでもなかったけれど。


「手紙の返事なんて、誰でもする」

「ミモリは筆不精だ」

「つまり?」

「あいつは仕事で必要な時じゃない限り、返事なんて滅多に書かない。例外は一人か二人の友人だけ」


 意外だった。そういうところはずっとこまめに思えていたのに。そういうのを理解していないのは友達だと言えるのか? 僕はその疑問をそのままミモリの幼馴染みに投げかけたけれど、


「あいつは昔から大人にばかり囲まれて育ってきた。仕事と趣味が同じだから、趣味の合う相手はみんな仕事相手だ。同年代も少ないし、そういう連中でもやっぱり仕事相手なんだ」


 かれにしては饒舌に、トーヤはそう語った。


「あいつはあんたのことを友達だと思っている」

「うん。そう言われたと思う」

「仕事の関係が途切れても、手紙に返事をするなら、あんたはミモリの友達だ」

「そうなの?」

「ミモリにとってはそうだ。で、あいつがそう思うなら、それでいい」

「僕がどう思っているかは関係ない?」

「人間関係ってそういうもんだろ」


 そこは全く専門外だから僕は首を傾げた。


「あんた流に例えるなら、目の前に敵機がいて、そいつが爆撃を任務にしているか、偵察を任務にしているか、分からないとするよな。そうしたらあんたはどうする?」

「敵機だと定義されているならやることは変わらない。……ああ、そうか、そういうことか」

「面倒くさいやつ」

「それを理解出来る君も、相当なものだと思うけど」


 変てこな応酬をして、僕らは笑い合った。多分、誰かが見ていたら、変てこな連中だと思ったことだろう。


「でもトーヤ」

「うん?」

「僕は返事を出さないって言ったら、どうしたの?」

「どうもしない。ただ、ぶん殴っただけ」


 どうやら防衛には成功したらしい。


 僕は君達を友人と思うことは今も出来ていない。


 でも認めよう。少なくとも君達にとり、僕は友人であろうと。

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