9-3

 頭を冷やしてくると告げ、僕は外へ。考え事をする場合、僕の行くところは人気のない昼寝の出来る場所か、もしくは、


「あ、シラユキ、終わった?」


 仏頂面のトーヤの横にいたミモリが、立ち上がって出迎える。彼女は汚れたツナギを着ていた。横には整備用にエンジンを降ろされた紅の機体。フレガータの整備中なのだ。


「機体の調子はどう?」


 今日の天気を話題にするように問うと、彼女は満足げな吐息。


「前よりずっとメンテしやすくなったね。前のエンジンは整備のしやすさが売りだったんだけど、流石に古すぎた。部品も取り寄せに時間が掛かったし……」


 エンジンは機体の心臓部であり、多くの乗り物にとっては中心となる存在だ。ところが飛行機だけは例外で、こうしてエンジンだけを載せ換えることは頻繁にある。翼の形状も時には変わる。このフレガータも、古い連絡機をベースにしているものの、繰り返しの改修によって、原型はほぼ留めていない。今回の改修でまた生まれ変わった。それでもこいつはフレガータだ。それは変わらない。ミモリも僕もそこに微塵の疑いも感じてはいない。飛行機のコアとなるのはつまるところ、物質に囚われない文字通りの魂であるのかもしれない。


 そんなことを考えていたのは、僕自身にアップデートを検討する機会が訪れたからだろうか。普通に考えれば常に最新の状態に保つのは歓迎されるべきことだが、環境ごと変わるとなると話は別。最新鋭機が気候に合わずエンジン・トラブルを起こした事例なんて、人類が空を飛び始めてからこっち、絶えたことがない。

 鉱物油の濃い芳香。煙草は控えたほうが良さそう。さっき喫っておいてよかった。


「少し、いいかな、ミモリ」


 切り出すと、トーヤがウェスで手を拭いて立ち上がろうとした。


「別にいいよ」

「いや、俺はいないほうがいいだろう」

「聞かれて困るような話はしないから。そうだよね、シラユキ」

「トーヤはミモリの幼馴染みなんだよね」

「え?」


 彼女は目をぱちくり。彼女も手を綺麗にして、ツナギの上半身を脱いだ。タンクトップの肩に掛けたタオルで汗を拭う。


「うん、そうだけど?」

「じゃあ家庭の事情とかも知ってる?」

「ああ……うん、そういう話は全部知ってるから、全然問題ない」

「分かった。居ていいよ、トーヤ」


 落ち着いて考えると、かれは居心地悪いことこの上なかっただろう。トーヤには可哀想なことをしたと思うけど、ミモリがいいと言っているのに追い出すのも気が引けたのだ。

 僕も随分と人間的なことを考えるようになった。


「シラユキから話があるだなんて、随分珍しい」

「そうかな」

「そうだよ。大抵はあたしから話しかけるばかりだ」

「いや、そうでもない……機体の整備状況とか、トーヤに訊くばかりじゃなかったはず」

「それは会話じゃなくて、連絡かなあ」


 会話と連絡の違いは何だろうか。連絡は情報の伝達だとして、では会話とは? 意思の伝達ではないだろう。それは連絡でも可能だ。例えば何気ない会話というものがある。何かを伝えたいのではなく、ただ聞いて欲しい、返事がなくてもいい。でもそれって一方的なものだから、やっぱり会話とは呼べないんじゃないだろうか。


 ああ、そうすると、やはりこれから僕が彼女にしようとしているのは、会話とは呼べないものなのかも知れない。


「シラユキ?」

「ああ、ごめん」

「話は済んだの?」

「うん」

「で、どうするの?」

「それを決めかねていて」

「うん」

「どうしたらいいものか」

「決めるのはシラユキだけど、まあ、考えをまとめるのは手伝うよ」

「どうも」


 とりあえずその辺にあった木箱に腰を下ろす。中身はオイルか何かだろうか。それだったら箱には入れないか。


「今、来てた会社は、ミモリも会ったことがある」

「どこかな……ああ、いつだったか、空の上で会ったエース?」

「うん。担当者は別人だけど」

「エースが来たら怖いよ」

「三社来て、どれも同じような内容。給料の差こそあるけど、そこは労働の内容とか、いろいろあるから単純な比較は出来ない。そもそも僕は転職するかどうかすら決まっちゃいない」

「決まってないんじゃないよ、それは。決めてないだけ」

「まあ、そうかな……」


 肩を竦める。空は晴れ。高空の雲の流れも鈍いらしく、全体的にゆったりとした雰囲気だ。飛んだら気持ちよさそう。太陽は少し傾き始めた。そろそろ日照時間は短くなってくる季節だろうか。


「迷う理由は、ないんじゃないかな」

「待遇だけを見れば。でも、ここにいるのを楽しいと思っているのも事実だ」

「本当に?」

「本当に。……多分」

「煮え切らないなあ」

「ミモリはどうしてほしい?」


 彼女が一瞬、自分の表情を努めて制御したのが目に見えた。悟られたことを向こうも察知したようで、諦めたように一度瞳を伏せて、


「シラユキ、あたしがどうしてほしいかを訊くのは反則だよ」

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