5. 爆撃機の夜

5-1

「駄目だね、これは。シラユキ」


 はっきりと断言されたが、僕も頷くしかない。


「駄目だと思う、これは」


 僕は目の前にある、自分がスプレーを吹き付けたばかりの外板を見下ろして、嘆息。


 全く、ミモリが見本にとやってみせてくれた物と、同じ素材、同じ塗料を使っているとは到底思えない。色むらがあって、そのくせ赤色なので、迷彩にすらならないんだ。

 一方のミモリは、艶まである見事な塗り。魔法を使ったとしか思えない。もしかしたら、ミモリの一族は魔法使いの家系なのかもしれない。


 とはいえ、当面の問題は、本格的に工場に僕の居場所がなくなりつつあるという点だろう。


 僕自身はパイロットなので、改修が終わってしまえば復帰できるのだが、それまでのこの奇妙な居心地の悪さだけはどうにもならない。別に気にしなければいいのだけど、僕がその辺で寝転んでいると、工場や事務棟から出てきた女達が時折僕に声をかけるのだ。若い者がこんなところに寝転がっていてはいけない。働け。体を動かせ。実際はそこまで辛辣ではないけど、余計なお世話であることに変わりはない。


 別に役に立たないことが居心地悪いんじゃない。ただ僕がそういう状態にあることで、ミモリ達の評価に影響してしまうということが煩わしいというだけだ。人間関係を構築すると、自分の評価が自分だけで完結せず、他人にも及んでいく。だから僕は人間が嫌いなんだ。比較したり投影したりすることが、評価手段として機能することは認めるけど、別に好き好んで関係を深めたわけではない相手だって存在するのだから、その辺の事情も鑑みなければアンフェアじゃないなのに。


 別にミモリとの関係が嫌いってわけじゃない。人間関係がそれほど閉じているわけじゃないから。


 ともあれ、この仕事に関してはひとまず諦めるべきだという結論に達する。まあそれはそうだろう。僕としてはこんなの、やりたいと思っているわけでもなし。この状態で参加して良い結果を出せるとも思えない。寧ろ仕事を増やすかも。


 僕とミモリはガレージから出る。午前中ずっと籠もっていたせいで――換気扇はフル稼働だったけれど――、太陽の光が酷く眩しい。

 ガレージ脇には大抵、灰皿がある。技術屋には喫煙者が多いように思うのは、彼らの思考速度を上昇させるための燃焼剤として、煙草が必要なんじゃないだろうか、というのは、僕の勝手な想像。

 煙草に火を点ける。ミモリに喫わないのか、と聞いたら、


「切らしてる」

王蝶アグリアスって売ってるところがもうないんじゃ?」

「ないねえ。置いてあってもカートンだったりするから。あたし、そんなに喫わないし」


 一度、煙草の銘柄を黒猫バステトからもう少し軽い奴に変えたのだけど、薄くて満足できず、喫煙量がかえって増えてしまった。不経済だったので、結局黒猫に戻した。


 時折嫌気が差すのは、他者に対して不理解を求めているはずの自分が、こうやって誰かのために頑張っている瞬間だ。自分の望むことを自分こそが出来てない。そういう不安定さ、自分の不完全さにはつくづく愛想が尽き果てる。そのくせ、やってみて上手くいかないことに、表向きでは残念がっていながら、心の中ではほっとしている。これで努力しなくていい、これで頑張らなくていい。


 僕は好きなことだけやっていればそれでいいんだ。


 そういう卑しい気持ちが沸き上がっている。僕のことを逃げているとなじったのは誰だっけ。もう名前も覚えていない誰かだ。パイロットだった。それだけは覚えている。年かさの男。顔はどんなだったか。煙草のにおい。良い腕だった。それは間違いない。でも地上に降りた時の彼の顔を僕は思い出せない。


 ほら、これだって逃げなのだ。

 吐息すると、ミモリが肩を叩いた。


「向き不向きはあるからね。好きで、そして得意なことがあるなら、それをやればいいんだよ。後出しで好きじゃなかったから上手く行かなかったって言うより、ずっと健全」


 どうして僕の考えていることが分かったのだろう?

 やっぱり彼女は魔法使いなんじゃないだろうか。


「シラユキの考えていることは何か分かるんだよね。普段、無表情だから、少しの好悪が目立つというか」

「そんなに目立つかな」


 自分の顔を触ったって、それが笑っているのか怒っているのかも分からない。そもそも僕は自分の泣き顔も怒り顔も知らない。まあ、少なくとも泣いていれば分かるのだけど。そういえば、最後に泣いたのはいつだろうか。

 煙草を灰皿に投げ捨てたところで、ミモリが僕の手を引いて歩き出す。


「午後からフライトだよね?」

「うん」

「セントラルまで。結構長いから、今日は泊まりかな」

「たぶん」


 ここ数日、小型の輸送機であちこちに人や物を運ぶのが僕のメインの仕事になっている。


「シラユキ、バス機の調子はどう?」

「航続距離だけが惜しいけど、結構これもいい機体だよね」

「でしょう、名機だよ。たくさん作られた」

「でも航続距離は短い」

「どこにでも降りられる」

「離陸に必要な距離も短いし、小回りも利く。本当、航続距離だけだね、デメリットは。それと馬力」

「機体をめいっぱい軽くして、どこにでも降りられるようにした機体だからねえ。そればっかりはどうしようもない」

「でも、まあ、良い機体」

「結構気に入ってる?」

「うん」

「へへへ。組合の機体なんだよねえ、うちでもほしいんだけど」

「足が短いから、郵便には向かないよね」

「近場に荷物運ぶとかならいいんだけど」

「コストに見合わないんじゃないかな」

「そうなんだよね。でもかわいいよね」

「え?」

「この着陸脚の長さとか」

「うーん。確かにグルービィだ」

「でしょう」


 バス機のガレージまで歩いて行くと、ちょうどトーヤがウェスで手を拭きながら出てくるところだった。やや猫背なのに、長身のイメージは崩れない。そう考えるとかなり背が高いのだろう。


「トーヤ、バスの整備終わったの?」

「今終わった。完璧」

「それは安心だ」


 僕は頷く。お世辞ではない。彼は腕の良い整備士だ。あとほんの少し経験を積むだけで、どこに出しても恥ずかしくない腕になるだろう。シマが不在の時でも、機体の調整が不満だったことは一度もない。パイロットの話をよく聞くし、理解する。本当に素敵だ。恋人にしたっていい。


 そんなことを考えていたからだろうか、ミモリと僕が手を繋いでいるのを、トーヤが気づく。僕はぺろりと舌を出した。トーヤが呆れた顔で首を傾げた。あまりいじわるをしても悪いので、僕は機体のチェックをするためにミモリの手を離す。


「次の客は何時に到着?」

「もういつ着いてもおかしくない。スタンバイは?」

「いつでも飛べるよ」

「着替えとか、大丈夫?」

「一日の距離だからね」

「着替え、ないのか」

「シラユキはそういうところがずぼらだよね。下着くらいはちゃんと持っていって。副社長命令」

「流石に下着は持っていくよ……」

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