異世界再び

     ◇


 せわしなく床をふみ鳴らす音が聞こえる。一定のリズムをきざみ、そばを行ったり来たり。時々、きしんだ床板が不協和ふきょうわおんを立てた。


 おもむろに目をあけると、思いつめた表情のダイアンが部屋を右往左往していた。寝る前にかかえていた様々な感情が、体からスーッとぬけていくのを感じた。


「あっ、ようやく起きた!」


 ダイアンがドタバタとかけ寄ってきた。


「全然起きないから死んじゃってるのかと思った」


 ダイアンは上体を起こした僕の手を、ギュッとにぎりしめたかと思うと、続いておでこをくっつけてきた。


「……熱はないか」


 彼女が鼻先でつぶやいた。寝起きから心臓に悪い。瞬時に眠気が吹き飛んだ。


「体におかしなところはない?」


「ほっぺたが少し痛いです」


 頬がヒリヒリと痛むのに気づき、そこをさすりながら答えた。


「ごめんなさい……。なかなか起きなかったから、ちょっと強くたたきすぎたかも」


 表情をくもらせたダイアンが顔をそむけた。


 話によると、強くゆさぶったり、耳元で大きな音を鳴らしたり、あらゆる手をつくしても、僕は起きる気配を見せなかったそうだ。


 さらに、もう時刻は十二時を回っていた。


 その話を聞いて直感した。現実と時間が連動している。たぶん、現実で夜ふかししたのが寝坊の原因だろう。


 そして、話が昨日から続いていることも――。


 バサバサと音を立てながら、例のカラスが窓枠に降り立った。昨日、散々さんざん悪態あくたいをついたルーだ。


「坂の上に馬車が停まってるぞ。おまけに、かた苦しい格好をしたやつが、あれこれ聞き回りながら、近所をうろついてる」


「どうしよう、昨日の仕返しに来たのかも……」


 ダイアンが青ざめた顔をこちらに向ける。ルーが僕の存在に気づいた。


「てめえ、ぶっ飛ばすぞ! 何、お嬢ちゃんと一夜を共にしてるんだよ!」


 ルーが威嚇いかくするように羽をバタつかす。面倒くさいので、冷淡な眼差しを送るのにとどめ、あとは無視を決め込んだ。


「ダイアン姉ちゃん。お客さんが来てるって」


 ふいに子供の声が上がった。下り口から十歳くらいの少年が顔を出している。


 昨日は顔を合わせなかったけど、話だけはダイアンから聞いていた。トーマス家の一人息子で、確か名前はポールだったように思う。


「……どんな人だった?」


「気どった感じの人」


 ポールがぶっきらぼうに答えた。


 ダイアンと顔を見合わせる。彼女に応対をまかせるわけにいかない。あえて言葉をかわさずに立ち上がった。気づいた時には、ルーは姿を消していた。


 階下へ向かおうとすると、ポールにジトっとした目つきをそそがれる。ぎこちなくあいさつをしてみたけど、ヒョイと顔を引っ込めた。この子もか、と思った。


 今日一日、予感めいたものが頭にあったから、意外に現状をすんなりと受け入れられた。この時は使命感につき動かされていたと思う。


「学長より伝言をあずかっております。『くだんの方をお連れして、屋敷へ足をお運びくださるように』とのおおせでございます。坂の上に馬車を用意してありますので、ご足労そくろう願えますか」


 一階で待っていたのは、服装も口調も改まった男性。昨日メイフィールドで騒動となった相手ではなく、ダイアンがルーに伝言を頼んだ相手からの使者だった。


     ◇


 大急ぎで身じたくを整え、ベーカリーを出発した。坂の上に人力車を思わせる二輪の小さな馬車が待っていた。屋根はなく、座席は二人で乗るのが精いっぱいの広さだ。


 馬車は大通りを西へ進んだ。スピードは歩く速度と大して変わらず、街なみを楽しむ余裕がある。道すがら、ダイアンが相手の話をしてくれた。


「パトリックとは十年来の知り合いでね、昔はうちのパンを毎日のように食べてたのよ。今は大出世して手の届かない人になっちゃったけど、きっと私達の力になってくれると思うから、安心して」


 『十年来の知り合い』に引っかかったけど、年齢を聞くのは失礼だと思って聞き流した。


 大通りを進んでいくにつれ、石づくりの豪華な建物が増えてくる。進行方向の右手には、果てしなく続く巨大な城壁が見え、それ越しに、城の高層部分とひと際大きな尖塔せんとうが確認できる。


 その城はレイヴン城という名で、街全体をレイヴンズヒルと呼ぶそうだ。


 二十分ほど進んだところで、城の方向へ大通りを折れる。そこから大通りと並行する裏通りへ入り、少し行ったところで、馬車は止まった。


 目の前の二階建ての屋敷を見上げる。古い建物だけど清潔感があり、庭の植栽しょくさいも手入れが行き届いている。市街地なら立派な屋敷と呼ばれそうだけど、周辺に巨大な建物が多いせいか、肩身がせまそうだ。


 屋敷内へまねき入れられ、広々とした部屋に通される。奥には高級感のある机と本棚があり、手前には細長いダイニングテーブルがある。


「そろそろ戻られると思いますので、ここでお待ちください」


 僕らはドアのそばに置かれたイスに腰かけ、家主やぬしの帰りを待った。

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