17.贄

 少し時間は巻き戻る。私、ノアはルナの安否をいち早く確認するため、セリカに何も告げず飛び出してしまった。

「……贄って何だ」

 セリカのその言葉がいつも頭に引っかかる。私はセリカにもらった太刀を腰にかけ、一直線に『霧の洋館』へと走って行く。

「塀はあるが見張りは無し。ルナ……本気でここの奴らと一人で?」

 昨日会ったミュレとか言う女……あの女は強大な力を隠している。他人の陣地に一人で堂々と踏み込める度胸、あの余裕の笑み、ヴィンセントが拒絶する存在感……人を見る目が無い人間でも、あの異様な力は読み取れるだろう。

「あいつはあくまで召使……それを雇っているのはセリカの兄」

 私は自分よりも少し背の高い塀を乗り越え、無防備にも鍵がかかっていない扉を静かに開けた。それと同時に……

「お待ちしていましたよ、エレノアさん。ようこそ、アストイルの本家へ」

「……先客はどこへ行ったか教えろ」

「いきなりですね。今、ご主人様は手が離せないのです。また出直して……」

「お前の主人に用があったんじゃない。私は先客の女に用があって来たんだ、行き先を教えろ」

「……赤髪の暗殺者なら先ほど来ましたよ。」

 そう静かに語りながらミュレは階段を下りてくる。その緑眼は私を一直線に見つめていた。

「うちの召使は皆役立たずですから、応対したのは私です。大丈夫ですよ、殺していません。それ以前に傷もつけていません、まぁ私は傷つけられましたが……」

「じゃあルナは武器を出したということ……なぜお前は反撃しなかった? 騒ぎを大きくしたくなかったからか?」

「ふふ、そこまで考えていませんよ。単純に私が武器を持ち合わせていなかっただけです。とりあえず、彼女には大人しくしてもらっています」

「……拘束しているのか」

「ええ。暴れる事も無く、文字通り大人しいですよ。最初はあんなに派手に武器を使ったのに……どうしてでしょうね?」

 そう言ってミュレは小さな切り傷が入った手のひらから、少し刃こぼれのした投げナイフを出した。それには見覚えがあった……この先が少しだけ欠けた念の入ったナイフは。

「ルナのナイフ……」

「このナイフ、彼女が落としていったんです。どうせ彼女の安否を確認するまで帰るつもりは無いんですよね、ならさっさと確認して帰って下さい」

「……わかった」

 私はミュレからそのナイフを受け取った。それを確認すると、彼女はこちらです、と言ってルナのいる部屋へと案内してくれる。この館はセリカの屋敷と全く同じつくりなのに、あの家ほどの明るさは微塵も無かった。赤の高級感溢れる美しいカーペットは、まるで鮮血のように暗く見える。それだけこの館は暗く閉鎖した空間だと、重く感じた。

「もう少し証明を明るくした方が良いんじゃないか。暗くて歩きにくい」

「慣れですよ。それに、少し暗い方がムーディーですし」

「それにしてもこれは暗すぎる。ムードを考える以前に、何も見えないじゃないか」

「それもそうですね。エレノアさんと言いルナさんと言い、結構真面目ですよね。私、結構好きです」

「暗殺者の性格が良い……? セリカ以外にそんなことを言う奴がいるとはな。お前、相当変わりものだろう?」

「あははっ、やはりお嬢様も同じことを言いましたか?」

 セリカの名前を聞くと、ミュレは嬉しそうに笑った。ごく普通の、優しい女性の笑顔だった。こういう冷静な性格といい、私を好きだと言うところといい……どことなくこの人はセリカに似ている。二人を並ばせたら、母と娘のように見えるのだろうか……

「そうでした。大事なことをエレノアさんに告げないと……」

 急に立ち止まり、ミュレはこちらに振り返り私を見つめた。そして躊躇い無く、口を開いた。

「……ルナシィアリの狂喜乱舞する姿をこれから披露しますね」

「は……?」

 そうミュレが告げたとほぼ同時、すぐ後ろの扉からパリーンッ!!! と何かが割れる音が廊下に響き渡った。そのすぐ後、扉も簡単に外れ廊下に倒れ伏した。

「はーっ……あぁあぁぁ……っ!!」

「る、ルナ……何だ、その姿は…………」

 その扉の先にいたのは、手当たり次第に破壊を続ける狂った赤髪の獣だった……

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