2. 完璧な違和感
藤井がいやにそわそわしている、と神様は気付いていた。スカウトに失敗した藤井は、いったん大人しく戻ってきた。
失敗した、としょげているのかと思いきや、しれっとした態度で戻ってきて、通常通りに神様の身の回りの世話をしていた。
「それもそうか。藤井は人形だから」
神様は横目で藤井を眺めながら、悟られぬようにそれとなく様子を観察していた。
数日藤井は淡々と責務をこなしていた。しかしここのところ、無表情ながらどこか浮足立った様子を見せ始めたのである。紅茶の準備を
していた藤井の手は淀みなく動いているものの、上の空であるように見て取れる。温めたポットに紅茶を注ぎ入れる藤井の横顔は気まじめだ。
神様は「藤井藤井」と手招きして理由を問うた。
「なかなか面白そうな音楽家を見つけました」
無表情で藤井からそう告げられ、神様は「やはりか」と大きく頷いた。藤井の手製スコーンは焼き立てで、歯を立てるとさくりと小気味いい音がする。
細かなくずがジャージに落ち、神様は優雅な動作でそれを払い落した。
──ということは、またしばらく藤井は不在になるんだな。
神様はこれまでに感じたことのない寂しさを感じた。藤井は人形だ。永遠の時間を生きている藤井は、必ず神様の元へ戻ってくることがわかっている。
時間もそれこそ無限にある。藤井が不在の間も、蓮池を覗き込めば行動を確認することもできる。
それなのに何故今回はそう思うのか。
神様は自分でも自身の感情が理解できずに少し戸惑った。
「巧い、とも魅力的、とも異なるのでございます。面白い、という言葉がまず浮かんでくるのです」
藤井の表情はもちろん変わらない。しかし、瞳はかすかに輝いて見え、語調は高揚しているように感じられた。
「藤井がそんなに肩入れするなら、只者ではないんだろうね」
藤井は神様の目を覗き込んだ。
「……本当にそう思われますか?」
神様は心の内まで覗かれたような気持ちになり、一瞬言葉に詰まった。事実、藤井と神様のセンスはかけ離れていた。神様が「これぞ」と肩入れするアーティストを藤井は「若いですな」と評したりする。批判ではなく、どこか懐かしむような口調で。
「私の趣味とはまた違うだろうけれど」
取り繕うように言い足すと、藤井は曖昧に頷いた。
「しかし果たして、彼らが売れたいと思っているのかどうか」
「売れた方がいいに決まってるでしょ!」
柏木美穂が振り上げたこぶしを、鶴見舜は呆気に取られながら見つめていた。
「確かにCLACKは今のままでも固定ファンはいることはいるけど、本人たちがチャレンジ案件を出してきたんだし、別名義でやってみてもいいと思うの!」
「はあ」
「当たれば儲けもの、違う?」
違いません、と舜は力なく答えた。普段クールな柏木美穂がこんなに熱くなっているのを舜は初めて見た。
「でも、今までのCLACKの路線とは全然違うんで」
CLACKはいわゆるメロコアと呼ばれるジャンルのバンドだった。骨太なだけではなく聴きやすく馴染みのあるキャッチーな曲作りが得意で、男性ファンも女性ファンも等しく獲得していた。疾走感と青春をイメージさせる爽やかなサウンドが特徴だ。ライブでは「踊れる曲が多い」と好評で、毎回ライブハウスではあるがチケットは売り切っていた。
素直なメロディラインと、日々練習を欠かさないことが伺える誠実な演奏には舜も好感を持っていた。
そんな彼らが突然、新たな施策として覆面バンドをやりたいと言い出したのだ。
全員が狐の面をつけ、和風なサウンドを取り入れたロックをやると言う。
バンド名も「アトノマツリ」とし、CLACKであることは徹底して伏せる。と言うのだが──。
「……ボーカルギターの猛さんは乗り気なんですか?」
舜の印象では、リーダーの猛は人一倍音楽へのこだわりが強く、簡単には賛成しないはずだった。
柏木美穂は少し苦い顔をしたが、すぐに頷いた。
「もちろん猛くんも乗り気よ!最初はゴネてたらしいけどね……曲を作り始めたらその気になったみたい」
舜は少なからず驚いた。CLACKでも曲作りを担当しているのはほとんどボーカルの猛だった。様々なテイストの楽曲を作り分けるイメージはあまりない。
「へえ、それはすごいですね……」
──他のジャンルの曲も作れるのか。
舜は、どうしようもなく溢れ出る感情がCLACKの音楽として結実しているのかと勝手に思っていた。
ボーカルの猛は、舜が思った以上に器用な人物なのかもしれなかった。
「最初は一切広告も打たずに配信スタートするから」
柏木美穂はいやに乗り気だった。
「そこまで話が進んでるんですか?」
曲すら聴いていない舜は、すっかり彼らの動きに遅れていた。
手渡されたアーティスト写真を見て、完成度の高さに舜は唸った。
確かにこの見た目では、正体はわからない。それどころかーー。
「……いいっすね」
舜は思わず口にしていた。狐の面を着けて、洋服の上から着物風のジャケットを羽織った三人は、異様だが魅力的だった。それも、ボーカルの猛がその仮装を見事に着こなしており、何とも言えない色気まで醸し出している。
「でしょう?」
柏木美穂は得意げな表情だ。
柏木美穂が音源をテーブルの上に置いて立ち去ると、舜はすぐに手に取って聴いてみた。
「何だ、これ……」
流れてきた曲はこれまでのCLACKとはまるで別物、しかしイントロと歌い出しだけで心を掴まれた。
「声まで別だ……すげぇな」
──これは売れる。
舜ははっきりと確信した。しかし、何かが引っかかる。直感としか言いようがなかった。
──何があったんだ?
眉間を押さえながら、舜は繰り返し音源を再生させていた。
藤井でございます 人形マネージャーと新人プロモーター 杉背よい @yoisugise
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