6.引き返すべき黄金の

第25話 闇の犯罪史に名を連ねること数十回。仕事は大胆にして冷酷。まさに《名も無き殺し屋》。それが

 ラトゥースにいざなわれるまま、のろのろと後について歩き出す。


 道ばたにすすけた色合いの一頭立て二輪馬車が停まっていた。屋根もない。年代物らしくあちこち塗りが剥げて、変色した木の色が剥き出している。御者が押さえる踏み台をラトゥースはかろやかに上った。奇妙にうきうきとした仕草で、振り返る。


「君が先に乗ってくれよ」

 恐縮するレイスに先を譲られ、ハダシュはしぶしぶ席についた。続けて、レイスがぎくしゃくと乗り込んでくる。

 ラトゥースは、そっぽを向いたハダシュの横顔を、向かい合った席からまじまじと見つめた。

 身を乗り出し、しかつめらしい顔をしてみせる。


「ひどい顔。それに、何て格好」

「黙れ」


 人前に晒せる風体ではないことぐらい自覚している。ハダシュは不機嫌に唸った。


「とりあえずこれで傷を押さえてて。どこもかしこも血だらけで、見るも恐ろしいわ」

 ラトゥースは傍らの可愛らしいポーチから、丁寧に折りたたんだ白いハンカチを取り出した。手渡そうとする。ハダシュは躊躇した。血に汚れた手で触れるにはあまりにも白すぎる。


「遠慮なんて、らしくなくってよ」


 半ば強引にハンカチを投げて寄越してくる。ハダシュはハンカチを受け取り、ややためらって見下ろしたのち、無言で口の端を押さえた。

 急いで離し、汚れ度合いを見る。純白のハンカチが、みるみる泥と血の色に変色してゆくのはあまりにも居たたまれない。無様な色だった。


「詰め所までお願い」


 ラトゥースが合図すると、御者はうなずき鞭をふった。

 馬車はとんでもなく跳ね上がってから走り出す。振り落とされそうになって、ハダシュもラトゥースもあわてて手すりにつかまった。

 カンテラが右に左に揺すぶられている。

 一方、レイスはまだ、まじまじとラトゥースを見つめている。馬車の振動にも動じていない、あるいは気付いていないようだった。


「さてと、どこから話せばいいかしらね」


 がたごと揺れる馬車に揺られながら、ラトゥースはどこか嬉しそうに言った。

 身を乗り出すたびに、夜風が金髪をくしゃくしゃと逆巻かせる。血の夜にはまるで不釣り合いな笑顔だった。


「昨日の夕方。あなたが目を覚ました後のことだけど、シェイルが自警団に行って話を聞いてきてくれたの」


 ラトゥースは、はす向かいにレイスがいるにも関わらず、驚くほどひやりとする声で続けた。


「独特な殺しの手口から推測するに、闇の犯罪史に名を連ねること数十回。仕事は大胆にして冷酷。それでいて、素顔を見たことのある者はほとんどいない。まさに《名も無き殺し屋》」

 笑みが削ぎ落とされる。

「それが、あなたの評価よ、ハダシュ」


「何だって」

 レイスが愕然と呻いた。

「そんな馬鹿な。何かの間違いでしょう。ハダシュ君はそんな人間じゃない。変な疑いを掛けるのはやめてください。確かに、その、何だ、いつも怪我ばかりして、めちゃくちゃな事をしているのは事実だけれども、でも」


 ハダシュは首を振り、冷め切った笑いを浮かべた。


「妙な尾ひれが付いてるだけだよ」

「ハダシュ君、何言ってるんだ。誤解なら誤解だと、ちゃんと言わないと……!」


 レイスは手を振り回して反論する。ハダシュはうんざりと頬杖をついた。わざとレイスの抗議を聞き流す。

 自棄めいた吐息がもれた。

「誤解じゃねえよ」


「どうしてジェルドリン夫人まで殺したの」

 ラトゥースは押し殺した口調で訊ねた。もう、顔も目も、口ぶりさえ笑っていない。


「まさか、本当に」

 レイスは青ざめてうめく。


「さあな」

 ハダシュは疎ましげにとぼけた。実際、殺しの理由など無いに等しかった。


「彼女が黒薔薇と結託してたことは、当然知ってたはずよね」

 ラトゥースはかすかな笑みを取り戻した。

「黒薔薇の資金源になっていたことも。殺せば追われると分かっていて殺し……そしてその通りになった。あなたは追われ、そしておそらく、殺されなかった。たまたま私があの場所に居合わせたのは、本当に単なる偶然でしかないわ。その事実こそが、すべて仕組まれた上での出来事だったってことを示している。あなたは、黒薔薇に利用されたのよ。夫人から絞れるだけ絞り取って、利用価値がなくなるや切り捨てる。それも自分の手を汚すことなく」


 ふたたび馬車が大きく揺れて傾き、進路をそらす。

 レイスが間の抜けた頓狂な声を立てた。ラトゥースは、遠いまなざしを車窓の闇へとそらした。こわばった声だけが風に乗り、吹き散らかされていく。


「もう一度言うわ。私の使命は黒薔薇の実態を解明し、組織を壊滅させること。そのためならば、この身がどうなろうと厭わない。使えるものは何だって使うつもりよ」


 ハダシュは答えない。エルシリア侯クレヴォーは、国に列する諸侯の中でも有力な貴族だ。その貴族の名を冠する人間である以上、ラトゥースもまた、単なる正義趣味の放蕩貴族ではありえない。


 黒薔薇と、それを追って現れたラトゥース。この街のどこかで、何かが動き出している。


 馬車は、不可解に入り組んだ路地を抜け、木立にかくされた引き込み口のある宿へと入っていった。

 馬止めに馬車を停めると、気配を察したか、黒い布をかけた灯りを下げた宿のあるじが戸を押し開けて現れた。慇懃に頭を下げる。

「お帰りなさいませ」

「ただいま。こちらはレイス先生。お医者様よ。客間にお連れして」

「シェイルさまより、御伝言を言付かっております」

 あるじがひそひそと耳打ちする。ラトゥースはうなずいた。

 レイスを振り返り、いかにも取って付けたように微笑みかける。

「では、レイス先生。お部屋を用意させますので、しばらくおくつろぎになっていて下さいませ。のちほどお食事と湯殿のご案内をさせますわ」


「い、いや、私はその」

 レイスはたじたじとなった。

「そう、お話があるのではないですか」


「どうぞ、こちらへ、レイス殿」

 宿のあるじが有無を言わさずレイスを案内してゆこうとする。

「違う、そうじゃない、ちょっと、ハダシュ君、待ってくれ給え、私も同席しよう、やんごとなき姫君相手に粗相があってはならなっ……」

「どうぞ、こちらへ」

「いや、だから、その、君だけが姫君と二人きりとかずるいと思わないのか!」


「俺に行動の決定権があるとでも?」

 ハダシュは、あるじに伴われたレイスが半ば強引に連れ去られてゆくのを見送った。

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