第21話「霧の谷とようじょ」

 そこには、谷と呼ぶにはあまりにも広い裂け目と、まるで霧の海の中へと消えていく細い一本の線のような吊り橋があった。

 風はなく、じっとりと纏わりつくような霧が重く立ち込めている。

 チコラ曰く「使役すべきシルフの絶対数が少ない」状況は、僕らを更なる窮地へ追い込んだ。


風の精霊シルフが居なかったら浮遊の魔法も使えないんじゃないの?」


「まぁ普通ならせやな。だけどワイは超魔法精霊スーパーまほうせいれいやからな! 自分が精霊なんやから使えんことはない」


「それはそうかも知れないけど、普通より大変なんでしょ? そんな状況でこんな対岸も見えないような崖を飛ぶなんて、やっぱり無茶だよ」


「……まぁ荷物減らせば何とかなるて。あっくんは心配性やなぁ」


 僕の体にぎゅっとしがみ付きながら、霧に隠れた谷底をそっと覗きこんでいたりんちゃんへと視線を向けたチコラは、彼女を安心させるように笑顔を見せる。

 安心できる要素など何一つなかったけど、チコラの気持ちに気づいた僕は、なるべく安心しているような笑顔を浮かべて「そうだね」と相槌を打った。


 馬車へ戻ると、絶対に崖の方へは行かないようにりんちゃんに言い聞かせて、僕らは馬車を囲むように集まる。

 それからは、黙々と馬車の重量を減らす作業に移った。

 まず、馬車自体の重さが約300kg、山道の運搬を考えてクリスティアーノが選んでくれた毛足の長い小型の馬が1頭につき250kgで2頭、大人4人とりんちゃん含めて250kg強。

 これだけで1tを超えてしまう。

 それに水や食料や工具など、さらに400kgほどの荷物を積んでいるのだけど、不要なものを極力省き、水や食料も現地調達する事として全て下ろすと、最終的な総重量は1.1t強となった。

 大人4人が少しずつ荷物を持って馬車とは別に吊り橋を渡ると言う案もあったんだけど、パーティー分断や吊り橋自体の強度と言う別の問題を考慮して、結局のところ全てをチコラの飛行能力に賭ける事に落ち着いた。


 ほぼ無風の中でも、なるべく風のある崖の先端で「精霊の力を集めるため」と地面に寝転んでいるチコラに僕は近づいた。

 りんちゃんはオルコたちと出発前の食事をとっている。


 目をつむっていたチコラは、僕の足音に気づいて薄目を開けた。


「……となり、いい?」


「ええで」


 精霊の力を集めるのに邪魔にならないかと思って躊躇したんだけど、これだけは言っておかなくちゃいけないと思った僕は、チコラの隣に腰を下ろした。


「お願いがあるんだ。……いや、お願いじゃないな、約束してほしい」


「なんや」


 僕の言いたいことをわかっている様子で、チコラはもう一度目をつむって先を促す。

 僕も目をつむって谷からの風を感じ、そろえた膝の上に顎をのせて小さく息を吸った。


「谷を渡る途中で無理だと思ったら、馬やオルコたちには悪いけど、余力のある内にりんちゃんだけを連れて避難して」


「……なんや、やっぱりそんなことかい。まぁええ、りんちゃんの命だけは絶対に助けたる。……しかし、あっくんはオルコよりよっぽど鬼畜やな」


「うん、僕の決断で僕が死ぬのは良いとして、巻き込まれるオルコたちには本当に悪いと思ってる。もしかしたらここで諦めて帰るか、準備を整えて再挑戦した方がいいのかもしれない」


「まぁその手もあるわな。いや、普通そうするやろ。どんな理由があるのかワイは聞いとらんから、ほんまにそう思うで」


「……水晶の情報によると空中庭園が近いうちに『魔王復活の前兆として崩壊する』って書いてあるんだ」


「……初耳やな」


「うん、予定通りに到達することができれば必要ない情報かなって思って。でも、いつ消えてしまうか分からない遺跡だから、今回の冒険は急遽決めたんだ。最初で最後かもしれない『神に恩を売る』ためのこの情報に賭けたいんだ。……りんちゃんのために」


 りんちゃんを元の世界に戻せる可能性があるならば、僕の命なんかいくらでも賭ける価値はある。

 その命懸けの決断に巻き込まれるオルコやポーターには申し訳ないけど、彼らもプロで、命懸けの冒険だということは伝えてあるんだ。そこは納得してもらおう……納得できないかもしれないなぁ……いや、無理だろうなぁ。


 頭を抱えた僕へちらっと視線を向けたチコラは、ひょいっと僕の頭の上に載る。

 かるくぱしっと僕の頭を叩くと、ニヤッと笑って吊り橋の向こうを指差した。


「よっしゃ! シルフの力も集まったし、気合も入ったで! ……ワイがお前らをキッチリ向こう岸まで運んだる! そうすればなんも悩まんで済むやろ? さぁ、そろそろ出発や!」


 チコラが大声で宣言した「出発や!」の声に、背中で食事の後片付けをしていたオルコたちに緊張が走る。

 僕もゆっくりと立ち上がり、幌まで外して、まるで小さなボートのように見える幌馬車へと足を進めた。


 僕たちを迎えるように、りんちゃんは馬の横で小さな花を手に持って「しゅっぱーつ! しんこー!」と大きな声を出す。

 本来なら響き渡りそうなその声は、霧に吸い込まれるように、余韻も残さずに宙に消えていった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 厚い布で目隠しをされた馬が不安そうに小さくいななく。

 馬車はチコラを頂点とする光のピラミッドにぶら下がるようにして、吊り橋の上、ちょっと左にずれた位置をそろそろと飛行していた。


 チコラの胴には細いロープが巻かれ、りんちゃんの胴へとつながっている。

 僕、オルコ、ポーターの2人の胴にも同じようにロープは巻かれていたが、その反対側はかぎ爪のような金具がぶら下がっているだけだった。


 いざという時にはこのロープで吊り橋へと飛び移るためのものだったけど、これで安心とは誰も思っていない。まぁ何もやらないよりはと言った程度のものだった。


「チコラ、がんばって」


「チコラちゃんがんばってー!」


「こ……んなん! らっ楽勝! ……やぁぁぁぁ!」


 全然楽勝そうには見えないチコラだけど、今のところ馬車は安定している。

 自分たちの居た側の崖が霧に隠れ、それでも反対側の崖が見えない所まで来た時、上空に怪鳥けちょうのような鳴き声が長く尾を引いた。


「……なに、今の?」


 思わず不安げな言葉を口に出した僕は、お腹にしがみつくりんちゃんの背中を抱いて右手を死神の鎌デスサイズへかける。

 それまで静かに僕の隣でじっとしていたオルコが口を開いたのはその時だった。


「チコラ、吊り橋の傾斜が反転した。あと半分だ。……グリュプスの声は気にするな」


 オルコの言葉に、上空霧の中を見つめていた僕は、斜め下に見える吊り橋へと目を移す。言われてみれば確かに、今までなだらかに下っていた吊り橋のツタが少しずつ登り始めていた。

 向こう岸はまだ見えないけど、吊り橋の距離の半分を超えたことは間違いない。スタート地点よりゴール地点の高さがずっと高いという可能性を除けば、だけど。

 それより……。


「オルコ、今グリュプスって言ったよね?」


「ああ、だが今は気にするな」


「あほぉ! 気に……なるわぁ!」


 なるべく揺れないようにと気を使ってでもいたのだろうか、チコラは翼をせわしなく動かして少しでも早く向こう岸へ到達しようと馬車を運ぶ。

 今までと違ってぐらぐらと揺れ始めた馬車の上で、僕らは慌ててへりにしがみつき、馬は不安げに大きくいなないた。


 たぶんグリフォンのことだろうと予想はついたけど、僕は念の為に水晶で『グリュプス』を検索してみる。

 水晶は写真のような図解付きで、その情報をすぐに写しだした。


――グリュプス(グリフィン、グリフォン)、上半身は黄金色こがねいろわし、下半身はライオンのキメラ。神々の馬車を曳き、黄金を守る聖獣でもある。馬を敵視し、主食とする。


 なるほど、やっぱりグリフォンか。

 納得した僕は、水晶をローブの袖にしまおうとして、しかし水晶を二度見する。


 ちょっと待って、なんだって?


 


 馬のいななきが谷に響き、それをかき消すようにグリュプスの鳴き声が上空から降り注ぐ。

 霧の中に馬車と同じくらいの大きさの黒い影を認めた僕が注意の声を上げるより早く、その影は僕たちの真ん前を横切った。

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